「コトタマ学とは」 <第二百四号>平成十七年六月号
   古事記

 先に「天地の初発(はじめ)の時」の意味の取り方についてお話した項で、「古事記」の名を出しました。ここでは「古事記」の神代の巻の内容とその解釈について、現代人にとって全く耳新しいことをお話することにします。

 「古事記」という書物は、七一二年(和銅五年)太安萬呂(おおのやすまろ)によって選上されました。ご承知のことと思いますが、全部漢字で書かれています。と言っても漢文ではありません。日本の言語一語一語に、同音または同意の漢字を当てはめて文章としたのです。私たちは難しい漢字や外国語に振り仮名をします。それと同様に「古事記」は日本語に振り漢字をしたようなものです。例えば「そらみつ 大和の国は」の言葉を「虚見津 山跡乃国者」と文章にしている、といった具合です。そして一七九八年、本居宣長によって「古事記伝」として正式の日本文に翻訳されたのでした。

 「古事記」には上中下の三巻があります。ここで取り上げようとするのは、上巻の「神代の巻」です。さてこの「古事記」の神代の巻が、古代の日本人が考えた単なる神話や文学作品なのではなく、神話の形式を借りた言霊の学問の手引書、教科書であるといったら、読者はどう思われるでしょうか。多分「まさか」の言葉が返ってくるのではないでしょうか。でもそれは紛れもない事実なのです。説明を進めていくことにしましょう。

 神代の巻は、その最初の文章が先にお話しましたように「天地の初発の時…」と始まります。この「天地の初発(はじめ)」は、今までの世の中の人が考えていたような、天体物理学や天文学で取り扱う物質宇宙の初めのことではなく、精神宇宙に関することを書いている、というお話でした。何百億年も昔の宇宙や銀河系や太陽系が形成された時のことではなく、心の宇宙から人間の思いが始まろうとしている瞬間のことをいっているのです。実際に生きている人間の思いや考えが始まろうとする瞬間とは、常に「今・ここ」でなければならないでしょう。

 神代の巻には「天地の初発の時」に続く文章で色々な神様の名前が次から次へと出て来ます。「天地の初発の時」が物質の天や地の形成された時ではなく、心の宇宙に人間の思いが始まろうとする時ということになりますと、その次に出て来る色々な神様の名前も天や地や太陽や月、木や風、川や海などの自然を神格化した神様なのではなく、「今・ここ」で人間の思いが始まろうとしている心の宇宙の内容についての何かを表現しているのだ、ということになります。

 この本の「コトタマとは」の項で、私たち日本人の祖先は、人間の心を形成している言霊の数は先天十七個、後天三十三個、合計五十個であり、その五十個の言霊を操作する運用法も五十あるとお話しました。総合計百個の原理ということなります。

 このことを頭に入れておいて、「古事記」の最初に出て来る神様の天の御中主(あめのみなかぬし)の神から天照大神(あまてらすおおみかみ)・月読命(つきよみのみこと)・須佐男命(すさのをのみこと)の三神まで数えてみますと、驚くことにちょうど百個の神名が登場してくるのです。最後の須佐男命が生れた後で、「吾は子を生み生みて、生みの終に、三柱の貴子を得たり」と言って伊耶那岐の命が大層喜ばれたと「古事記」にありますから、最初の天の御中主の神から須佐之男命までを数えたわけです。ちょうど百個の神名、それは言霊の百個の原理と数が一致するではありませんか。

(次号に続く)

   日本と世界の歴史 その四

 人類がその第一精神文明時代を終了し、第二物質科学文明時代に突入して行ったのは、今から約三千年前と推定されます。この人類歴史創造の方針の転換は、高天原日本の朝廷に於ける各天皇の並々ならぬ人間生命への洞察と、歴史創造の精密、大胆な準備の下に行われたのであります。決してその場、その時の思いつきなどではないことが窺えます。そのことを証明する二つの出来事をお話申上げることにしましょう。

 その第一は大祓祝詞(おおはらいのりと)またの名、天津太(ふと)祝詞の制定年代とその内容についてであります。この祝詞は昔から朝廷に於て年々六月と十二月の晦(つもごり)の大祓の儀式に唱えられて来ました。この祝詞が何時制定されたか、正式な記録はありません。民間に伝わる歴史である竹内文献・阿部文献によれば、鵜草葺不合(うがやふきあえず)皇朝第三十八代、天津太祝詞子(あまつふとのりとご)天皇がこの祝詞を制定したと伝えられています。神倭皇朝第一代神武天皇即位より遡ること約千年、今より三千七百年前と推定されます。その後、鵜草葺不合朝より神倭朝に替わってからもこの祝詞は朝廷に於て使用され、最後に六九○年頃、柿本人麻呂(ひとまろ)の修辞によって今日詠まれるような美文になったのであります。

 現在唱えられている大祓祝詞の美文も、現代の国文学的知識ではその内容を窺い知ることはほとんど不可能に近いと言ってよいものでありますが、言霊学を知る人なら比較的容易にその意味・内容を解釈出来ます。今、此処でその内容を平易に箇条書きにまとめてみると、左の如くなります(会報百五十二号参照)。

 一、古事記に記されている邇々芸命(ににぎのみこと)とその集団がこの日本列島に天孫降臨して、日本の国を肇国、建設し始めた時の歴史的状況。
 二、肇国に当り、国家建設に如何なる基本方針を持ち、どんな国家体制を目指したか。
 三、理想的精神文明の国家が建設された後、歴史の進展と共に日本並びに世界の各地に醸成されてくる種々の矛盾、罪穢の種類とその内容の説明。
 四、歴史が更に進み、人類が人類文明創造の基本方針を忘れ、社会の汚濁が頂点に達した時、その罪穢を祓い、禍因を根絶して、肇国時代そのままの永遠の調和・平安を取り戻すための、人類が頼るべき唯一無二の処置法の開示。
 五、その操作・処理の成功によってもたらされる平安・調和の時代には如何なる政治が行われるか、の説明。

 以上の如き内容が簡潔明快に述べられています。ここで先ず注目すべきことは大祓祝詞制定の時でありましょう。鵜草葺不合皇朝三十八代天津太祝詞子天皇の御宇(みよ)、神倭皇朝初代神武天皇即位一千年前、更には今より三千七・八百年前といえば、人類の第一精神文明の絶頂期の只中でありましょう。その精神文明の成熟の時に、既にその精神文明の次に来るべき時代の精神の混乱とその状況を正確に捉え、それに対する処置法を明示しているのであります。精神文明時代に於ける諸天皇の歴史に対する炯眼と、その将来に対する洞察の正確さには驚嘆に値するものがあると同時に、人類の歴史創造の御経綸が単なる思い付きのものではなく、「人とは何ぞや」を究極まで追求した言霊学の原理に則る計算し尽くされた計画であることが理解されるのであります。

 「天網恢々疎(てんもうかいかいそ)にして漏(も)らさず」という言葉があります。人間個人々々が、その好奇心の赴くままに如何なる行為に走ろうとも、皇祖皇宗の人類歴史を創造する御経綸を何一つ乱すことが出来ず、その天の網(あみ)は音もなく、姿も見えぬけれど、全宇宙の規模にわたり、着々と遂行されていきます。中国の小説「西遊記」の中の孫悟空が、阿弥陀様に叛逆して、金斗雲に乗って飛ぶに飛んだけれど、阿弥陀様の掌(てのひら)(たなごころ・田名心)から抜け出すことが出来なかった、とあります。皇祖皇宗の人類歴史創造の御経綸は全宇宙の規模で張り巡らされた天網であり、光の網なのであります。

 人類文明創造の御経綸の厳粛さを証明する第二のお話に入りましょう。鵜草葺不合朝第六十九代神足別豊鋤(かんたるわけとよすき)天皇の御宇(みよ)にユダヤ王モーゼ来朝の記事が竹内文献に見えます。

 鵜草葺不合朝第六十九代神足別豊鋤天皇の御宇、ユダヤ王モーゼ来り、十二年留まる。天皇これに天津金木を教う。モーゼの帰るに臨み、天皇御詔宜してモーゼにヨモツ国(外国)の守り主となることを命じ、また言はく「汝、モーゼ。汝一人より他に神なしと知れ」と。………神武天皇即位六百六十年前のこととあります。

 天津金木とは言霊学において言霊ウ(人間の五官感覚に基づく欲望性能)を中心とした心の構造を表わす音図であり、産業、経済、更には戦いに於て不敗の原理といわれるもののことであります。モーゼに実際に教えたのは、ヘブライ文字の子音と数霊をもって組まれたものと言われ、彼等はカバラの原理と称しています。この原理を授けることによって、モーゼとその霊統を受継ぐ子孫が、その後の三千年の間打ち続く物質科学文明創造の時代の中で、ヨモツ国(外国)の守り主となることを命令しました。その上で神足別豊鋤天皇はモーゼに途方もない権限を与える宣言をしたのであります。「今より三千年間、地球上の一切の人々が神と崇めるのは、モーセ、汝一人しかいないのだぞ。」――

 神足別(かんたるわけ)とは「神のトーラを別け与える」の意です。トーラとは十戒のこと。十戒に表十戒と裏十戒があるといわれます。表十戒とは旧約聖書にある「汝、殺すなかれ」……の十戒です。そして裏十戒とは言霊学でいう「ア、カサタナハマヤラ、ワ」の金木音図の横の十の原理、モーゼに教えたカバラの原理のことであります。産業・経済上の競争、また武力、戦争に於て全勝不敗の戦法のことでもあります。モーゼとその霊統を引く予言者達はこの伝来の原理と戦法を駆使して、以後三千年間の人類の第二物質科学文明創造の期間、世界各民族の裏に身を置き、その民族を利用、操作することによって、モーゼが豊鋤天皇より授かった使命の完遂を目指すこととなります。使命の目的とする所は何か。世界各地に生存競争社会を起させ、その裏に廻って各民族・国民の心理を操縦し、物質科学文明を創造し、その成果により手にした金力、権力、武力を以って世界人類の再統一を完成させることであります。正にモーゼは命令に従い、人類三千年間の唯一神、エホバとなったのであります。

 筆者の言霊学の先師、小笠原孝次氏は折にふれ次のような事をつぶやかれた事を思い出します。「現代の大宗教の教祖たちは、それぞれ日本の天皇から言霊布斗麻邇を教えられたが、全部を教えたわけではない。孔子には十%、イエス・キリストには十二から十五%、釈迦には二十%か、もう少しというところでしょうか。ただモーゼだけは別格で、四十五%というところでしょうか。別格というのは、モーゼには三千年間、世界の表面の経綸を委ねた事のためです。」

 (以下次号)

   伊豆能売(いづのめ)

 古事記神話の禊祓の章に生まれる二十七神の中の十六、十七、十八番目の神、神直毘(かんなおひ)の神、大直毘(おほなおひ)の神、伊豆能売(いづのめ)の三神、特に伊豆能売について最近気が付いたことがありましたので、早速お伝え申上げることといたします。先ずは禊祓の簡単な復習(おさらい)から始めることとしましょう。

 伊耶那岐の命は妻神伊耶那美の命と協同で後天子音言霊を示す三十二神を生み、先天十七神、神代文字一神と合わせて、全部で五十神、五十言霊となります。妻神伊耶那美の命はそこで子種が尽き、黄泉(よもつ)国へ神帰(かんさ)ります。その後伊耶那岐の命は主体である一身に於て五十言霊の整理・運用の仕事に入り、その心中に建御雷の男(たけみかづちのを)の神という最高理想の結論を手に入れます。

 岐の命が心中に得た人間最高の文明創造の原理は飽くまで主観的なものでありますので、これが主観的と同時に客観的、即ち絶対的な真理であることを証明するには、現実に黄泉国の異文化を吸収することで試さなければなりません。そこで岐の命は妻神美の命のいる黄泉国に出掛けて行きました。岐の命がそこで見たものは、整然とした調和・協調の高天原とは違う、雑然とした、個々が自我主張する穢(きたな)い文化でありました。驚いた岐の命は高天原に逃げ帰って来ます。後を美の命が「未熟な私の客観文化を見て恥をかかせた」と言って追いかけて来ます。逃げ帰りながら、岐の命は黄泉国の客観世界の文化は高天原の主観世界の文化とは全く違ったもので、相容れないものであることを知って、高天原と黄泉国との境におかれた千引の石(いは)を挟んで向き合い、両者は離婚(言戸渡し[ことどわたし])をします。

 かくて黄泉国の外国文化の実状を見聞し、内容を知った岐の命は、自らが到達した主観的心理である建御雷の男の神の原理によって黄泉国の文化を世界人類の文明の内容として摂取・吸収することが出来るか、の実験・証明の作業に入ることとなります。古神道言霊布斗麻邇の学問の奥義である禊祓の行法です。以上ここまでが禊祓に入るまでの前提となる物語となります。これよりは禊祓に登場する二十七神の神名を挙げ、行法の解説をいたします。(以下、「古事記と言霊」禊祓の章参照下さい。)

 「ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、「吾はいな醜め醜めき穢き国に到りてありけり。かれ吾は御身(おほみま)の祓(はらへ)せん」とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の 橘(たちばな) の小門(をど)の阿波岐原[あはぎはら](天津菅麻音図)に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。」

 伊耶那岐の神と大の字が付くのは、主観世界の創造神伊耶那岐の神が、客観世界の主宰神伊耶那美の命をも吾身として包含した宇宙身としての立場を示します。岐の命(言霊イ)が美の命(言霊ヰ)を包摂した立場。イ(ヰ)で示します。衝立つ船戸の神――伊耶那岐の大神が自らの禊祓をするに当り、その行法の指導原理と定めた建御雷の男の神のこと。

 衝立つ船戸の神(つきたつふなどのかみ)――伊耶那岐の大神が自らの禊祓をするに当り、その行法の指導原理と定めた建御雷の男の神のこと。古事記はこの建御雷の男の神が如何なる言霊構造を持った神であるかは明らかにしません。ただこの指導原理によって禊祓が完了する時、言霊学の総結論である天照大神、月読命、須佐男命の三貴子が生まれる基本原理となる天津太祝詞音図となることで、その構造が明らかとなります。また禊祓は菅麻音図を「場」として行われます。

 道の長乳歯の神(みちのながちはのかみ)、時量師(ときはかし)の神、煩累の大人の神(わずらひのうしのかみ)、道俣の神(ちまたのかみ)、飽咋の大人の神(あきぐひのうしのかみ)――この五神は黄泉国の文化を世界文明に摂取するに当り、その文化の内容を明らかに把握するために掲げられた五つの判断項目を示します。

 奥疎(おきさかる)の神、奥津那芸佐毘古(なぎさひこ)の神、奥津甲斐弁羅(かひべら)の神。
 
辺疎(へさかる)の神、辺津那芸佐毘古の神、辺津甲斐弁羅の神。
 奥(おき)は初(はじめ)、辺(へ)は終り。奥疎とは岐の大神が外国文化に出合った時のはじめの姿。辺疎とは外国文化を人類文明に吸収し終わった時の岐の大神の姿。姿と言ったのは、重病を患った幼な児を見守る母親の姿と同じ意。幼な児の状態が母親の心のすべて、の意。奥津耶芸佐毘古とは、初めの姿を変貌させることを可能にする働きの意。辺津那芸佐毘古とは結論に導くことが出来る働きの意。奥津・辺津甲斐弁羅とは、初めの姿を変革させる働きのある奥那耶芸佐毘古の言葉と、結論に導く働きのある辺津耶芸佐毘古の言葉との間を狭めて一つの言葉とする働きのこと。

 その一つにまとめられた言葉が禊祓実行の言葉となります。以上、禊祓の章を初めから簡単に復習して来ました。簡単過ぎてお分りにならない方は「古事記と言霊」の禊祓の章と比べながらお読み下されば幸甚です。さて、初頭に「最近気がついた……」と申上げましたのは、これに続く古事記の文章からであります。

 ここに詔りたまはく、「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は弱し」と詔りたまひて、初めて中つ瀬に堕(い)り潜(かづ)きて滌(すす)ぎたまふ時に、成りませる神の名は、八十禍津日の神。次に大禍津日の神。この二神(ふたはしら)は、かの穢き繁(し)き国に到りたまひし時の、汚垢(けがれ)によりて成りませる神なり。次にその禍を直さむとして成りませる神の名は、神直毘の神。次に大直毘の神。次に伊豆能売。

 奥疎の神として岐の大神が一つの外国の文化に出合った時から、辺疎の神としてその文化を禊祓によって人類文明に摂取完了するために如何なる言葉を必要とするか、奥津耶芸佐毘古の神として外国の文化の内容を傷(そこ)なうことなく摂取する働き、また辺津耶芸佐毘古の神としてその文化を完全に人類文明へ包容し得る働きの二つが考えられます。と同時に奥津甲斐弁羅の神、辺津甲斐弁羅の神として奥疎・辺疎に働く言葉を一つの言葉にまとめる必要があります。その様な言葉はどうしたら得られるか、が問題となります。その有効な言葉は言霊図の何処に求め得るか、が検討されます。

 「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は弱し」と詔りたまひて、……
 阿波岐原である天津菅麻音図の上つ瀬はア段(感情次元)であります。感情次元の中に創造の言葉を求めようとしても、感情では性急に過ぎて創造行為には適当ではありません。「上つ瀬は瀬速し」です。では下つ瀬である言霊イの段ではどうか。イ段には言葉自体言霊自体が存在する処ですが、原則をいくら検討しても「こうせよ」の実際の働きは出ては来ません。「下つ瀬は弱し」となります。そこで岐の大神は中つ瀬である言霊オウエの段に降りて行ったのであります。

 中つ瀬に下り立ってみると、上つ瀬のア段と下つ瀬のイ段の、禊祓をするについての適する所と不適の所とが明らかになりました。ア段の効用は八十禍津日の神として、イ段の効用は大禍津日として明確に理解されたのであります。八十禍津日の神とは菅麻五十音図を上下にとった百音図が示しますように、向って右の端の母音の縦の列と左の端の半母音の列とに挟まれた八十音は現象に関する音です。この八十音の中の上半分は現象子音の自覚を伴った高天原を表わし、下半分は言霊原理の自覚のない黄泉国の社会を表わします。大祓祝詞では上を高山(たかやま)、下を短山(ひきやま)と名付けています。言霊アの自覚(仏教でいう諸法空相の自覚)に立つと、上の四十音と下の四十音の区別がよく分るようになります。この区別がつかなければ禊祓は出来ませんが、これが分っただけでは禊祓にはなりません。この区別は所謂宗教信仰の行として行われるべきもので、人類文明創造の行為とは言われません。そこでこれを八十禍津日の神として禊祓の行法からは規制されるのです。同様に言霊イ段に存在する言葉の原理である言霊原理をいくら説明しても、それだけでは禊祓の完成にはなり得ない事が理解されて来ました。禊祓には言霊学は不可欠のものではあるが、それだけでは禊祓にはならないと知ったのであります。これも大禍津日の神として除外されたのであります。

 次にその禍を直さむとして、……
 古事記の文章がこの様に話の進行の折目になる言葉を入れる時には、発想の転換や視点の変更を告げる事が多いのですが、ここは正(まさ)しくそれに当ります。古事記の神話がもう少しで結論となる今、話の視点の飛躍が行われるのです。どの様な飛躍なのか、と申しますと、勉学から実践の視点への飛躍です。禊祓の初めに岐の大神はその実行の指針原理として建御雷の男の神という音図を衝立つ船戸の神と斎き立てました。禊祓はこの音図を指導原理として進行されるのですが、古事記はこの音図の正体をこれまで明示しません。建御雷の男の神の音図は後に邇々芸命の天孫降臨に当り、国津神である大国主命を言向けやわす音図です。それは創造・実践の音図なのです。今、此処でそれが明らかとなります。

 岐の命が自らの心中に自覚した建御雷の男の神なる音図は如何なる音図か。古事記が初めに教える先天図を見ましょう。それは母音(言霊ウ)より始まります(A図参照)。新たに姿を現わした音図は言霊イの働きであるチイキミシリヒニの八父韻より始まります。先天十七言霊は同時存在でありますから、どの様に配列してもよい訳ですが、その時の視点如何によって配列が異なります。古事記は言霊学を教えるに当り、母音から説き起こしました。それは言霊学の勉学には理解し易いからであります。けれど言霊を視点にとって人間を見る時、「宇宙そのものが自らを建設・創造する主体としての人間」なのです。人は宇宙生命そのものに他なりません。そのことを端的に表わすためには、人が持つ八父韻から説くことが適当となります(B図参照)。言霊学の教科書として書かれた古事記百神の神話も、その結論に行き着くために「創造」という視点に立つ必要を感じ、太安萬呂さんは「その禍を直さむとして」と前置きして、暗に「貴方自身が伊耶那岐の大神なのですよ」と教えたに違いありません(会報七十号「太安萬呂の墓」参照下さい)。

 何故そのように断言出来るのか。その問いに応えるために、前に言霊学の総結論である八咫鏡の言霊による構造図を示します。図Bと八咫鏡の図を比べてみて下さい。直ぐに御理解いただけるでありましょう。そして図Aより図Bへの転換は、言霊学を学ぶ人から言霊学により人類文明を創造する人への転換を意味するでしょう。その文明創造の立場から社会・世界を見る時、何時の間にか、心の闇は消え失せており、光とその影としての世の中を見ることとなります。そしてその創造活動を言霊の光の言葉で表現する時、人間が創造する人類の歴史が歓喜に満ちた理想社会を建設する芸術活動であり、皇祖皇宗の御経綸に基づいた、古代の邇々芸の命以来続いている人類文明創造というドラマの一幕々々である事がお分り頂けるでありましょう。

 神直毘(かんなほひ)の神、次に大直毘の神、伊豆能売(いづのめ)
 かくて言霊の発見によって、人類の営みを光の言葉によって把握、自覚した人類の最初の言葉が、神直毘(言霊オ)、大直毘(言霊ウ)、伊豆能売(言霊エ)なのであります。特に伊豆能売は人類社会の営みを皇祖皇宗の御稜威の眼によって認識し、これを人類文明の中に摂取して歴史を創造する眼目となる働きであります。

 以上の観点に立つならば、この三神に続く底津綿津見、底筒の男、中津綿津見、中筒の男、上津綿津見、上筒の男、から天照大神、月読命、須佐男命の三貴子の誕生となる総結論は掌を指す如く明瞭に理解出来ます。

(以上)