「コトタマ学とは」 <第二百一号>平成十七年三月号
   生命意志(前号に続く)

 人間の創造意志である言霊イとヰについて、もう少し詳しく説明しましょう。先に五母音の説明のところで、この言霊イの宇宙は他の四つの母音宇宙を根底から支え、統合している宇宙であるとお話しました。根底で統合するといっても、内容がはっきりしないかも知れません。もっと平たくいいますと、この言霊イという創造意志は、他の四音の世界の現象を生む原動力だということです。五官感覚による欲望の宇宙である言霊ウも、経験知の宇宙の言霊オも、感情の宇宙の言霊アも、実践智の宇宙の言霊エも、生命の創造意志である言霊イが働かない限り、何の現象も生れないということです。

 欲望が起るのも生きる意志があってです。経験を積む好奇心も、嬉しい悲しいの感情も、今・此処でいかなる道を選ぶかで悩むのも、すべて生きようとする意志が縁の下の力持ちとなって働くからであります。

 そして、その縁の下の力持ちとなって働く力、それが言霊イの実際の働きであるキシチヒミリイニの八つの父韻です。それは主体が客体と結び付くために働く力動のバイブレーションです。これによって主体と客体がシンクロナイズして、現象である全部で三十二の子音を生むことになります。

 言霊イには以上の他にもう一つ重要な働きがあります。それについては誰も想像もしないことなのですが、人間が生きるということにとって重要なことなのです。

 主体と客体が結ばれて現象を生むとは、どういうことなのでしょうか。「赤い花が咲いた」というのは一つの現象です。この時、その事実を認識する人間がいなかったら、それが現象として起ったかどうか分りません。さらにそれを見る人間がいたとしても、その事実に対して「赤い」「花」「咲いた」という事や物にそれぞれ名が付けられないならば、ただ「アーアー」というばかりで現象にはならないでしょう。主体的に現象を生むということは、名を付けることでもあります。現象を生み、それに名を付けること、それが生命意志である言霊イの働きです。

 人間の創造意志である言霊イについて以上のことを総合しますと、言霊イとは――
 一、母音として他の四つの母音ウオアエを統一して支え、
 二、その実際の働きである八つの父韻ヒチシキミリイニとなって、母音、半母音に働きかけて現象を生み、
 三、生れ出た現象に名を付ける役目を果たす。
という、宇宙の根本活動をすべて一手にやっている存在ということが出来ます。そこで母音イと半母音ヰとを他の母音・半母音から区別して親音と呼んでいます。この言霊イとヰの存在と働きに対して、宗教の教義では「創造主」と呼んで崇めています。

 先に、人が朝目を覚まして、意識が段々はっきりしていく時のことを例にとって心の先天の構造を説明してきましたが、言霊イとヰが出揃ったところで、先天の十七音言霊の構造は完結したことになります。この十七音言霊が活動して、現象である子音を生んでいくこととなるのですが、先天構造の言霊による図をまとめますと、次のようになります。

 人が眠りから目覚め、まだ完全に意識が働かないが、何かが動き出す気配が漠然としてきて、頭の中で形にはならない先天の宇宙が次第に活動し、それに人間知性のバイブレーションである八つの父韻が働きかけて刺激し、最後に生命の創造意志が最も奥の部分で発動すると、遂に心の現象が起って子音が生まれてくるという、心の先天構造の経過は以上の図によって示されました。

 人間はこの十七個の言霊によって構成されている頭脳の活動によって物を思い、考え、行動し、文化を創造していきます。それは国家・人種の区別なく人類全てが皆同様です。また人類がホモ・サピエンスとしての種を保つ限り、この頭脳構造は永久に変わることなく続くことでしょう。

 地球上には幾多の国家、人種があります。その言葉も多種多様です。けれど人間である限り、その頭脳は右の十七音の言霊で構成されています。そしてその頭脳の構造をこれ以上に正確に解明するものは、他にあり得ないことでしょう。人間の頭脳の精神構造は、人類の歴史の上で、すでに数千年の昔に明らかにされているのです。

 古代人が野蛮だったなどとは、間違っても言えるものではありません。

(次号に続く)

   日本と世界の歴史 その一

 当言霊の会の会報「コトタマ学」が先月にて二百号となり、「二百号記念」を発行いたしました。創刊より先月号まで言霊学について事細かに解説をして参りました。筆者自身先日ふと思ったことがあります。それは二百号の文章を通して何を明らかにしようとしたのであろうか、ということでありました。それを一言(ひとこと)で表わしたら何というべきか、と。

 会報の名が「コトタマ学」ですから、その答えは「言霊」だといえば問題はありません。けれど筆者の心の中にその答えでは今一つ物足りない気持が残ります。二百号の文章、数えてみますと、会報一号分で九千字余りが詰まっています。その二百倍ですから約百八十万字ということになります。その字数を以って何を明らかにしようとして来たのか。

 脳裏に先ず「コトタマ」の語が浮かびました。次に「光り」でした。そして最後に「いのち」でありました。

 人間は生きています。生きているということは、生命が休むことなく活動しているからです。その生命とは何か。言霊です。言霊が常に、正確に言えば今、此処に於て活動していることです。活動のエネルギーは何か。「光り」です。言霊のことを一字で霊(ひ)といいます。その霊が走る、即ち駆るから霊駆(ひか)り、即ち「ひかり」となります。

 生命を人は何処に於て自覚することが出来るのか。それは人間の生命の性能である言霊ウ(五官感覚に基づく欲望次元)、言霊オ(経験知)、言霊ア(感情)、言霊エ(実践智)、言霊イ(生命の創造意志)の五つの次元を一つ一つ自覚して昇り、最後の言霊イの創造意志次元の自覚に立つ時、永遠の今といわれる今・此処(中今)に活動する合計五十個の言霊の動きとして生命を心の内面に直観することが出来ます。言霊イの次元の道理、即ちイの道(いのち)を知ることが出来ます。

 言霊の会は、約百年前、明治天皇御夫妻が日本民族伝統の言霊布斗麻邇の学問の存在にお気付きになり、国学者山腰弘道氏をお相手として言霊学の復活に務められて以来、今日に到るまでの幾多の先輩方の努力を受継ぎ、約十八年間、言霊学の完全な解明に務め、ここに漸くその全貌を明らかにすることが出来ました。会報「コトタマ学」二百号の成果を引っ提げて、言霊研究の立場から言霊原理の適用・実践の立場に切換えて、その第一歩を踏出すこととなりました。その手始(てはじ)めとして「日本と世界の歴史」についてお話することといたします。

 さて、日本と世界の歴史を書くに当って確めなくてはならないことがあります。それは歴史とは何か、ということです。こう書きますと、聞いて下さる皆さんからは次の様なお答えが返ってくることでしょう。それは辞書に書いてあります。「歴史―人間社会の変遷・発展の経過(の記録)。又このような変遷や発展を研究する学問。」皆さんも多分これに同意なさることと思います。

 右の辞書にある「歴史」の解釈をもう少し分り易く書いてみましょう。人類の社会の有様を示す記録またはそれに相当する物品が発見され、それが今から幾千年以前のものか分った時代以後、分っている種々の発見物を推理して、幾千年前にこのような事が起った。このような人がいて、かくしようと志して、かくかくの如き事を行い、世の中はこう変わって来た。世界各地そのような事が次々に起り、そのそれぞれの記録を総合し、考察すると、日本や世界はかくかくの経過を経て現在の状況を現出したと考えられる。言い換えると、過去から現在に到る人物とその行為、変遷する社会はその記録を調査・観察し、その結果を総合すると、日本の歴史はこうであり、世界の歴史はかくかくでなければならない。……という歴史であります。皆さんも右の解釈に頷(うなず)き、「それ以外の歴史は考えられない」とお思いになることでしょう。確かにこれは現代社会に於ては歴史の常識となっています。

 けれど言霊学を少しでも齧(かじ)ったことのある方なら、変に思われるのではないでしょうか。大きな本屋さんか、図書館に行ってごらん下さい。日本史の本や世界史の本はズラズラと沢山並んでいます。そのそれぞれに著名な歴史学者の名前が書かれています。そして本の内容の中の歴史的に重要と思われる事件や社会変動の原因、経過、結果の記述に大きな違いを見出すことがあります。A教授とB先生の共著となりますと、両人の意見が相違してまとまらず、両者の意見を併記してある本もあります。「明日の株価はどうなるか」という、まだ来ない未来の予測なら意見の相違もあるかも知れません。けれど歴史的記述は過ぎ去った、唯一つの事実です。その観察に相違が生ずるのは何故なのでしょうか。

 歴史に対する意見に違いが生じるのには二つの理由があります。その一つは、歴史的記録を読み、観察し、推理するのに、歴史家は自らの経験知識を以ってします。歴史に対して学者のそれぞれは生まれも、育ちも、学問的経歴もすべて異なります。それ等の相異は当然それらの知識の土台から発する意見に違いを生じさせます。

 第二の理由は更に深刻です。歴史の創造に携(たずさ)わるのは人間です。その人間には先にお話しましたように言霊ウオアエイ五次元階層の性能が備わっています。人間の行為は意識すると否とに関わらず、この五階層の性能によって行われます。創造される歴史はこれ等五次元階層の人間性能の行為の結果である筈です。しかし現代の歴史家は自らの経験知(言霊オ)と、その他五官感覚による欲望(言霊ウ)、その他中途半端な感情(言霊ア)の三性能を以って観察、推理するに過ぎません。五つの性能による産物をその中の三つの性能によって観察・推理するのですから、真実を捕らえることが出来ないのも当然です。当会発行の本の中で「日本の戦争前の歴史はお伽噺であり、戦後の歴史は推理小説だ」と書きましたのも、この理由によります。

 言霊布斗麻邇の原理が現代の日本語で理解出来る形で再びその姿を現わしました。人間に附与されているウオアエ四つの性能を言霊イの創造意志が統合する言霊原理の立場から人類の真実の歴史を書くことが出来る時代となりました。言霊の会は、言霊ウオアエの宇宙から現われ出て来る一切の社会的な出来事(現象)を統合している人間性能の第五次元である言霊イの立場から日本と世界の歴史をお話する事となります。それは先にお話しましたように、言霊イの道である生命(いのち)そのもの、人類生命そのものの歴史です。従来型の歴史を暗黒の歴史と呼ぶことが出来るならば、これから説こうとする歴史は言霊(ひ)によって創造される光(霊駆り=ひかり)の歴史であります。

 話が理屈ばかりでは興味も薄れます。従来の歴史と今からお話しようとする言霊原理よりする歴史とはどのように違うのか、をお話しておきましょう。

  時間がありましたら、現在社会の本屋さんに並んでいる歴史書を初めからお読みになってみて下さい。どの歴史書も例外なく誰かが(who)何時(when)何処で(where)何を(what)したかに始まり、その四つのWが幾つか続くと、次に何故か(why)に入ります。そして合計五つのWが果てしなく続くことになります。歴史学としては当たり前だろう、と誰でもお思いになることでしょう。この歴史学の研究方法を科学的歴史学といいます。一般の物質科学と同様に、歴史的に起る社会の同じような出来事(現象)、または幾つかの相違する出来事を集めて、その出来事と出来事との間の相違または同様の理由を推理して、歴史とは何か、歴史の行き着く処は何処か、そして最後に将来の予知を推察しようとします。

 こう考えますと、一般の物質科学の方法と全く同じ手法を用いていることに気付きます。物質科学は同じような現象のデータを集め、それ等データ間の関連を調べ、そのような現象が何故起るのか、の原因を推察し、探って行きます。現われた現象から、その元の原因を探ります。多くの結果から一の原因に帰る方法、即ち神帰る、所謂考えるやり方です。

 科学的方法なら正確だろう、と思うかもしれません。けれどそれは見当違いなのです。科学の対象は物質です。物質の金は現在でも百年前でも変わりはありません。関連を計るのに実験することが出来ます。データの計算も科学者によって相違することはありません。どんな観察者でも、観察に間違いがなければ、実験の結果は常に同一になります。歴史学の研究の対象は社会的現象です。その基礎は人間の心なのです。同じ「笑う」という現象にも、その原因には数え切れない程の多様性があります。その上物質科学には実験という手段が取り入れられますが、歴史学には実験という手段は不可能です。人間の行為には、同じ行為の再現は有り得ません。そこで学者の「推理」に頼るしかないのですが、その推理には学者一人一人の固有の経験知が働き、一つの社会現象に対して十人十色の判断が出て来ます。またその判断も時代の推移によって根本から変わることも少なくありません。つい最近の出来事についても歴史家の意見は人毎に違っています。このような歴史学的方法によっては「歴史の予見」などは百年河清をまつに等しいと言えましょう。これが科学的歴史学と呼ばれる従来の歴史学の現状です。

 ではこれからお話申上げる言霊学に則る日本と世界の歴史とは如何なる歴史なのでしょうか。それは言霊学に触れたことのない人にとっては夢のような、否夢にも見ることが出来ないお伽噺のようで、それでいて言霊学に一度触れたならば、一点の疑いも差し挟(はさ)む事も出来ない程合理的で壮大な物語であり、言霊学を学ぶならば、今後の歴史がどのように展開して行くのかが掌を指さす如く明らかとなる人類唯一の真実の歴史であることを理解して頂ける歴史なのであります。

 さて、ここ三千年の世の中では全く聞くことも読むこともなかった、否、聞くことも読むことも出来得なかった真実の歴史の話を始めることにしましょう。御静聴をお願い申上げます。

 事は今から少なくとも一万年程前、世界の屋根といわれるヒマラヤ、チベット、天山、アフガニスタン等の高原地帯に幾人かの賢者がある一つの事を知ろうと志して集まった事から始まりました。一つの事とは「人間には心がある。心とは何であるか」ということでした。この人間の心にか関心を持つ賢者が次第に大勢集まって来ました。研究は語り継がれ、次第に大規模になりました。集まってきた賢人達の関心は心と言葉の関係に集注されるようになってきました。それはどれ程の年数を要したことでしょうか。後世、私達の祖先が「物とは何か」の問題に挑み、今日見る絢爛たる物質科学文明を見るまでおよそ四、五千年を費やした事から推して、略々(ほぼ)同様の年数を古代の賢者達もその研究に必要としたことでしょう。遂に彼等人間の心の研究集団は心のすべてを、その構造と動きとして解明することに成功したのでした。

〔注〕右の人類の精神文明の揺籃時代の場所をヒマラヤか、その附近の高原地方と書きましたのは、古事記「仁々芸の尊の天孫降臨」の章に「肉(そじし)の韓国を笠沙の前に求ぎ通りて……」とあり、また降臨の出発地を「高天原」と古事記にあるからによります。別に九州の高原地帯でも構わぬ事であります。すべては今後の考古学の調査に期待するものであります。

 古代の賢人達が残した研究の成果によれば、人間の心を分析し、もうこれ以上分析し得(え)ない所まで来た時、心の先天構造(人間の五官感覚では捉え得ない、言葉によって表現する前の脳の原動力の部分)の要素十七、後天として捉え得る部分の最小要素三十二、計四十九要素となります。彼等はこれ等四十九個の要素に、現在日本人が日常用いている片假名四十九音の清音の単音の一つ一つを結び付け、その一つ一つを言霊(ことたま)と名付けました。これ以上分析し得ない心の要素と日本語の単音とを結びましたので、その一つ一つの言霊は心の要素であると同時に、言葉の要素でもあるものであります。次に彼等はこれ等四十九個の言霊をそれぞれ神代神名(かな)文字に表わし、これを言霊ンと定め、言霊の総数は五十となりました。人間の心はこれ等五十個の言霊を以って構成されており、五十個より多くも少なくもありません。

 彼等はこれら五十個の言霊が人間の心の中での働き、その運用法を探究し、それら五十個の言霊の典型的な運用法が五十通りあることを発見し、五十個の言霊の五十通りの動き、合計百の原理としてまとめ、この原理をアオウエイ五十音言霊の原理と言い、また一口で布斗麻邇と呼んだのであります。

 かくて古代に於いて言霊布斗麻邇を発見、自覚し、その現実社会に適用する方法を保持して、人間社会をいとも合理的、道理的、政治的に操作して、豊潤にして福祉の行き渡った人間社会を建設する方法を確立したのであります。この原理の発見、保持の責任者、代表者の名前を、古事記は伊耶那岐の大神と呼んでいるのであります。この精神原理の太古に於ける発見が今より八千年乃至一万年前と推定されます。

   天孫降臨

 次に古事記が「天孫降臨」と呼ぶ出来事がおこります。先ず「天孫」について説明しましょう。天とは天照大神のことであります。その子の名を天の忍穂耳(あめのおしほみみ)の命と申します。そのまた子が邇々芸の命です。天照大神から数えると孫に当りますので天孫と言います。古事記はその冒頭の文章にある「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天の御中主の神(言霊ウ)」から始まり、次々と神が生まれます。そして最後に天照大神、月読の命、須佐男の命の三神の誕生まで丁度百の神様が誕生します。

 この百神の中で、一番目の天の御中主の神(言霊ウ)より五十番目の火の夜芸速男(ほのやぎはやを)の神(言霊ン)までがアオウエイ五十音言霊のそれぞれを表わしている神名であり、五十一番目の金山毘古(かなやまびこ)の神より百番目の須佐男の命までが、上述の五十音言霊の整理、運用法を表わす神名です。そしてこのような五十音言霊操作の総結論として誕生するのが天照大神(言霊エ)、月読の命(言霊オ)、須佐男の命(言霊ウ)の三貴子(みはしらのうずみこ)です。この三神の中の天照大神にだけ親神の伊耶那岐の大神は言霊原理の保持、運用を許し、他の二神は天照大神の脇立の役を授けたのであります。この決定によって天照大神は言霊布斗麻邇の原理の保持者であり、原理に拠る世界文明創造(言霊イ・エ)の総覧者となりました。日本神道はこの神を皇祖と呼んで崇める事となります。天孫の天とは正しくこの天照大神を指し、邇々芸の命はその孫ということになります。

 次に「降臨」の説明をいたします。天孫降臨を従来の国家神道は邇々芸の命という神様が何処か宇宙の遠い神聖な所からこの地球上の日本の地に舞い下って来られた如く語られ、またそのような絵画も発刊されていたのであります。その夢物語の神話が太平洋戦争の敗戦と、昭和天皇の古事記・日本書紀と皇室とが無関係であるとの宣言によって崩壊し、好奇心を満足させる以外の何物でもない推理小説的歴史に変貌しました。これも古事記の編纂者、太安万呂の巧妙な話術狂言をその裏の真実を見ず、そのまま信じ込んでしまった結果でありましょう。古事記の天孫降臨の真実とは、人間の心の原理、生命の構造を余す所なく体系化した言霊の原理を保持した賢者達(これを聖(ひじり)と呼びます。太古言霊を一字霊と呼び、その霊の道を知っている人、即ち霊知りと言ったのです)が、この精神の宝である原理を自覚・保持して、地球の高みから、人類文明創造の大業を全うするのに都合のよい理想的な平地に下って来ることを言ったものであります。

 天孫降臨と呼ばれる事の真の目的とは何なのでしょうか。それは降臨する聖の代表者、統率者の名、邇々芸の命の名がよく示しております。これを説明しましょう。

 邇々芸の命の邇は似(に)または二(に)に通じます。二は第二次的の意です。邇が二つ重なりますから、第二次的な、そのまた二次的なの意となります。即ち第三次的な、の意です。何の第二次的なのか、と言いますと、もの事の最も真実なもの、即ち言霊です。言霊が第一次です。その言霊を組合せて、物事の実相を表わす言葉を造ります。言霊原理より造られた言葉は第二次の真実です。次に人間は何を為すべきか。それは造られた言葉がそのまま通用し、調和して誤ることのない人間社会の建設です。邇々芸の芸は業(わざ)であり、芸術のことです。言霊を第一次とし、言霊原理によって造られた言葉を第二次的芸術とするならば、その言葉が通用して誤ることのない調和の社会を建設することは確かに第三次的芸術ということが出来ます。文明社会の建設の仕事、言い換えますと、真の意味での言霊エの実践智による世界文明建設の政治は人間にとって最高の芸術だということが出来るでありましょう。古事記の邇々芸の命とはそういう役目を担った人の意であります。

 かくて高天原に時が来て、言霊の原理を自覚・保持する邇々芸の命人類文明社会建設集団が高原から世界政治を行うに便利な、気候温和で四季の移り変わりの明らかな土地を目指して、高天原を出発して行ったのであります。それはこの地球上に初めて英智そのものの原理と、人間社会に永遠の理想社会を建設する大きな目的をもたらす大移動の旅でありました。

 古事記に「ここに肉(そじし)の韓国を笠沙の前に求ぎ通りて詔りたまはく、此地は朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり、かれ此地ぞ甚と吉き地と詔りたまひて、……」とあります。邇々芸集団の旅がどのような経路を踏んだかは明らかではありません。けれど世界統治の最適の地として旅の終着点とした土地は明らかであります。この日本列島でありました。