「コトタマ学とは」第二百十七号 平成十八年七月号 | ||
前号の布斗麻邇講座で「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天の御中主の神(あめつちのはじめのとき、たかまはらになりませるかみのみなは、あめのみなかぬしのかみ)」の文章を、「何も起こらない心の広い広い宇宙の中に、何か分からないけれど、人の意識の芽とも言った現象の兆しが起ころうとした時」と解説しました。そしてそれは広い宇宙の中のことでありますから何処をとっても、それは宇宙の中心であり、何かが起ろうとするのは、まぎれもなく「今」であり、「此処」である、と説明しました。天の御中主の神(言霊ウ)は何か分からぬが、人間の意識の芽のようなものであり、やがては「我」という意識の始まりでもあります。 心の先天構造である、人間の意識では捕捉することが出来ない宇宙に、初めて何かが起ころうとする天の御中主の神(言霊ウ)を踏まえて、古事記の文章の次に進むことにしましょう。 「次に高御産巣日(たかみむすび)の神。次に神産巣日(かみむすび)の神。この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)に成りまして、身(み)を隠したまひき。」 「高御産巣日の神・言霊ア。神産巣日の神・言霊ワ」 事は心の先天構造という五官感覚では把握できない領域の話でありますから、手に取って見るような説明は難しいのですが、出来るだけ平易に説明してみましょう。高御産巣日・神産巣日とう二つの神名の指月の指から、その神名が心の何を指し示してくれているのか、を考えてみましょう。高御産巣日(たかみむすび)、神産巣日(かみむすび)という漢字を仮名に置き換えて書いてみます。すると「タカミムスビ」「カミムスビ」となって、高御産巣日の方が頭にタの一字が多いだけの事が分かります。後程お分かりになることですが、日本語の中に使われるタの一音は物事・人格の全体または主体として使われることが多い音です。そのタの一音以外では二神名は「カミムスビ」と同音に読めます。「カミムスビ」は「噛み結び」となります。噛み結ぶ、即ち緊密に結び合って何かを生み出すもの、更に一方は主体で、他方は客体であるもの、と言えば、それが何であるか、は想像がつきます。そうです。高御産巣日・言霊アは主体宇宙、神産巣日・言霊ワは客体宇宙であることを示しています。言霊アは心の先天構造内の主体宇宙のことであり、言霊ワは客体宇宙のことであります。 初発(はじめ)の心の働きの芽であり、兆(きざし)である言霊ウが始まろうとして、そこで止まってしまえば、次の段階のアとワ(主体と客体)への変化は起こりません。それが頭脳内に起こるということは、先天構造を構成している心の宇宙の内部で次の活動が起こったことになります。高御産巣日と神産巣日の二神が生まれ出たということ、即ち言霊アとワが現れ出たということは、言霊ウの宇宙が言霊アとワの二つの宇宙に分かれた、ということになります。この宇宙の活動はこの後も次々と他の宇宙を現出させることとなるのですが、この様な心の宇宙の中で次々とその宇宙が分かれて他の宇宙を生むことを言霊学は宇宙剖判(ぼうはん)と呼んでいます。剖判の剖は「分ける」です。そして判は「分かる」であります。 五官感覚(眼耳鼻舌身=げんにびぜつしん)でとらえられることが出来ない先天構造の中の内容の説明ですから、何とも心もとない、難しいことを言うようになりますが、ない能のあらましは御理解頂けることと思います。この宇宙のまだ分かれない未剖の言霊ウから言霊アとワの主体と客体に分かれること、この剖判が欠く事の出来ないに人間頭脳の働きの特徴であることに御留意下さい。この不可欠の特徴が人間の認識の作用上、重要な意義をもたらすこととなります。そのことについてお話することにしましょう。 先に「剖判」の剖は「分ける」、判は「分かる」と説明しました。人は何物か、または何事かに遭遇した時、これは何かと思うと同時に、その事物を頭の中で分析します。そして分けた部分々々を調べ、内容が「分かった」と納得します。分けなければ分かりません。分けるから分かるのです。この当り前と思える法則が人間に与えられた認識法則の最重要法則の一つなのであります。広い何もない宇宙の中に何か分からない意識の芽が芽生え始めました。言霊ウであります。意識が更に進展すると、言霊ウから言霊アとワ(主体と客体、私と貴方、僕と君、心と物、…)に分かれます。宇宙剖判です。ウからアとワに分かれました。初めのウとア・ワと数えて三つの言霊、神名でいう天の御中主の神、高御産巣日の神、神産巣日の神の三神を神道で造化三神と呼びます。物事の始まり、未剖のウからアとワの二言霊に分かれた事、この事は人間の心の営みのすべての始まりであります。 言霊の内容や働きを数(かず)で表わすと、これを数霊(かずたま)と呼びます。二千年以上昔に書かれました中国の「老子」という書物にはこの造化三神の法則のことを「一、二を生じ、二、三を生じ、三、万物を生ず」と言っております。造化三神の法則をお分かり頂けたでありましょうか。 造化三神の法則について、もう一つの重要な事をお話しておきましょう。近代の人々、特に現代人はこの造化三神の法則について、アとワ、すなわち主体と客体に分かれる以前に、主体未剖の言霊ウがあることを知らないで生きています。ですから、「私が彼に会った時」、「僕があの物を見た時」その時が物事の初めだと思い込んでいます。既に主体と客体に剖判した「私」と「貴方」から思考が始まります。言霊学的に見れば、ウ∧ワアの三者から始まる思考が、現代人はアとワ、主体と客体、の偶然の出会いからの思考と変わります。どちらでも同じなのでは、と思われるかも知れませんが、実際には天と地程の思考の差が生じて来るのです。この認識の違いが結果として人間の心の持ち方の上でどの様な事になるか、今の所では、読者の皆様の研究課題とさせて頂くことにしましょう。心の宇宙剖判が更に進んだ所で詳細な解説を予定しております。 言霊ウの宇宙が剖判して言霊アとワの宇宙か現われます。主体と客体です。主体アである私のことを昔は「あれ」(吾)といい、客体ワである貴方のことを「われ」と呼んだ時代がありました。今でも地方によって年寄りが「お前」のことを「われ」と呼ぶのを聞くことがありましょう。言霊アの内容として、漢字で書きますと、吾(あ)、明(あ)、灯(あ)等々が考えられます。また言霊ワには我(わ)、和(わ)、輪(わ)、枠(わ)等々が考えられます。 「この三柱(みはしら)の神は、みな独神(ひとりがみ)に成(な)りまして、身(み)を隠(かく)したまひき」 これも中国の「老子」の中の文章ですが、「谷神(こくしん)は死なず」とあります。アイウエオの母音は声に出してみると、どれも息の続く限り「アーーー…」と声が続いて変わることがありません。山の深い谷は木々に覆われて上から見ることが出来ないので、「身を隠したまひき」の母音宇宙の喩えに使われ、発音して変化のなく永遠に続くことから「死なず」と表現されました。山中の深い谷に水が流れ、宇宙空間の無音の音の如く響く母音は、宇宙であるから消え絶えることがない、と母音を説明した文章であります。二千年以上昔に、わが国の言霊学の影響を受けた老子がかくの如き言葉を遺した事から考えて、精神的に古代に於ける言霊学の他国に及ぼした影響の大きかった事が偲ばれます。 先天構造内の宇宙剖判が更に進展しますと、次に何が起こるでしょうか。古事記の文章を先に進めて行きましょう。 「次に国稚(くにわか)くして、浮かべる脂(あぶら)の如くして水母(くらげ)なす漂(ただよ)える時に、葦牙(あしかび)のごと萌え謄(あが)る物に因りて成りませる神の名(みな)は、宇麻志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。次に天(あめ)の常立(とこたち)の神。この二柱の神もみな独神(ひとりがみ)に成りまして、身(み)を隠(かく)したまひき。」 「浮かべる脂(あぶら)の如くして」 「水母(くらげ)なす漂(ただよ)える時に」 「葦牙(あしかび)のごと萌え謄(あが)る物に因りて成りませる神の名(みな)は、宇麻志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。」 【牛窓前を過ぐ】 五祖(法演和尚)が言った。「譬(たと)えば牛が窓前(そうぜん)を過(よぎ)って行った。頭角や四蹄が皆過ったのに、どうして尻毛は過ぎ去ることが出来ないのか」(無門関第三十八) 「天(あめ)の常立(とこたち)の神」 「この二柱の神もみな独神に成りまして、身を隠したまひき。」 「次に成りませる神の名は、国(くに)の常立(とこたち)の神。次に豊雲野(とよくもの)の神。この二柱の神も、独神に成りまして、身を隠したまひき。」 言霊エのエの音に漢字を当てはめると、選(え)らぶ、が最も適当でしょう。言霊ヱのヱには絵(え)、慧(え)が最適でありましょうか。
図に示されますように、これまでで四つ角母音宇宙が出現しました。そこでこの四個の宇宙からそれぞれ如何なる人間の性能が発現されて来るか、を確めておきましょう。 言霊ウの宇宙(先に発現時では何か分からないが、人間の意識の芽ともいわれるもの、と説明されましたが)、宇宙剖判が進展して行きますと、人間の五官感覚に基づく欲望性能が発現して来ます。そしてこの欲望性能は社会的には産業・経済活動となって行きます。 言霊アの宇宙からは、人間の感情性能が発現します。この性能は社会的に芸術・宗教活動に発展します。 言霊オの宇宙からは人間の経験知が発現します。経験知とは体験したものを、後で振り返り、記憶を思い起こして、想起した複数の経験の間の関係を調べる性能です。この性能が発展して社会的に所謂科学研究となります。 言霊エの宇宙から発現して来る現象は個人的には物事を円満に処理する実践智であり、これが発展して社会的になったものが一般に政治活動であり、道徳活動であります。ここで言霊オの経験知と言霊エの実践智とは全く違ったものである事にご注目下さい。 ここで、先に読者の皆様に研究課題として残しておきましたウ→アとワの宇宙剖判について説明申し上げることにしましょう。何もない宇宙の中に何か知れないけれど、意識の芽とでも言ったものが発現します。宇宙剖判が更に進みますと、言い換えますと、その芽に何かの意識が動きますと、その芽である言霊ウから瞬時に言霊ア・ワ、すなわち主体と客体となる宇宙が剖判し、現われます。主客の二つに分かれなければ、そのものが何であるか、は永遠に分かることはありません。そこで分かろうとすると、宇宙は更に剖判して、言霊オ・ヲが発現します。言霊オ・ヲは記憶であります。眼前にあるものが何であるか、は想起した記憶と照合されて、これは何々だと断定されます。 この時、人間の思惟は二つの方向に分かれます。この物事が何々だ、と断定された時、その断定された事物と主体である自分との対立という事態から思考が開始されますと、言霊オの領域に属する思考となります。この思考形体を図示しますと、 (次号に続く) |