「コトタマ学とは」第二百二十四号 平成十九年一月号

   心の御柱(しんのみはしら)(続き)

 さて、心の御柱の言霊学による説明を始めましょう。
 目を開いて一人の人間と対面していると想像してください。相手について、この人は背が高い、色白だ、丸顔だと感じます。これは五官感覚による観察です。次にその人と話をしてみたら、物知りで、学問に優れた人だと知りました。これは知性的観察です。次にこの人は芸術的趣味がある、愛情があると感じます。これは感情的観察です。次にこの人は道徳的に立派で、機転がきき、決断も早いと知りました。これは実践理性的観察です。

 今度は眼を閉じてご自分の心を考えてください。眼を閉じると同時に相手の姿は消えてしまいます。あるのは自分の心だけとなります。すると自分自身の心の色々な働きが出て来る広い心の広がり、宇宙があることに気付くでしょう。精神宇宙の存在です。この心の宇宙は五つの段階から成り立っていることが分ってきます。

 まず第一に背が高い、色白だ、という五官感覚の判断が出て来る宇宙です。またこの宇宙から背が高くありたい、色白になりたいという欲望も出て来ます。この五官感覚が出て来る元の宇宙に、言霊学は五十音のうちの母音のウを当てて名を付けました。言霊ウであります。

 次の学問的知性の宇宙は言霊オ、第三番目の感情現象の宇宙は言霊ア、次の実践智である理性の宇宙を言霊エと名付けました。

 そして最後の五番目の宇宙を言霊イと呼びます。この宇宙は普通漫然と暮らしている時は気が付くことのない宇宙なのですが、それでいて他のウオアエの四つの宇宙の現象を生み出す原動力となり、またそれら四つの宇宙をコントロールしている根本的な創造意志の宇宙なのです。

 以上お話しましたように、人間の心は言霊ウオアエイの重なった宇宙を住み家としています。そして人間がこの世に生れてきた時、大自然から授かっている生れたままの心の構造はどうなっているかを考えてみますと、その構造は五つの母音で表わされる宇宙の段階が上からアオウエイの順で並ぶことになります。この心の住み家である精神の主体の構造を、古神道言霊学は天の御柱(あめのみはしら)と呼びます。目に見えるわけでもなく、普通そんな自覚もありませんが、この天の御柱が人間の中にスックと立っているのです。人間はこの天与の天の御柱でもって人生のすべての問題を判断して生きていくのです。

 (この人間の生れたままの天与の心の構造を、言霊五十音で表わしたものを天津菅麻(あまつすがそ)音図と呼びます。心のすがすがしい衣という意味です。「古事記」の神話の神様でいいますと、伊耶那岐の神様の音図ということになります。その他、人間の心の持ち方によって色々な五十音図が考えられます。)

 こうした心の現象を生み出す元の宇宙、心の住み家の宇宙を器物として形として表徴したのが伊勢神宮の内・外宮の正殿の床下に祭られてある「心の御柱」なのです。

 先の項で、言霊イというのはこの世界すべてのものの創造主だ、というお話をしました。創造主はこの心の御柱を上がったり、下がったりしながら他の四つの母音の人間性能を働かせ、それらをコントロールして、小にしては人間個人の生活を推進させ、大にしては国家・人類世界の歴史を理性をもって創造していきます。心の御柱は人間の、そして人類の心の住み家を表わしています。

 心の御柱の意味を以上のように理解した上で、神宮正殿の床下の心の御柱の祭られ方をみますと、驚くべき真実に突き当たることとなります。

(次号に続く)

   布斗麻邇(ふとまに・言霊学)講座 その十

 先天構造を構成する十七言霊が活動を始め、子音が生れ出てきます。先号ではその中のタトヨの三子音言霊について説明をしました。大事忍男の神・言霊タとは、先天構造の活動によって人間の全人格である宇宙そのものとも言えるものがターとこの世の中に姿を現わす姿であります。次にその宇宙をどよめかせて現われた何かが、それが実際に何であるか、が全人格を表わす五十音言霊図の横の一列、イ・チイキミシリヒニ・ヰの十の父韻の戸を潜って調べられ、次いで言霊図の縦の四母音アオウエの節の中を通って、起こって来た発想が四つの母音に内臓される人間の社会を構成する四次元の構造の中のどの構造に属するか、が調べられます。先号の説明によって、此処までが明らかになってきました。そこで今月は言霊タトヨの次の言霊ツの説明から始めることにしましょう。

 大戸日別の神・言霊
 大戸日別の神の大戸とは、生れ出て来る二番目の神、石土毘古(いはつちひこ)の神・言霊トの示す言霊五十音図の横のイ・チイキミシリヒニ・ヰの八父韻によって構成されている戸(と)のことです。そこから父韻である霊(日)が離れて出て来る(別)働き(神)ということ。何処に向って出て来るか、と言いますと、第三番目に生れて来る石巣比売の神・言霊ヨ、即ち五十音言霊図の縦の五母音の中のウオアエの四母音に向って、ということです。心の先天構造が活動して、父韻と母音が結び付いて現象子音を生みます。と申しましてもこれは先天構造内部のことで、人間の意識では認識出来ません。そこで現象界にバトン・タッチされて、先天の動きと同じような動きが繰り返されて起こり、その中から実際の意図が何であるか、の検討が行われます。未だ何だか分らない意図が石土毘古の神の十の戸を通り、石巣比売の神である四つの母音の中のどれと結び付くか、に向って大戸日別の神・言霊ツと進んで行く動きであります。
 言霊ツに漢字を当てますと、津(つ)、着(つ)く、付(つ)き、唾(つば)、終(つい)、費(ついえ)、突(つき)、……等が考えられます。

 天の吹男の神・言霊
 天の吹男の神の天は先天のこと。吹男とは四である四つの母音の女性に向って男である父韻を吹き付けるように発射する様子です。言霊テは手に通じます。吹き出された父韻はどの母音に着くか、手さぐりするように進みます。
 言霊テに漢字を当てますと、手(て)、照(て)る、寺(てら)、衒(てら)う、……等が挙げられます。

 大屋毘古の神・言霊
 大屋毘古の神の大屋は大きな建造物を意味します。吹き出された父韻が母音と結び付いて、一つのイメージを形成して行きます。心の中に出来上がってくるイメージを建造物に譬えました。
 言霊ヤに漢字のルビを振りますと、八(や)、彌(や)、矢(や)、屋(や)、焼(や)く、族(やから)、櫓(やぐら)、養(やしな)う、安(やす)い、痩(や)せ、……等となります。

 風木津別の忍男の神・言霊
 風木津別の風は霊を表わし、木は体または物質を表わします。忍男とは押し出して来る言霊の意。一つの建造物の如くイメージとなってまとまって来ましたが、霊と体(物質)との区別をチャンと持ちながら、それぞれの内容が次第に鮮明に押し出されて来ました、の意です。先天の意図が何であるか、が一つのイメージとしてまとまって来たのですが、それだけでなく、霊的にも物質的にもその内容がどうなっているか、まで鮮明にまとまって来た、の意です。そういう全体の姿が温泉の湯の如くに湧き出した、の意。
 言霊ユに漢字を当てはめますと、湯(ゆ)、弓(ゆみ)、行(ゆ)く、斎(ゆ)、揺(ゆす)る、結(ゆ)う、夕(ゆう)、言(ゆ)う、……等があります。

 海の神名は大綿津見の神・言霊
 大綿津見の神とは大きな海(綿)に渡して(津)明らかとなる(見)もの(神)という意。大きなイメージが細い処を通って次第にまとまって来ます。それは細い川に譬えられます。そこでまとまったイメージは言葉が付けられて広い処へ出て行くことになります。広い処とは口の中です。そこが海です。川から海へ、その接点が「江」であります。
 言霊エに漢字を当てますと、得(え)、兄(え)、枝(えだ)、胞(えな)、餌(え)、酔(え)い、絵(え)、抉(えで)る、縁(えん)、笑(え)み、……等が考えられます。

 水戸の神名は速秋津日子の神・言霊、妹速秋津比売の神・言霊
 水戸とは港の意です。速秋津とは速やかに(速)明らかに(秋)渡す(津)という事。心の先天構造から発し、頭脳内の細い川と譬えられる処を通り、一つのイメージにまとまり、集約されて海に譬えられる口腔に辿り着きました。そこが港です。言霊ケとメは一つに集約される現象です。ここでも霊と体の区別は明らかで、言霊ケは気であり、主体であり、言霊メは芽であり、眼であり、客体であります。これまで言霊タから言霊メまでの十言霊の働きで、先天の意図がはっきりと一つのイメージにまとまり、次の段階でこのイメージに言葉が結び付けられます。
 言霊ケに漢字を当てますと、気(け)、消(け)す、毛(け)、蹴(け)る、煙(けむり)、……等があります。
 言霊メに漢字を当てますと、眼(め)、目(め)、女(め)、芽(め)、姪(めい)、廻(めぐ)る、捲(めく)る、盲(めくら)、恵(めぐみ)、召(め)す、……等があります。

    津島 またの名は
 天の狭手依比売(あめのさでよりひめ)
 以上お話してきました大事忍男の神より妹速秋津比売の神までの十神、タトヨツテヤユエケメの十言霊の精神宇宙に占める宝座、位置とその内容を表わす島の名前を津島と申します。津島とは渡し場の意。先天の活動が現象となり、その内容が頭脳内の狭い通路(川に譬えられる)を通りあれこれと検討され、次第に一つの明確なイメージにまとまって行くけれど、まだそのイメージに言葉が付けられるに到ってない状態、これから改めてそのイメージにふさわしい言葉が付けられる前段階であります。この場合の十音を未鳴と呼びます。まだ名としての言葉が結ばれていませんので、またの名を天の狭手依比売といい、秘められたものとして比売の名が付きます。狭手依(さでより)とは狭い通路を手さぐりで検討するの意であります。

 当会発行の言霊学の教科書「古事記と言霊」の中で現在お話申上げている「津島」の説明の終りに、私達がよく見る夢について簡単な解説を試みました。言霊学の講座の先天より後天の言霊が生れて来る消息をお聞き下さって、読者の皆様には夢と日本人の先祖が名付けたものの実相をよくお分かりくださった方も多いと思われます。夢とは先天が津島の段階に於てタトヨツテヤユエケメの十言霊の中の七番目の言霊ユと十番目の言霊メを結んで夢と名付けました。意識では捕捉出来ない先天の意図が津島の段階で次第に一つのイメージにまとめられて行きます。けれど津島の終る段階でもまだ言葉が結ばれません。その言葉を結び付ける作業(これを佐渡の島と言いますが)が津島の十音の作業の何処ら辺までを捉えているか、によって夢は正夢、逆夢、その他いろいろな夢の姿が変わって来ることになります。夢を考える上に於て参考になるや、と思い一筆文章にいたしました。

 神々の誕生といわれ、言霊子音の創生と呼ばれる章の中の、先天の意図のイメージ化の仕事である津島の解説が済みましたので、次に佐渡の島と名付けられる八つの子音の創生の項に入ることといたします。古事記の文章に入ります。

 この速秋津日子(はやあきつひこ)、速秋津比売(はやあきつひめ)の二神(ふたはしら)、河海によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、沫那芸(あわなぎ)の神。次に沫那美(あわなみ)の神。次に頬那芸(つらなぎ)の神。次に頬那美(つらなみ)の神。次に天の水分(あめのみくまり)の神。次に国の水分(みくまり)の神。次に天の久比奢母智(くひざもち)の神。次に国の久比奢母智(くひざもち)の神。

 この速秋津日子(はやあきつひこ)、速秋津比売(はやあきつひめ)の二神(ふたはしら)、河海によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、……
 先天の活動で生じた一つの意図が、津島と呼ばれる狭い川のような通路を通って次第にまとまって行き、速秋津日子(言霊ケ)、速秋津比売(言霊メ)の処に来て、その意図の霊体双方が確められたイメージとなりました。そこが川が海に臨む水戸です。この先は海に譬えられる口腔(海)にて言葉に組まれます。これより先の沫那芸の神以下が海です。

 沫那芸の神・言霊、沫那美の神・言霊
 先天構造のお話の所で伊耶那岐(いざなぎ)と伊耶那美(いざなみ)の婚(よば)い(呼び合い)で主体と客体が結ばれ、現象を生じる事を説明しました。この婚いの作業は先天内のことで、意識で捉える事は出来ません。この先天内の作業を現象界に於て再現するのが沫那芸、沫那美の働きです。津島内の作業で霊体共にハッキリとイメージ化された先天の意図を、今度はその意図を確実に言葉によって表現する作業であります。沫那芸の沫はアとワ、心と体、霊と体、主体と客体です。沫那芸の言霊クと沫那美の言霊ムで、イメージと言葉をクム(組む)働きであります。
 言霊クに漢字を当てますと、来(く)、区(く)、杭(くい)、組(く)む、食(く)う、悔(く)う、臭(くさ)い、熊(くま)、茎(くき)、雲(くも)、……等となります。
 言霊ムに漢字を当てますと、六(む)、向(むこ)う、剥(む)く、報(むく)い、麦(むぎ)、昔(むかし)、虫(むし)、婿(むこ)、惨(むご)い、迎(むか)える、……等があります。

 頬那芸の神・言霊、頬那美の神・言霊
 頬那芸、頬那美でイメージと言葉が結ばれ、この頬那芸、頬那美の所で実際に発音されます。発音に関係することを示すために「頬」(ほほ・つら)の字が用いられています。頬那芸の言霊スは巣、澄む、住むで動きのない状態、頬那美の言霊ルは流、坩堝で動く状態。双方が霊と体を受け持ち、具合よく行けば、物事はスルスルとうまく進行しますが、両方の中のどちらかが勝ちますと、理解し難くなります。言霊ルの方が勝つと、話に「立て板に水」の弁舌となりますが、早すぎて理解できなくなる場合もあります。言葉の廻しがスムーズで(ル)、しかも適当に間のある(ス)時、名演説となりましょう。
 言霊スに漢字を振りますと、主(す)、澄(す)む、巣(す)、州(す)、住(す)む・素(す)・吸(す)う、好(す)き、末(すえ)、廃(すた)れる、……等があります。
 言霊ルに漢字を当てますと、留守(るす)、坩堝(るつぼ)、……等があります。

 天の水分の神・言霊、国の水分の神・言霊
 水分(みくまり)とは水配(みずくば)りの意であります。天の、とは霊的なものを意味し、国の、とは体的なものの意を表わします。一つにまとまったイメージに沫那芸・沫那美、頬那芸・頬那美で言葉と結ばれ、さて発音しようとする時、そこで今までに加えて一段のエネルギーが必要となります。それは、言葉が結ばれ、此処で発音することになるのだが、こんなことを発音して相手にどう受け取られるかな、もっと気のきいた言葉はないのかな、と逡巡の気が動きます。それを「まあよいさ、言うだけ言ってみよう」と気を取り直させるには一段の気持の高揚が必要です。霊的に見ると以上のようなものですが、体的に言うとどうなのでしょうか。発音の際の口腔を動かす力の増強か、または口腔内の潤(うるお)いを増す唾(つば)の水気でしょうか。そのどれにしろ、霊的、体的に一段のエネルギーの補給が必要です。天の、と国の双方の水分とはこの作用の事を言います。
 言霊ソに漢字を当てますと、削(そ)ぐ、注(そそ)ぐ、添(そ)える、祖(そ)、麻(そ)、副(そ)う、衣(そ)、……等があります。
 言霊セに漢字を当てますと、背(せ)、兄(せ)、畝(せ)、瀬(せ)、急(せ)かす、攻(せ)める、咳(せき)、堰(せき)、関(せき)……等があります。

  天の久比奢母智の神・言霊、国の久比奢母智の神・言霊
 久比奢母智とは久しく(久)その内容(比・霊)を豊かに(奢)持ち続ける(母智)の意であります。イメージと言葉が結び付いた表現の内容は何処までも豊かに持続・発展して行きます。文化の発展とは言葉の発展であります。
 言霊ホに漢字を当てますと、穂(ほ)、火(ほ)、秀(ほ)、星(ほし)、帆(ほ)、頬(ほほ)、干(ほす)、……等があります。
 言霊ヘに漢字を当てますと、辺(へ)、屁(へ)、経(へ)る、減(へ)る、舳(へ)、凹(へこみ)、……等があります。

    佐渡(さど)の島
 以上の沫那芸の神(言霊ク)より国の久比奢母智の神(言霊ヘ)までの八神(八言霊)が宇宙に占める位置とその内容を佐渡の島といいます。佐渡とは佐(たす)けて渡(わた)すの意です。何を助けて渡すのか、と申しますと、先天の意図を一つのイメージにまとめたものに、その姿に見合った言葉(言霊を結んで実相を示す言葉)を結び、それによってそのイメージがそのまま正確に他の人に伝わるようにすることです。クムスルソセホヘの八言霊の働きによって、一つのイメージがその持つ霊と体の内容が正確に何処、何時までもそのまま伝わって行く体裁がととのい、口腔より発音され、口腔より空中に飛び出して行くこととなります。

 仏教で一般の人が仏道のお坊さんになることを得度と言います。度(ど)とは救(すく)う、または地獄から極楽(此世[このよ]から彼世[あのよ])へ渡すということです。仏教では人は本来生まれた時から既に救われている者と説きます。けれどその自覚がありません。自覚のない状態から仏教の定める方法によって修行し、その自覚を実現した時、その単なる自覚にとどまることなく、その心内の自覚を詩、文章またはその他の動作、絵、彫刻によって表現出来た時、初めて「救われた」ということになります。自覚のイメージ内容に言葉を結んだ時、自覚は成就することとなります。この様にして表現された詩を仏教で偈(げ)または頌(しょう)と呼びます。

 古事記の神々の創生の文章を先に進めることにしましょう。
 次に風の神名は志那都比古(しなつひこ)の神を生みたまひ、次に木の神名は久久能智(くくのち)の神を生みたまひ、次に山の神大山津見(おおやまつみ)の神を生みたまひ、次に野の神名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神を生みたまひき。またの名は野椎(のつち)の神といふ。
 この大山津見の神、野椎の神の二神、山野によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、天の狭土
(さつち)の神、次に国の狭土(さつち)の神。次に天の狭霧(さぎり)の神。次に国の狭霧(さぎり)の神。次に天の闇戸(くらど)の神。次に国の闇戸(くらど)の神。次に大戸惑子(おほとまどひこ)の神。次に大戸惑女(おほとまどひめ)の神。

  次に生みたまふ神の名は、鳥の石楠船(いはくすふね)の神、またの名は天の鳥船(とりぶね)といふ。次に大宜都比売(おほげつひめ)の神を生みたまひ、次に火の夜芸速男(ほのやぎはやを)の神を生みたまひき。またの名は火のR毘古(ほのかがやびこ)の神といい、またの名は火の迦具土(ほのかぐつち)の神といふ。

     大倭豊秋津(おほやまととよあきつ)
 右の文章の中の志那都比古の神より大宜都比売の神までの十四神が精神宇宙に占める位置とその内容を大倭豊秋津島といいます。これら十四神(十四言霊)は先天の意図がイメージ化し、そのイメージに言葉が結ばれ、発音され、口腔より空中へ飛び出します。空中を音波となり、または電磁波となり、あるいは光波となり飛んで行きますが、その形式は何らこの原則には関係ありません。空中を飛んだ言葉は人の耳(または人の五官感覚で捕捉され)で聞かれ、復誦・検討されて、「あゝ、こういう事なのか」と了解され、言葉としての役目が完了し、再び先天の宇宙に帰って行きます。この一連の活動が十四の言霊によって行われます。そして十四言霊の中の初めの四言霊フモハヌが空中を飛ぶ時の言霊の働きであります。十四の神名、十四の言霊について順を追って解説して参ります。尚、十五番目に生れて来ました火の夜芸速男の神については、大倭豊秋津島の十四神の解説後にお話申上げます。

  風(かぜ)の神名は志那都比古(しなつひこ)の神・言霊
 人は言葉を発してしまったら、それでその言葉と縁が切れる訳ではありません。志那都(しなつ)とは先天の活動で発生した意図(志)の内容である言霊のすべて(那)が言葉(都=つ・霊屋子=みやこ)となって活動しています。風の神とは人間の息のことでありましょう。言霊フはその心を表わしています。
 言霊フに漢字を当てますと、経(ふ)る、吹(ふ)く、古(ふる)い、伏(ふ)す、踏(ふ)む、更(ふ)ける、……等があります。

  木(き)の神名は久久能智(くくのち)の神・言霊
 久久能智とは久しく久しくよく(能)智を保っていると解釈出来ます。木の神とは木は気で霊を表わします。空中を飛ぶ声は何処までも人の気持を乗せて飛びます。言霊モは森(もり)・杜(もり)・盛(も)る等に見られる如く木が繁茂する姿です。
 言霊モに漢字を当てますと、藻(も)、裳(も)、燃(も)え、申(もう)す、潜(もぐ)る、……等があります。

 山(やま)の神名は大山津見(おほやまつみ)の神・言霊
 以前にもお話したことがありますが、山の語源は八間(やま)です。八つの父韻の活動を図示しますととなります。この間(ま)の中に父韻のそれぞれが入ります。この正方形の四つの直線が交差する中心点を持って、図形の面より直角方向に引き上げて出来る立体図は山の形であります。宗教で謂う最高創造主神、伊耶那岐の神(言霊イ)の実際の働きである八つの父韻は一切の言葉の根源であります。そこで大山津見とは大いなる八つの父韻の働きが現われて、はっきり見えるようになった神、の意で、大山津見の神とは言霊ハであります。言霊ハを生む父韻ヒは父韻説明の章で「物事の表現の言葉が精神宇宙の表面に完成する韻」とお話しました。これと比べると納得行く事と存じます。

 野(の)の神名は鹿屋野比売(かやのひめ)の神またの名は野椎(のつち)の神・言霊
 鹿屋野比売(かやのひめ)の鹿屋は神屋(かや)のことで、神の家、即ち言葉のことであります。この神は志那都比古、久久能智、大山津見、鹿屋野、と口腔で発音され、空中を飛んでいる状態の中の最後の神、フモハ言霊に続く最後のヌ言霊であります。フで風の如く吹き出され、モで木立の中を進み、山で上空に上がり、そして野の神として平地に下りて来ました。風、木、山、野と自然物の神が続きますのは、口腔から吹き出された言葉が外界という自然の中を飛ぶ事を示しています。そして最後の野の神として平地に下って来て、そこで言葉を聞く人の耳膜をたたきます。たたくので野椎と椎の字が使われます。フモハヌ以後の言霊は十個ありますが、すべて聞く人の耳の中の現象です。
 言霊ヌに漢字を当てますと、貫(ぬ)く、抜(ぬ)く、縫(ぬ)う、温(ぬく)い、野(ぬ)、額(ぬか)、糠(ぬた)、脱(ぬ)ぐ、……等があります。

(以下次号)