「コトタマ学とは」 <第二百六号>平成十七年八月号
   古事記(前号に続く)

 心の先天の二段階に入りましょう。何かは分らないが、心の中に生れようとする気配の宇宙である言霊ウは、次の瞬間、これは何だろうという意識が起こると同時にあなたと私、客体と主体に分れる、すなわち言霊ワとアに分れるということでした。

 「古事記」ではどうでしょうか。高御産巣日の神と神産巣日の神の二神です。この神の名前は当漢字のためにちょっと気付かないですが、読み方だけを取ってみますと「タカミマスビノカミ」と「カミムスビノカミ」となります。片方に「タ」の一字が有るか無いかの違いだけなのです。「タ」の音は言霊の学では純主体性を表わす音です。「カミムスビ」とは噛み合わさって結ぶという意味です。主体と客体が悩み合わさる。言い換えると主体と客体が感応同交して現象を生むために結ばれる宇宙という意味となります。これも正しく主体である言霊アと客体であるワを差し示している神名ということが出来ます。

 心の宇宙の中に何かの思いが起ろうとして、まだ実際には現れてこないうち、言い換えますと心の先天構造の内容を言霊で示した図を再び取り上げます(図参照)。

 このように言霊というものの内容を「古事記」の神様の名前が、一つ一つ神話の中の謎々の形で指し示していることが理解されてきます。筆者が「古事記」神代の巻は言霊の学問の手引書、教科書だという理由はここにあります。本書は「古事記」の講義書りでありませんから、言霊と神名を一つ一つ検討していくことはあまりに長くなりますので省略することにして、人間の心の先天構造を表わす言霊と「古事記」の神名の関係を右に示すに留めましょう。

 以上の説明でも現代の大方の人はあまりに唐突な主張とお思いになることでしょう。そこで右の図にある神名のうち、さらに二つばかりを取り上げて説明しておきましょう。

 言霊オ・天の常立の神
 従来の「古事記」の註釈書では「天の常立の神」を「天の確立を意味する神名」と解釈しています。言霊学でみるとどうでしょうか。言霊オとは過去の現象を思い出して、その現象同志の因果関係を調べる、いわゆる経験知の出て来る天の宇宙ということでした。天の常立の神という名前は、この経験知をよく表わしているではありませんか。宇宙大自然(天)を恒常に(常)成立させる(立)実体(神)であると「古事記」は説明しているのです。それは学問・科学そのもののことであります。

 言霊エ・国の常立の神
 言霊エの宇宙とは言霊ウ(欲望)・オ(経験知)・ア(感情)という人間性能のうち、今はどの性能で事に対処したらよいかの選択知、実践智が出て来る宇宙の次元です。この働きが社会的になったのが道徳であり、政治というものです。この働きを指示する「古事記」の神名は国の常立の神です。国家(国)が恒常に(常)成立する(立)実在(神)という意味であり、言霊エの宇宙の内容そのものではありませんか。「古事記」の神名が言霊を指示していることを証明する良い例でありましょう。

(次号に続く)

   日本と世界の歴史 その六

 先号において日本が第一精神文明の宗家としての国家から、第二物質科学文明世界の一国家に転身する際に起こった二大神霊現象についてお話をいたしました。一つは仲哀天皇の皇后、神功皇后に懸かった天照大神の神示による朝鮮侵寇には母君神巧皇后の御腹の中にいて朝鮮に渡り、吸収の海辺に凱旋してお生まれになり、皇位に即かれた天皇であります。天皇の御魂について堂々とエホバが日本の国土に上陸したと申して差し支えないでありましょう。この一事によって、日本の神霊界はエホバ神の下に統轄される時代となります。言い換えますと、日本国民の思想の基盤が福祉・調和の精神から生存競争の時代に移ったことを意味するという事になります。日本にこのような影響を及ぼすことになったエホバ神とは、その時まで日本以外の国、外国でどのような活動をし、どのような歴史を創造して来たか、を明らかにしておきましょう。

 須佐之男の命物質科学研究集団が、鵜草葺不合皇朝の中葉、高天原日本の精神文明一辺倒の社会体制に飽き足らず、心とは違った物質特有の法則を求めて、「神逐い」の形で日本から外国に発進して行ったのは、今より四乃至五千年前のことでありました。その集団の物質法則の研究は、初めのうちは幼稚で、精神法則を物質研究に応用するに過ぎませんでしたが、年月を経るにつれて独特の研究法を身に付けて行きました。物の研究は破壊・分析を事とします。その研究態度は人間個人の好奇心を刺激し、経験知を競い合い、自己主張を奨励します。この研究態度が世界各地の人々に次第に影響を与え、社会全体が協調より競争の風潮に変わって行きました。言霊学的に言えば、人に与えられた性能、言霊アオウエイの五性能協調から、言霊ウ(欲望)と言霊オ(経験知)の叛逆独走の世に変わろうとする勢いとなりました。

 外国に於けるこの社会風潮に拍車をかける集団が誕生したのは三千余年前のことであります。葺不合朝六十九代神足別豊鋤天皇によって任命、委任されたイスラエル王モーゼとその子孫である予言者達であります。豊鋤天皇より賜った「汝、国々の人々の守り主となれ」また「汝モーゼ、汝一人より他に神なし、と知れ」とのお墨付を心に銘じ、その戦略として授かった天津金木(カバラ)を以って心の武装をした強力集団の登場であります。神足別豊鋤天皇とイスラエル王モーゼとの契約(委任)の約束、これを旧約と言います。(日本天皇とイエス・キリストとの契約、これを新約と呼びます。)かくてイスラエル(ユダヤ民族)はこの契約のために神撰民族と呼ばれるのであります。

 モーゼとその子孫は、エジプト脱出以後、蜜とミルクの流れる地にイスラエル国家を樹立する。その国家は繁栄し、ダビデ王、ソロモン王の時その繁栄は頂点に達した。園頃、民族の宝である三種の神器(アロンの杖、黄金のマナ壷、十戒石)が日本に返還された、と伝えられている。その理由は明らかでないが、旧約聖書は「ダビデ王の時に三種の神宝は契約の厘(はこ)の中にあったが、ソロモン王の時、その中に神宝はなかった」と記されております。この事実がイスラエル民族のその後の運命に重大な影を落とすこととなります。その後、国家イスラエルとユダヤの両国は分裂し、やがて両国とも滅亡することとなります。

 先に民族の宝である三種の神器を失い、次いで民族の領土をも失ったユダヤ民族は、それを契機にモーゼとその子孫に課せられた神足別豊鋤天皇との契約・委任の本筋の仕事に従事して行くこととなります。彼等の神エホバは、彼等の領土を奪うことによって、彼等を全世界に散らし、他民族の中に入らせ、人類の背後に立たせることによって、エホバ本来の、究極の目的を速やかに達成させる為に活動を開始したのであります。究極の目的とは何か。先にお話しましたように、この世界を生存競争の場に追いやり、弱肉強食の死闘の中から物質科学文明を創造し、その人類の第二物質科学文明建設の目的で彼等民族を世界の人々の活動の中核として使うためであります。ユダヤ民族の流浪が始まります。

 初めエホバは愛の神、慈悲の神でありました。それがこの時以来、彼の部下である五大天使、ガブリエル、ラファエル、ミカエル、ウリエル、ルシファーの中のルシファーを悪魔(サタン・言霊ウ)に変身させて地に降ろし、人の魂の中に入り込ませて、生存競争を煽ったのであります。エホバが妬みの神、戦いの神、報復の神となった事であります。日本に於て須佐之男の命が高天原の精神体制へ叛逆したことと、エホバが悪魔となって第二物質科学時代に君臨したこととは、全く同一の事実の表現であり、須佐之男の命とエホバは同一神だということが出来ます。この時以来、世界は生存競争一色の社会に移って行きます。

 国土を失ったユダヤ民族は、彼等の指導者である予言者の神示(黙示)に従って東へ、西へ民族移動を開始します。その旅の目的について旧約聖書は次のように書いています。「この故にんなじら東にてエホバをあがめ海のしまじまにてイスラエルの神エホバの名をあがむべし。われら地の極(はて)より歌をきけり。いわく栄光は正しきものに帰すと。」(イザヤ書24書15節)「彼は海の間において美しき聖山に天幕の宮殿をしらわん。……その時汝の民の人々のために立つところの大いなる君ミカエル起きあがらん。……」(ダニエル書11章45節)。

 ユダヤの十二部族の中の宗教的なレビ部族は予言者の黙示に従って東に向かい、所謂シルクロードを通って極東に進み、中国や朝鮮を経て、最後の目的地日本に渡来し、日本民族に帰化して行ったのであります。歴史者はこのように移動、帰化した人々を朝鮮人または中国人と書いていますが、実際は古来からの東洋人ではなく、西方から移動してきた異民族(ユダヤ人、またはその混血人)の人々であります。この帰化人達は次第に日本の社会に於て頭角を現わし、政治・経済の主要な地位について行きました。すべては彼等の神エホバの為す業であったのです。

 朝鮮半島侵寇後、即位された応神天皇の時代は、以上お話いたしましたユダヤ民族の東への移動が盛んになった時に当ります。この時より日本は圧倒的な外国の文物の移入の時代を迎えることとなります。応神天皇を御祭神とする八幡様(エホバ神)がこの時より各地に祭られ、日本の人々に最も親近な神社となって行くことも理解されるでありましょう。帰化ユダヤ人は完全に日本民族と同化し、その後の日本文化に多大の影響を与えることとなります。

 そしてかくの如くユダヤの宗教的レビの一族が西方から東に一直線に向かい、早々と日本に帰化、活動したのは真実には何を目的としたものであるのか、が問題となるわけであります。その真実の証明は、この時より千六百年後の現代に於て成せるべき歴史的計画に基づく出来事なのであります。

 国土を失ったユダヤ民族のレビ族以外の十一部族は、レビ族とは反対に西に向って移動を始めます。そして文字通りヨーロッパ世界諸国の人々の中に入り、その優秀な頭脳・手腕を発揮して各民族の主要ポストを掌握し、競争社会を煽動し、物質科学の発展の先駆を務め、その成果として築き上げた冨を以って世界の再統一を実現するもう一歩手前という所まで到達しているのであります。そして至らば、一気に太平洋を渡り、先祖モーゼの魂と使命の故郷、日本に到着する準備を着々と進めています。その日本には、遠く二千年以前、地球を東廻りして人に到達し、西漸の同胞の到着を待つレビ一族の末裔が待ち受けています。彼等の神足別豊鋤天皇との旧約はそこで完遂となり訳であります。……以上が日本国歴史の重要な転換点応神天皇即位の状況の真相を明らかにするためのユダヤ民族の三千年の歴史についてお話を手短に申上げました。御理解頂けたでありましょうか。

 話題を変えましょう。第一精神文明時代から第二物質科学文明時代へ転換するために、高天原日本の朝廷では種々の施策を講じました。その施策について説明することとします。第二物質科学文明を促進するためには、生存競争社会が必要です。第一精神文明の根本原理であった言霊布斗麻邇は世の表面から隠さねばなりません。しかし、そうなると世の中の人は頼るべき精神支柱を失って三千年にわたる物質科学文明時代を生き長らえることが不可能な事態に陥ることが考えられます。それは何とも防がねばなりません。そこで創設されたのが現代に伝えられる佛儒耶等の宗教であります。竹内古文書には釈迦、老子、孔子、イエス・キリストの来朝の事が記されています。日本朝廷は言霊原理の言霊ア次元を中心とした精神修業を、それぞれの宗教教祖の生国の実情に合わせた信仰論理として教え、故国に帰ってからは精神的混乱の二・三千年間の民衆の心の支えとなる活動を委託したのでありました。この事は先にお話しました。

 言霊布斗麻邇の原理とそれによる世界統治の業を日本古神道と呼びます。これを隠没させるに当り、新しく神社神道を創設しました。言霊の原理そのものは隠し、その象徴や儀式形態のみを以ってする宗教を創設し、人心の安寧に寄与させたのであります。その時以前、日本の古代に於ては人が神を拝む風習はなかったのです。それ故、神社神道では儀式の形式に言霊原理の象徴を形にしたものを取り入れ、また儒教・仏教の儀式を真似て信仰形式としたものであります。

 今から二千年前の日本民族伝統の言霊原理の隠没は、物質科学文明創造を促進する為の、いわば方便としての隠没であります。この世から抹殺することではありません。物質科学文明完成の暁には再びこの社会に復活させなければなりません。よく引用することですが、大本教教祖のお筆先「知らしてはならず、知らさいてもならず、神はつらいぞよ」と言った具合のものです。そこで私達日本人の祖先の聖の人々が採用した手段は驚く程巧妙なものでありましたる先に説明したものと合わせて、ここに列記することにしましょう。

 一、言霊原理を隠没させるに当り、ただ世の中から人知れぬ処に隠してしまうのではなく、伊勢神宮に信仰の対象となる神の形で御神殿の奥深く御神体(八咫の鏡)として祭祀したのでした。また伊勢神宮本殿は唯一神明造りと呼ばれ、後世ひと度言霊原理がこの世の中に復活して来た時、その構造と言霊原理とを合わせ考證するならば、直ちにその学問体系と本殿の構造とが一つのものであることが分かるよう造られていることであります。(「コトタマ学入門」第七章「伊勢神宮と言霊」参照)

 二、宮中における諸儀式の形式はすべて、ただその形だけを見る限り何の意味かは全く分かりません。まるで猿芝居に等しいように思われます。けれど言霊原理が復活し、その観点より見る時、宮中の諸行事の形式が言霊原理に基づく厳正な表徴形式であることが明らかとなります。更に天皇即位時に於ける大嘗祭、皇太子の立太子式に於ける壷切りの儀等は一見してその意味と内容が明らかになるよう定められたものであります。それによって日本天皇の真の意義・内容が言霊学によって定まることが示される明らかとなります。

 三、右のような諸施策の最後に(奈良時代の始め)言霊原理を後世に遺す決定的な作業が行われます。今より千三百年前の古事記と日本書紀の編纂であります。記紀の神話は単なる神話ではありません。神話の形をとった言霊学の日本、否、世界唯一の教科書であります。古事記の「天地の初発の時、……」より神話の最後の「鵜草葺不合の命」まで一貫した言霊学の黙示形式の教科書です。「歴(れっき)とした高位の朝廷の役人である太安万呂が天皇の命を受けて編纂した古事記が謎々を満載した本だ、なんて、とても本当とは思えない」と思う人も多いことでしょう。けれどこれは紛れもない事実なのです。古事記神話の黙示がすべて解釈され、現代語書き表わされた現在、古代の日本人が発覚した人間の「心と言葉」の壮大で厳密な全容が掌にとる如く明らかになった現在、それは否定することが出来ない事実なのです。そしてその事実を知るにつれて、渡した日本人の祖先が計画した専念を単位とする先見的施策が余りにも精確なことに驚く他はないと気付くこととなります。

 以上は言霊原理隠没後、後世に向って行われた「官」の仕事でありますが、その他、それぞれの因縁で、またそれぞれの精神修業の途上で言霊学の存在を知り、それぞれの分野でその真理を後世に伝えるとこに務めた人々の名前を列挙しましょう。役の小角(えんのおずぬ)(諸国を遍歴し、言霊五十音を一つづつ神して神社を創設した)、空海(真言密教の中に真言(まな)である言霊原理を織り交ぜ、この世の言葉の奥にある言葉を説いた)、菅原道真(今に遺る五大おとぎ話の作者と伝えられる。おとぎ話として言霊学から見た歴史の将来を予見する物語を作り、口伝えの形式で原理を後世に遺した)、日蓮(法華経の名の下に、日本の真実の存在とその復活を暗に教える説法を行った)、……等々。これ等の人々は言霊布斗麻邇の存在を知りながら、彼等の生きた時代が言霊原理を明らさまに言及してはいけない時であることを知っていて、説くことを遠慮したのであります。

 以上の諸聖賢の言霊学に関する後世への諸施策については、当会発行の書籍や会報で縷々(るる)述べられておりますので、詳細はそれによって御理解を頂ければ幸いと思います。この号ではそれ等施策の中から一つだけを取り上げ、言霊原理が文明創造の原器として生きていた時代と、隠没・忘却されて、人の意識の底に沈んでしまった時代では物事がどの様に変わるかを浮き彫りにしてみることにします。

 取り挙げますのは伊勢神宮本殿の床中央の真下(床下)に立てられている心柱(しんばしら)(忌(いみ)柱・御量(みはか)り柱とも呼ばれます)であります。この心柱は神宮の中で最も尊い、神秘なものと言われるものです。それは内宮と外宮で長さが違う四角の柱で、内宮は六尺余、外宮は五尺と少し、ということです。実は昔は内外宮共長さ五尺であったそうです。鎌倉時代の記録にそう記されている由です。そしてその柱の立て方が奇抜なのです。五尺の長さの内、下の二尺が地中に埋められています(図参照)。二十年毎の遷宮に当り、今まで本殿のあった敷地の隣の空地に、新しい本殿が建設され、内部の調度品等も新しく整えられた後、遷宮の最後の行事として、五尺の心柱が右敷地より移されるそうであります。それは真夜中に、特別に限られた少人数の人々によって行われます。心柱の引越しが終りますと、今まであった本殿と附属の建物は全部取り払われ、全くの更地となるのですが、心柱の立てられていた所だけはそのまま残され、蓋をされて二十年後の遷宮までそのまま在続するそうであります。

 何故その様なことをするのか、心柱の意味・内容如何、は今では誰も知らないようでありますが、言霊学の視点から見れば極めて明瞭に説明出来ます。本殿床上の中央に祭祀する天照大神の御神体、八咫の鏡は五十音言霊をもって組立てた精神構造、天津太祝詞音図(あまつふとのりと)を象徴します。その床下、真下に立てられた心柱は天照大神の父君、伊耶那岐の大神を表徴します。その精神構造を示す天津菅麻(すがそ)の天之御柱の母音は上よりアオウエイと並びます。図の心柱(御量柱)が示すように、五母音の中の下のエとイの二言霊が地表下に埋められていることを物語ってくれます。人間に生来授けられている基本的な五つの性能、ア(感情)、オ(経験知)、ウ(五官感覚に基づく欲望)、エ(実践智)、イ(創造意志・言葉)の中のエ(実践英智)とイ(創造意志・言霊原理)の二性能が、言霊原理の使用を停止され、その原理を伊勢神宮の神としてお祭りしてしまった崇神天皇の御宇以後は、社会・人類の意識・自覚の下に埋没されてしまい、忘却されたことを明示しているのであります。残された三つの性能ア(感情・宗教・藝術)、オ(経験知・学問・科学)とウ(欲望)だけの意識によって人生を考え、社会や世界のこと思うことしか出来ない時代となりました。愛は口にすることが出来ても、霊(言霊)の活用という「光」を失った薄暗い世の中を生きなければならなくなりました。物質文明が完成する時まで、人はこうなのだよ、と伊勢神宮の心柱は人類に呼びかけているのです。

 言霊の原理が人間の意識の底に隠没してしまった社会はどのように変わったでしょうか。
 人間の生命が持つ根本性能、これを神と呼ぶならば神とは「斎く」(五作)ものでした。アオウエイ五次元の畳わりである根本性能の自覚を自らの中に築くことだったのです。その結果、人は神であることを知ったのです。言霊原理の隠没はその神は人間の自覚から離れ、人の外にある存在と思われるようになりました。人は神を「拝(おろが)む」事となったのです。人は神社に神様を祭ることによって真実の神を失ってしまいました。

 昔の人はアオウエイ言霊五十音が人間生命の今・此処に於て活動し、それによって生きていることの実感を持っていました。その生活は抜けるように明るく、大らかなものでした。原理隠没後、人は過去と未来は明瞭な意識を持ちますが、肝心な今・此処の意識は霧に包まれた如く曖昧な眠りに入ってしまいました。人は過去の因果を今・此処に於て清算し、生まれ変わった如く将来を創造するものです。しかし如何にも残念なことですが、今の意識を失った結果、常に過去の因縁を引き摺ったまま明日を迎えなければならなくなりました。人は生ある限り因果の糸車を廻さねばならなくなりました。末法時代の第一人者、親鸞上人の「久遠劫より今まで流転せる苦労の旧里はすてがたく、いまだ生まれざる安養の浄土はこれひしからずさふらふこと、まことによくよく煩悩の興盛にさふらふはこそ」の言葉が思い出されます。英語のscienceを科学(科の学)と訳したのが誰だか、私は知りません。けれど人類の第二物質科学文明創造の意義・内容を知る時、これ以上の物語を見つれることは不可能ではないか、と思うのは私一人ばかりではありますまい。

 今、此処の自覚は古事記の天の御中主の神の神名が示すように宇宙の中心の意識に通じます。この宇宙の目で見る時、人は物事の実相(真実の姿)を見る事が出来ます。何人、何十人集まろうとも、一つの出来事を見た内容は一つであります。言霊原理隠没以後に於ては、人は自らの経験知の観点から物事を見るようになりました。その結果は十人十色の判断を生むこととなります。この結果から来る人間社会の混乱、国際間の紛争は全く目を蔽いたくなるばかりです。社会、世界の混乱の原因が自分自身の物の見方に責任があるという本質に気付く人は極めて稀であること、について如何お考えでありましょうか。

(次号に続く)