「コトタマ学とは」第二百十二号 平成十八年二月号

   第五章 日本神道について
 現在の日本の神道は、「神社神道」と呼ばれています。神社神道が興る以前、その原型がありました。それが言霊布斗麻邇の学問であり、神社神道と比べて「古神道」といわれています。 古神道から神社神道へ、内容はどう変わったのかをお話することにしましょう。

   神様に対する態度
 現代人が神様(仏様)に対する態度は、どのようなものでしょうか。

 まずは神を信じること、次には神を信じないことの二種類が考えられます。その他に、「人間は誠心誠意励んでいれば、拝まなくても神は守ってくれるはずだ」という人がいます。この人も神の存在を心の底では信じているのでしょう。

 古代の日本人の神様に対する態度は、大変はっきりしていました。その態度は二種類あり、言葉の上で明快に区別されていました。一つは「斎(いつ)く」であり、もう一つは「拝(おろが)む」ことです。

 斎(いつ)くを説明しましょう。斎くの語源は「五作(いつく)る」です。五を作るとはどういうことなのでしょうか。そこに言霊が登場です。人間の心は五つの母音の重畳で出来ています。心の先天構造の項でお話しましたが、五官感覚による欲望の宇宙(言霊ウ)、経験知の宇宙(言霊オ)、感情が出て来る元の宇宙(言霊ア)、実践智道徳の宇宙(言霊エ)、それに創造意志の宇宙(言霊イ)の五段階の宇宙です。

 「五作る」の作るとは、よく理解して使い分けるという意味です。人は物事を考える場合、ともすると眼前の事態を欲望の問題として対処すべきか(言霊ウ)、過去の経験知に全面的に頼るのがよいか(言霊オ)、それとも感情の赴くままに解決すればよいか(言霊ア)……等々、問題の捉え方に迷って考えあぐむことがよくあるものです。この場合、人がもしそれぞれの異なる心の宇宙や次元を自分の心中にはっきり区別し、認識して、それぞれの次元の心がどう動くかのメカニズムの相違を熟知しているとしたら、その人はどんな問題にも気持よく対処して行くことが出来るはずです。迷うことはありません。

 そういう人間になろうとすれば、どうしても自分の心の中で、ウオアエイの五つの母音宇宙をしっかりと把握しなければなりません。この五つの母音宇宙を把握し、自覚することを「斎く」(五を作る)と名付けたのでした。この五つの母音宇宙を把握している人を、霊を知る人の意味で聖と昔の人は呼んだのです。斎くとは神に対する最高の態度であると同時に、神そのものの態度である、ということが出来ましょう。

 「拝む」に移りましょう。拝むとは神様の前で頭を下げて、誓いをしたり、ご利益を願ったりする態度です。今より二千年前、崇神天皇という天皇は、その時まで人間精神の構造を表し、日本の言葉の原典であり、政治の鏡でもあった言霊の原理を、天照大神という名の神様として伊勢の神宮に祭ってしまいました。それ以来、生きた聖がこの世に次第にいなくなっていったのです。人間の心の住み家である五つの母音宇宙(家・五重)のうち、人々は最高段階にある生命の創造意志(言霊イ)と、その意志の法則である言霊の原理に則って行う実践智(言霊エ)である英智の自覚を失ってしまいました。

 人々は生命を支配する法則と、その運用法である実践智の自覚を失った結果、その大きなものを神と見立てた神社の前で頭を下げ、身の安全と幸福を願い求めるより他に方法がなくなったのです。これが拝む態度です。

 古代には現代社会が持っているような物質科学や機械文明はありませんでした。だからといって、大昔の人が野蛮人であったのではありません。現代人が想像も出来ないような精神文明が花開いていたのです。その時代の人間の精神程度からすれば、現代人はやっとティーンエイジに届くか届かないかの「青二才」なのかも知れません。

 「拝む」と「愚か」とは語源を同じくしています。拝むということは神に対して愚か者のとる態度ということが出来るのです。  現代の科学は、まことに素晴らしい成果を人類にもたらしました。物質文明は、その頂点を極めようとする勢いです。と同時に、その半面、人類社会に大きな危険というお土産も持ってきました。原爆戦争・地球的規模の公害、その他種々のハイテクによる底知れない生命の不安等々。昔では考えられなかった問題が山積しています。譬えて言えば、人類を全滅させることの出来る殺人道具を運転管理しているのは、やっと年十歳に達した鼻たれ小僧というわけです。生命の法則である神を拝むのではなく、その法則を自己の心の中に自覚・実現する「斎く」人の世の中に早くなることを、世界の人々に大声で叫びたいと思うのです。

(次号に続く)

   日本と世界の歴史 その十二

   第一のキイ・ワード 日本の天皇(前号よりつづき)
 若し人間の生活から言葉(言語)を無くしてしまったとしたら、どうなることでしょうか。それは恐ろしい暗黒の世界とだけ言うことが出来る状況が現出するでしょう。考えること、表現すること、伝えること、生活のすべてを失うこととなりましょう。言霊学でいう心の住家である五段階の母音宇宙の畳(たたな)わりである言霊ウオアエイの最上段、言霊イの次元に言葉という性能があり、それは言霊イの道で生命であり、創造意志、言霊存在の次元であります。言語とは生命であります。言語の喪失は生命の喪失を意味しています。

 更に言語について考えてみましょう。日本人は普通生まれると日本語で育ちます。言いかえますと、日本人は日本語で人となります。アメリカ人はアメリカン・イングリッシュで、ドイツ人はドイツ語で、フランス人はフランス語で、……人となります。そしてそれ等世界の各民族の生活構造、思想体系、民族感情等もその人となった言語の影響を強く受けることとなりましょう。

 約一万年前、人の心とは何か、に疑問を持ち、考えられない程の長い研究の結果、大勢の聖の集団によって人間の心は「五十個の言霊(ことたま)とその五十通りの活動」であるという言霊布斗麻邇の原理として完全に解明されたのでした。時が来て、これ等の聖の集団は、人類の理想の楽園をこの地上に建設するために、この日本列島に下りて来ました。今より八千年以上前のことであります。聖の集団はこの日本列島に於いて気候・風土・風俗……等々を観察し、五十音言霊を組み合わせることによって日本語を作りました。心の先天構造を表わす十七の先天言霊と、その先天の活動によって生まれる三十二の後天現象の実相音を組み合わせた言語でありますから、言語そのものが物や事の実相(真実の姿)そのものを表わす言葉であります。言葉を聞けば、その言葉が事物の実相を表わし、その他に何らの説明も必要としない言語でありました。言霊(ことたま)のことを一音で霊(ひ)とも言います。日本語はその霊が集まり、活動する(霊駆[ひか]り)、即ち光の言葉でありました。

 聖(ひじり)の集団の代表者、統領をアマツヒツギスメラミコトと呼びます。アマツヒツギとは人間の心の先天構造を解明した言霊の原理を継承・保持する、の意であります。スメラミコトとはその保持する人間の精神の最高原理に基づいて、世界人類の心を統一する人、の意です。日本列島を根拠地とするアマツヒツギスメラミコトの世界統一の事業は、光が闇を消して行くように容易に進展して、世界全体が光に満ちた、平和で心豊かな精神文明の時代を形成するのにそう長い日月を要しませんでした。スメラミコトの位は代々その霊統ある人が受継ぎ、そのスメラミコトの君臨する日本の朝廷は霊の本(日本)として世界の精神文明の中核となり、約五千年にわたる人類の第一精神文明時代が続いたのであります。

 精神文明時代の終りに近い頃、世界の人々の眼が、その時まで長く人間の内面の心の方に向いていた関心の眼が、漸く人間の外面、物質世界の方を向くようになって来ました。人類の第二物質科学文明時代の始まりです。今より三千年前のことであります。世界に湧き上がる客観世界への関心の高まりを無視せず、これを人類の第二物質科学文明創造へと結びつけるべく、日本朝廷に於いても、物質科学研究を促進するために、第一精神文明の中核であった言霊布斗麻邇の原理を方便上社会の表面より隠すことを決定します。天皇と三種の神器との同床共殿制度の廃止の決定でありました。これによってスメラミコトの自覚の下に第一精神文明時代の世界統一と精神文明創造の根本原理であった言霊原理は、その後天皇の自覚を離れ、伊勢神宮に祀られる神として、天皇始め日本全国民の信仰の対象として崇められるようになったのであります。神倭皇朝第十代崇神天皇の時のことであります。

 この時以後、言霊原理の自覚に基づき、政治の全般を統率する天皇はいなくなりました。言霊の原理は信仰という菊のカーテンのベールの向(むこう)側の「なんだか分からぬが尊く威大なもの」、西行法師によれば「何ごとのおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」という感情を以って対するものとなりました。そしてその「尊く、威大なもの」を祭る大神主としての歴代天皇は、その神力を一身に集めていらっしゃる唯一人の人、即ち現人神として、これまた国民の信仰の対象としての尊敬の的となったのであります。この天皇の国家の地位を定める掟として編纂されましたのが、古事記・日本書紀の天照大神を最高神(皇祖)とする神話であったのであります。(記・紀は謎の片面として言霊原理の教科書であり、表面として現人神天皇の地位を定める明治憲法の原本でもありました。)

 以上、日本皇室と言霊原理との関係についてお話して参りましたが、この神器の同床共殿の廃止による変化は皇朝ばかりでなく、日本の国民にとっても大きな変化をもたらすこととなりました。それは日本の国民が、自らの国柄の真実と同時に、自らが日頃使っている日本語の起源についても、またその日本語が一度それを聞く時、物事の真実はその言葉の中に明らかに示されていて、余す所がないのだ、という重要な事実についても忘却してしまったことであります。十七の空相音と三十二の実相音によって造られた、かけがえのない真実を示す日本語と、それを使用する日本人の言語意識との間のギャップが大きく広がったことであります。私達日本人が日常使用する言語の中から「光」が消えてしまい、真実の光が言語の奥に潜在化してしまったことであります。真実と言語とのギャップは今日まで続いています。日本の国民の全体がこのギャップの総清算を迫られている時代が近づいていると申すことが出来ましょうか。

 人類の将来を占う為の三つのキイ・ワードの中の第一である日本の皇室並びに日本国民を、民族の精神生命である日本語の本質、即ち言霊の原理から見詰めて来た結果は、皇室に於いては「天皇空位」であり、日本民族は真実の自我、アイデンティティーの喪失の状態ということが、その答えとなって出て来たことになります。

   第二のキイ・ワード ユダヤ民族
 話をユダヤ民族に移しましょう。ユダヤ王モーゼが竹内文献に載るのは鵜草葺不合皇朝六十九代神足別豊鋤天皇の章に於いてであります。

 ユダヤ王モーゼ来る。天皇これに天津金木を教える。モーゼ故国に帰るに当り、天皇みことのりして曰く「汝モーゼ、汝一人より他に神なしと知れ。」)(または「汝モーゼ、汝とその子孫はすべての国の人々の守主(まもりぬし)となれ。」)そしてその上でモーゼに「子々孫々、世の人を導きて物質科学文明を建設し、その力を以って世界の国々を再統一せよ」と命令したと推察されます。

 右の天皇の言葉を聞かれて、読者の皆様はどう思いますか。一人の人間、または国王に「かくせよ……」と命令し、その命令通り三千年という長い間、その命令が命令された人の子々孫々に受け継がれ、今日に到るまで守り継がれるような事があるとお思いになりますか。またその命令が果たされる三千年の間、全世界の人々の心中に信奉する神が「モーゼ、汝一人だけなのだよ」と断定することなど出来るとお思いになれましょうか。「とても信じられない。馬鹿げた憶測だ」と思われるに違いありません。けれど、言霊学という人間精神の究極の構造を解明した学問に立脚し、その構造の中の言霊ウの次元の内容とその内容の自覚・運用法を身に体得した人には、それが可能であることを神足別豊鋤天皇はユダヤ王モーゼに教えたのです。

 神足別豊鋤天皇がモーゼに授けた天津金木とは、言霊学のアイウエオ五十音天津金木音図の原理そのものではなく、その音図の原理をヘブライ語の子音と数霊(かずたま)と組み合わせた法則に脚色したもの、即ちユダヤの謂う「カバラ」の原理のことだと推察されます。この原理はその内容を理解し、運用・活用の能力ある者に受け継がれて行きました。旧約聖書をご覧下さい。モーゼ以後、列記された予言者は皆霊能者であり、カバラの活用者であり、国の王、またはそれに近い位にあった人々です。モーゼ以来、その霊統は三千年余を途切れることなくカバラ運用者である予言者に受け継がれて今日に及んでいます。彼等は社会の表面に決して姿を現わすことなく、影の予言者であり、三千年の世界の歴史を創造する王の王、キング・オブ・キングズなのであります。

 彼等予言者の中からいくつかを選び、その予言を書き記し、彼等の現世界に於ける将来を占う参考にすることにしましょう。

 「これらのもの声をあげてよばはん ヱホバの稜威(みいづ)のゆえをもて海より歓びよばはん この故になんぢら東にてヱホバをあがめ海のしまじまにてイスラエルの神ヱホバの名(みな)をあがむべし われ地の極(はて)より歌をきけり いはく栄光はただしきものに帰(き)すと」(イザヤ書第二十四章十四節―十六節)

 「彼は海の間において美(うるは)しき聖山に天幕の宮殿をしつらはん然(され)ど彼つひにその終(をはり)にいたらん之を助くるものなかるべし その時汝の民の人々のために立ところの大いなる君ミカエル起あがらん是艱難(これなやみ)の時なり国ありてより以来(このかた)その時にいたるまで斯(かか)る艱難ありし事なかるべしその時汝の民は救はれん即ち書にしるされたる者はみな救はれん また地(つち)の下に睡(ねむ)りをる者の中衆多(うちおおく)の者目を醒さんその中永生(かぎりなきいのち)を得る者ありまた恥辱(ちじょく)を蒙(こうむ)りて限りなく羞(はづ)る者あるべし 穎悟者(さときもの)は空の光輝(かがやき)のごとくに耀(かがや)かんまた衆多(おほく)の人を義(ただしき)に導ける者は星のごとくなりて永遠にいたらん ダニエルよ終末(をはり)の時まで此言(このことば)を秘し此書(このふみ)を封じおけ衆多(おほく)の者跋渉(ゆきわた)らん而(しか)して知識増すべしと」(ダニエル書第十一〜十二章)

 もう三十年も前になりましょうか。東京新宿で日本・ユダヤ親善の日猶協会の主催の講演会を聞く機会を得て、私とは既に知人の仲にあったラビ、マービン・トケイヤー氏の講演を一時間半にわたって聴いた事がありました。その講演の中でラビは日本も昔はそうであった如く、ユダヤ民族は今でも宗教の祭と政治の政(まつりごと)が一致した祭政一致の国柄であり、政治と宗教とは切っても切れない間柄となっている国家である、と強調していたことを思い出します。今、ユダヤの祭事(まつりごと)と政事(まつりごと)との一致とは、日本から伝えたカバラの原理が基礎となっていることに思い当たります。ラビ、トケイヤーは「日本は敗戦以後は祭政一致の理想を捨ててしまったが、ユダヤにあっては今なお祭政一致であり、その制度によって宗教と政治と教育等が一つの方針の下に行われていることを誇らしげに話を進めていた事を思い出します。ユダヤ民族こそ世界で唯一つのこの美風の上で国家、民族が生きている事を言いたかったのでありましょう。この事からユダヤ民族の中での予言者といわれる人の国家における重要な位置について想像が出来るのであります。

 ここでユダヤ民族に委嘱された二つの使命、人類の第二物質科学文明の完成と世界各国の統一の事業の現状について検討してみましょう。人類文明始まってこの方、物質科学の発展が今日程目まぐるしい時代はなかったでありましょう。文字通りの日進月歩の速さで、息つく暇もなく変革に次く変革が続いています。進歩を代表するIT機器などは、新発売の品が数ヵ月後には旧式となり、古物化するような勢いであります。その様な進歩と並行して、資本主義の先進各国の事業所は安価な労働力を求めて工場を夫々後進国に移し、その結果、今までの後進国は急速な経済発展に潤(うるお)い、その結果が更に大気汚染、地球温暖化の進行速度を早めています。昨今、今更の如く、新聞各紙は北極の永久凍土の氷が溶け始め、その影響のための被害が各地に起こり始めている現状を報道しています。物質科学の今後の発展は、物質科学研究だけの分野では進行出来ない事、発展の近い未来に暗雲が漂っている事に目を向けない訳にはいかない状況となりました。

 もう一つのユダヤの使命、世界の再統一の事業の現状はどうでしょうか。アメリカは世界の国々の多くの反対を押し切って、「大量破壊兵器保有国イラク」に侵寇し、約一ヶ月で全土を掌握しました。けれどお目当ての大量破壊兵器は発見できませんでした。その後のゲリラの果てしない自爆攻撃を受けて、他国ばかりでなく自分の国の国民からも早々の撤退の声が挙がっています。この戦争で一番ひどい目に合ったのは戦土となったイラク国民です。そして二番目に「こんな筈ではなかったが」の思いをさせられたのは侵寇したアメリカ、そしてその統領ブッシュ氏ではなかったでしょうか。大統領への支持率の低下、政府の国庫赤字の増大、喜んでいい結果は余り見つからない現状の中で、アメリカをそそのかし、軍事力の全機能を挙げてイラク全土を占領させ、その占領によってアラブ諸国が密集している中東地域の略々(ほぼ)中心にあり、また豊富な油田地帯であるイラクの土地をわが管理下に置くことに成功したユダヤにとっては、近来にない政治的勝利であったでありましょう。極めて近い将来、このイラクにある程度の平和な民主国家が出来た時、イラクを取り巻くアラブ系諸国の政治状況は大きな影響を受け、少なくともユダヤにとっての「世界再統一」のためには画期的な朗報となりましょう。そこで後に残るのは、イランと北朝鮮二ヶ国位となりましょう。

 このように見て来ますと、ユダヤの使命である世界再統一の事業の終着点は既に目睫の間に迫った、ということが出来ます。始祖モーゼが神足別豊鋤天皇より委嘱を受けてより三千有余年、遂にその物質科学文明の完成と世界の再統一の事業を成し遂げて、使命拝受の国、日本に報告(かえりごと)に来る日はそう遠いことではなくなりました。その時まで、ユダヤのキング・オブ・キングズと呼ばれる予言者は、現在、アメリカ東部のニューヨーク辺りに住居して、目的達成までギリギリの努力を傾け、時来たらば居をこの日本に移し、二千年以上前、祖国滅亡後、東進し、日本に帰化し、日本民族として長い間、祖国より西進し、世界を経廻って来る兄弟を日本の地で待っている、その日本に於いて兄弟相会する為に舞上がって来ることとなりましょう。そして二千年余離れ離れになっていた兄弟相たずさえて「聖なる山の麓に神の幕屋を建てて」喜び勇むことでしょう。

 何故ユダヤはその使命終了後、日本へ来ることを願うのでしょうか。それは勿論彼等の使命が日本の天皇から授かったものであり、三千年にわたる苦労の末に成就した使命の完了を持って、彼等の使命即ちその魂の故郷である日本に報告するためであります。と同時に、彼等はもう一つ、日本へ来る事に一つの期待を抱いている為ではなかろうか、と推察出来ます。その期待とは次のようなものであろうと推測します。先にお話しました如く、ラビ、トケイヤーはユダヤも日本も昔は祭政一致の国であった。けれど日本は敗戦によってその原則を失ってしまい、今はユダヤだけがその栄光を戴いている、と誇らしげに話すその裏で、祭政一致の原理を象徴する三種の神器、ユダヤで謂う三種の神宝が、ユダヤ王ソロモンの時、既に契約の箱の中に姿がなく、失われてしまっており、逆にその神宝に当る三種の神器(鏡・珠・剱)を日本の皇室が今尚保持している、という事実に限りないコンプレックスを持っているということでありましょう。

 彼等ユダヤが世界の中にあって常に不敗である原理カバラ、旧約聖書にあるヱホバの言葉「我は戦いの神、ねたみの神、仇を報ずる神なり」が示すごとく、戦争や競争に際して必ず勝つ原理であります。それはカバラの原本、日本の言霊学に於ける言霊ウ次元の心の働きに於いて、その父韻「キシチニヒミイリ」(カサタナハマヤラ)の内容を検討する時、戦争に於いて、商売に於いて、一切の競争に於いて絶対不敗の心の持ち方の原理であることが分かります。ユダヤはその原理を授かり、三千年の間、その原理の下に使命の遂行に当り、終に彼等の使命の全般の成就直前の所まで辿り着きました。彼等は三千年を不敗の過去として振り返りながら、その栄光への自信を深めていることでしょう。と同時に自らの使命達成の暁には、彼等の精神秘宝であるカバラの性能が一応そこで終了することをもう薄々感じとっているに違いありません。カバラは戦いに不敗の原理です。けれどすべてを打ち負かした後の、敵がなくなった後の、平和を永続させるべき原理ではないのです。彼等は彼等の使命完了の後の、即ち次の世の中の確実な保証が自らにはないことに気付かないはずはありません。昨年、イスラエル大使が四国の剱山に登った、という話を耳にしました。剱山は失われたユダヤ三種の神宝の中のアロンの杖が隠された所だと昔から伝説されている土地です。ユダヤのキング・オブ・キングズは第二世界物質科学文明成就の自信と成就以後の自らの運命への不安と期待を胸に、彼等の魂の故郷日本への上陸の時を窺っている、それが第二キイ・ワード、ユダヤの現状であります。

(次号に続く)

   お知らせ
 二月十八日の講習会はいつもの明石町区民館ではなく豊海区民館に変更しております。お間違えのないようにお越し下さいますようお願い申し上げます。

言霊の会