「コトタマ学とは」 <第二百四号>平成十七年六月号 | |||
人類がその第一精神文明時代を終了し、第二物質科学文明時代に突入して行ったのは、今から約三千年前と推定されます。この人類歴史創造の方針の転換は、高天原日本の朝廷に於ける各天皇の並々ならぬ人間生命への洞察と、歴史創造の精密、大胆な準備の下に行われたのであります。決してその場、その時の思いつきなどではないことが窺えます。そのことを証明する二つの出来事をお話申上げることにしましょう。 その第一は大祓祝詞(おおはらいのりと)またの名、天津太(ふと)祝詞の制定年代とその内容についてであります。この祝詞は昔から朝廷に於て年々六月と十二月の晦(つもごり)の大祓の儀式に唱えられて来ました。この祝詞が何時制定されたか、正式な記録はありません。民間に伝わる歴史である竹内文献・阿部文献によれば、鵜草葺不合(うがやふきあえず)皇朝第三十八代、天津太祝詞子(あまつふとのりとご)天皇がこの祝詞を制定したと伝えられています。神倭皇朝第一代神武天皇即位より遡ること約千年、今より三千七百年前と推定されます。その後、鵜草葺不合朝より神倭朝に替わってからもこの祝詞は朝廷に於て使用され、最後に六九○年頃、柿本人麻呂(ひとまろ)の修辞によって今日詠まれるような美文になったのであります。 現在唱えられている大祓祝詞の美文も、現代の国文学的知識ではその内容を窺い知ることはほとんど不可能に近いと言ってよいものでありますが、言霊学を知る人なら比較的容易にその意味・内容を解釈出来ます。今、此処でその内容を平易に箇条書きにまとめてみると、左の如くなります(会報百五十二号参照)。 一、古事記に記されている邇々芸命(ににぎのみこと)とその集団がこの日本列島に天孫降臨して、日本の国を肇国、建設し始めた時の歴史的状況。 以上の如き内容が簡潔明快に述べられています。ここで先ず注目すべきことは大祓祝詞制定の時でありましょう。鵜草葺不合皇朝三十八代天津太祝詞子天皇の御宇(みよ)、神倭皇朝初代神武天皇即位一千年前、更には今より三千七・八百年前といえば、人類の第一精神文明の絶頂期の只中でありましょう。その精神文明の成熟の時に、既にその精神文明の次に来るべき時代の精神の混乱とその状況を正確に捉え、それに対する処置法を明示しているのであります。精神文明時代に於ける諸天皇の歴史に対する炯眼と、その将来に対する洞察の正確さには驚嘆に値するものがあると同時に、人類の歴史創造の御経綸が単なる思い付きのものではなく、「人とは何ぞや」を究極まで追求した言霊学の原理に則る計算し尽くされた計画であることが理解されるのであります。 「天網恢々疎(てんもうかいかいそ)にして漏(も)らさず」という言葉があります。人間個人々々が、その好奇心の赴くままに如何なる行為に走ろうとも、皇祖皇宗の人類歴史を創造する御経綸を何一つ乱すことが出来ず、その天の網(あみ)は音もなく、姿も見えぬけれど、全宇宙の規模にわたり、着々と遂行されていきます。中国の小説「西遊記」の中の孫悟空が、阿弥陀様に叛逆して、金斗雲に乗って飛ぶに飛んだけれど、阿弥陀様の掌(てのひら)(たなごころ・田名心)から抜け出すことが出来なかった、とあります。皇祖皇宗の人類歴史創造の御経綸は全宇宙の規模で張り巡らされた天網であり、光の網なのであります。 人類文明創造の御経綸の厳粛さを証明する第二のお話に入りましょう。鵜草葺不合朝第六十九代神足別豊鋤(かんたるわけとよすき)天皇の御宇(みよ)にユダヤ王モーゼ来朝の記事が竹内文献に見えます。 鵜草葺不合朝第六十九代神足別豊鋤天皇の御宇、ユダヤ王モーゼ来り、十二年留まる。天皇これに天津金木を教う。モーゼの帰るに臨み、天皇御詔宜してモーゼにヨモツ国(外国)の守り主となることを命じ、また言はく「汝、モーゼ。汝一人より他に神なしと知れ」と。………神武天皇即位六百六十年前のこととあります。 天津金木とは言霊学において言霊ウ(人間の五官感覚に基づく欲望性能)を中心とした心の構造を表わす音図であり、産業、経済、更には戦いに於て不敗の原理といわれるもののことであります。モーゼに実際に教えたのは、ヘブライ文字の子音と数霊をもって組まれたものと言われ、彼等はカバラの原理と称しています。この原理を授けることによって、モーゼとその霊統を受継ぐ子孫が、その後の三千年の間打ち続く物質科学文明創造の時代の中で、ヨモツ国(外国)の守り主となることを命令しました。その上で神足別豊鋤天皇はモーゼに途方もない権限を与える宣言をしたのであります。「今より三千年間、地球上の一切の人々が神と崇めるのは、モーセ、汝一人しかいないのだぞ。」―― 神足別(かんたるわけ)とは「神のトーラを別け与える」の意です。トーラとは十戒のこと。十戒に表十戒と裏十戒があるといわれます。表十戒とは旧約聖書にある「汝、殺すなかれ」……の十戒です。そして裏十戒とは言霊学でいう「ア、カサタナハマヤラ、ワ」の金木音図の横の十の原理、モーゼに教えたカバラの原理のことであります。産業・経済上の競争、また武力、戦争に於て全勝不敗の戦法のことでもあります。モーゼとその霊統を引く予言者達はこの伝来の原理と戦法を駆使して、以後三千年間の人類の第二物質科学文明創造の期間、世界各民族の裏に身を置き、その民族を利用、操作することによって、モーゼが豊鋤天皇より授かった使命の完遂を目指すこととなります。使命の目的とする所は何か。世界各地に生存競争社会を起させ、その裏に廻って各民族・国民の心理を操縦し、物質科学文明を創造し、その成果により手にした金力、権力、武力を以って世界人類の再統一を完成させることであります。正にモーゼは命令に従い、人類三千年間の唯一神、エホバとなったのであります。 筆者の言霊学の先師、小笠原孝次氏は折にふれ次のような事をつぶやかれた事を思い出します。「現代の大宗教の教祖たちは、それぞれ日本の天皇から言霊布斗麻邇を教えられたが、全部を教えたわけではない。孔子には十%、イエス・キリストには十二から十五%、釈迦には二十%か、もう少しというところでしょうか。ただモーゼだけは別格で、四十五%というところでしょうか。別格というのは、モーゼには三千年間、世界の表面の経綸を委ねた事のためです。」 (以下次号)
古事記神話の禊祓の章に生まれる二十七神の中の十六、十七、十八番目の神、神直毘(かんなおひ)の神、大直毘(おほなおひ)の神、伊豆能売(いづのめ)の三神、特に伊豆能売について最近気が付いたことがありましたので、早速お伝え申上げることといたします。先ずは禊祓の簡単な復習(おさらい)から始めることとしましょう。 伊耶那岐の命は妻神伊耶那美の命と協同で後天子音言霊を示す三十二神を生み、先天十七神、神代文字一神と合わせて、全部で五十神、五十言霊となります。妻神伊耶那美の命はそこで子種が尽き、黄泉(よもつ)国へ神帰(かんさ)ります。その後伊耶那岐の命は主体である一身に於て五十言霊の整理・運用の仕事に入り、その心中に建御雷の男(たけみかづちのを)の神という最高理想の結論を手に入れます。 かくて黄泉国の外国文化の実状を見聞し、内容を知った岐の命は、自らが到達した主観的心理である建御雷の男の神の原理によって黄泉国の文化を世界人類の文明の内容として摂取・吸収することが出来るか、の実験・証明の作業に入ることとなります。古神道言霊布斗麻邇の学問の奥義である禊祓の行法です。以上ここまでが禊祓に入るまでの前提となる物語となります。これよりは禊祓に登場する二十七神の神名を挙げ、行法の解説をいたします。(以下、「古事記と言霊」禊祓の章参照下さい。) 「ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、「吾はいな醜め醜めき穢き国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の祓(はらへ)せん」とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の 橘(たちばな) の小門(をど)の阿波岐原[あはぎはら](天津菅麻音図)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。」 伊耶那岐の大神と大の字が付くのは、主観世界の創造神伊耶那岐の神が、客観世界の主宰神伊耶那美の命をも吾身として包含した宇宙身としての立場を示します。岐の命(言霊イ)が美の命(言霊ヰ)を包摂した立場。イ(ヰ)で示します。衝立つ船戸の神――伊耶那岐の大神が自らの禊祓をするに当り、その行法の指導原理と定めた建御雷の男の神のこと。 衝立つ船戸の神(つきたつふなどのかみ)――伊耶那岐の大神が自らの禊祓をするに当り、その行法の指導原理と定めた建御雷の男の神のこと。古事記はこの建御雷の男の神が如何なる言霊構造を持った神であるかは明らかにしません。ただこの指導原理によって禊祓が完了する時、言霊学の総結論である天照大神、月読命、須佐男命の三貴子が生まれる基本原理となる天津太祝詞音図となることで、その構造が明らかとなります。また禊祓は菅麻音図を「場」として行われます。 道の長乳歯の神(みちのながちはのかみ)、時量師(ときはかし)の神、煩累の大人の神(わずらひのうしのかみ)、道俣の神(ちまたのかみ)、飽咋の大人の神(あきぐひのうしのかみ)。――この五神は黄泉国の文化を世界文明に摂取するに当り、その文化の内容を明らかに把握するために掲げられた五つの判断項目を示します。 奥疎(おきさかる)の神、奥津那芸佐毘古(なぎさひこ)の神、奥津甲斐弁羅(かひべら)の神。 その一つにまとめられた言葉が禊祓実行の言葉となります。以上、禊祓の章を初めから簡単に復習して来ました。簡単過ぎてお分りにならない方は「古事記と言霊」の禊祓の章と比べながらお読み下されば幸甚です。さて、初頭に「最近気がついた……」と申上げましたのは、これに続く古事記の文章からであります。 ここに詔りたまはく、「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は弱し」と詔りたまひて、初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて滌(すす)ぎたまふ時に、成りませる神の名は、八十禍津日の神。次に大禍津日の神。この二神(ふたはしら)は、かの穢き繁(し)き国に到りたまひし時の、汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、神直毘の神。次に大直毘の神。次に伊豆能売。 奥疎の神として岐の大神が一つの外国の文化に出合った時から、辺疎の神としてその文化を禊祓によって人類文明に摂取完了するために如何なる言葉を必要とするか、奥津耶芸佐毘古の神として外国の文化の内容を傷(そこ)なうことなく摂取する働き、また辺津耶芸佐毘古の神としてその文化を完全に人類文明へ包容し得る働きの二つが考えられます。と同時に奥津甲斐弁羅の神、辺津甲斐弁羅の神として奥疎・辺疎に働く言葉を一つの言葉にまとめる必要があります。その様な言葉はどうしたら得られるか、が問題となります。その有効な言葉は言霊図の何処に求め得るか、が検討されます。 「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は弱し」と詔りたまひて、…… 中つ瀬に下り立ってみると、上つ瀬のア段と下つ瀬のイ段の、禊祓をするについての適する所と不適の所とが明らかになりました。ア段の効用は八十禍津日の神として、イ段の効用は大禍津日として明確に理解されたのであります。八十禍津日の神とは菅麻五十音図を上下にとった百音図が示しますように、向って右の端の母音の縦の列と左の端の半母音の列とに挟まれた八十音は現象に関する音です。この八十音の中の上半分は現象子音の自覚を伴った高天原を表わし、下半分は言霊原理の自覚のない黄泉国の社会を表わします。大祓祝詞では上を高山(たかやま)、下を短山(ひきやま)と名付けています。言霊アの自覚(仏教でいう諸法空相の自覚)に立つと、上の四十音と下の四十音の区別がよく分るようになります。この区別がつかなければ禊祓は出来ませんが、これが分っただけでは禊祓にはなりません。この区別は所謂宗教信仰の行として行われるべきも 次にその禍を直さむとして、…… 岐の命が自らの心中に自覚した建御雷の男の神なる音図は如何なる音図か。古事記が初めに教える先天図を見ましょう。それは母音(言霊ウ)より始まります(A図参照)。新たに姿を現わした音図は言霊イの働きであるチイキミシリヒニの八父韻より始まります。先天十七言霊は同時存在でありますから、どの様に配列してもよい訳ですが、その時の視点如何によって配列が異なります。古事記は言霊学を教えるに当り、母音から説き起こしました。それは言霊学の勉学には理解し易いからであります。けれど言霊を視点にとって人間を見る時、「宇宙そのものが自らを建設・創造する主体としての人間」なのです。人は宇宙生命そのものに他なりません。そのことを端的に表わすためには、人が持つ八父韻から説くことが適当となります(B図参照)。言霊学の教科書として書かれた古事記百神の神話も、その結論に行き着くために「創造」という視点に立つ必要を感じ、太安萬呂さんは「その禍を直さむとして」と前置きして、暗に「貴方自身が伊耶那岐の大神なのですよ」と教えたに違いありません(会報七十号「太安萬呂の墓」参照下さい)。 何故そのように断言出来るのか。その問いに応えるために、前に言霊学の総結論である八咫鏡の言霊による構造図を示します。図Bと八咫鏡の図を比べてみて下さい。直ぐに御理解いただけるでありましょう。そして図Aより図Bへの転換は、言霊学を学ぶ人から言霊学により人類文明を創造する人への転換を意味するでしょう。その文明創造の立場から社会・世界を見る時、何時の間にか、心の闇は消え失せており、光とその影としての世の中を見ることとなります。そしてその創造活動を言霊の光の言葉で表現する時、人間が創造する人類の歴史が歓喜に満ちた理想社会を建設する芸術活動であり、皇祖皇宗の御経綸に基づいた、古代の邇々芸の命以来続いている人類文明創造というドラマの一幕々々である事がお分り頂けるでありましょう。 神直毘(かんなほひ)の神、次に大直毘の神、伊豆能売(いづのめ) 以上の観点に立つならば、この三神に続く底津綿津見、底筒の男、中津綿津見、中筒の男、上津綿津見、上筒の男、から天照大神、月読命、須佐男命の三貴子の誕生となる総結論は掌を指す如く明瞭に理解出来ます。 (以上) |