「コトタマ学とは」 <第百九十九号>平成十七年一月号
謹賀新年

 人が朝目覚める時を例に挙げて、心の先天構造を説明してきました。何もない宇宙の中に言霊ウの意識が動き出し、次に「何かな」の疑問が始まると同時にアとワ、吾と汝の主と客に分かれました。意識の目覚めがさらに進んだらどうなるでしょうか。

 主体と客体に分かれますと、次は目の前にあるもの(客体)は果たして何なのだろうか、と考えます。この時記憶が呼び覚まされます。色々な過去の経験の記憶が蘇り、目の前のものは何だと決まります。この記憶を呼ぶ主体が母音である言霊オであります。その結果「あぁ、あれであったのか」と心の中から呼び覚まされてきた対象の客体世界が、半母音ヲということです。

 言霊オとヲは過去の経験の記憶が出て来る宇宙です。この記憶と記憶の関連性を調べることから学問・科学が成立してきます。経験知の世界です。記憶の関連性を喪失してしまうことをボケといいます。記憶の関連性のことを昔の人は生命の玉の緒といいました。

 さらに目覚めが進みますと、「さて今日起きて何をするかな」と考えます。色々なことが考えられます。その中から「よし、今日はこれをしよう」と選択的決定をします。この実践智の出て来る主体の宇宙を言霊エといいます。選択された客体の宇宙を言霊ヱというのです。それは選ぶ知恵の世界のことです。今までに出てきた言霊で先天構造を図に示すと次のようになります。

(次号に続く)


   神路山

 神路山深くたどれば二道に千木(ちぎ)の片削(かたそぎ)出で合いなまし
 上は伊勢神宮に伝わる古歌である。そのことから神路山とは神即ち「人間の生命とは如何」を探究する道の意にとることが出来る。「この探究の道を何処までも深く追求して行くと、次の如くなるであろう(なまし)」の意である。ではどうなるか。千木とは神社の屋根の棟の両端から天空に突出している二本づつの木のことである。千木は「道(ち)の気(き)」の意で人間の心の働きの事。千木に二種類がある。先端を水平に切ったものを内削(うちそぎ)といい、垂直に切ったものを外削という。内削とは心の演繹法を表わし、外削は帰納法を示している。「演繹法とは一般から特殊を導き出す思考方法。帰納法とは帰納による推理方法」と辞書に見える。人間の心の働きに於ける演繹法の根本原理は太古の日本に於て内に心を省みることによりアイウエオ五十音言霊布斗麻邇として確認された。これに対し、現代科学は心の外に物質を対象として探究し、今や身体の根本法則としてDNA法則を発見し、物質の根本存在として十六個の原子核内コークを確認した。DNA法則もコークの基本存在としての法則も近い将来完成されるであろう。

 同じ生命を、片や人間の内に求めた言霊の原理と、外に求めたDNA並びにコーク法則という科学の成果とが対称として如何なる関係になるのか、人類の文明創造上の極めて興味ある問題であるが、伊勢神宮の古歌は両者が同一に一致するのではなく、二道は相似形に出合うと予言しているのである。

 人間精神の深奥を究めた言霊原理から見るならば、人類が直面しようとしているこの大問題を平然と予言し得る事が可能なのである。この一事からみても、人類が二、三千年の暗黒の夢から目覚め、光輝く第三生命文明時代の幕開けに向って努力する時が来たと言い得るであろう。

(この項終わり)


   古事記と人間生命

 言霊学のことをアイウエオ五十音言霊布斗麻邇と言い、また三種の神器の学ともいう。そしてその言霊学の唯一の教科書が古事記上巻の神話である。これ等言霊学、布斗麻邇、三種の神器、古事記の神話が如何なる関係にあるか、を考えてみよう。

 太古より日本皇室に伝わる三種の神器とは草薙釼(釼)、八坂の曲玉(玉)、八咫鏡(鏡)である。この一つ一つについて簡単に述べよう(詳しくは「コトタマ学入門」138頁「三種の神器」参照)。

 先ずは釼(つるぎ)であるが、古代の日本の釼は双刃(もろは)である。釼とは人間の持つ判断力の表徴である。双刃は片や“断ち(たち)”を、もう一方は“連気(つるき)”を表わしている。人が物事の内容を知るには、そのものを分析即ち断たなければならない。その判断力は「太刀」である。断ってその部分々々の内容が分かったら、その内容を総合して元の姿に戻す必要がある。この総合の働きを連気(釼)という。草薙釼とは人間の持つ天与の釼即ち判断力の表徴なのである。

 次に曲玉であるが、人間天与の太刀(たち)の判断力を以って人の心を分析して行くと、最終的に五十個の言霊(ことたま)が現われる。この要素を曲玉で表現する。言霊とは人の心の究極の要素であると同時に言葉の究極の要素でもあるものである。即ち人の心は五十個の言霊で構成されており、それより多くも少なくもない。これを表徴するのが八坂の曲玉である。

 人の心を分析して、五十個の言霊で構成されていることが分かったなら、次に天与の判断力の釼(つるぎ)の総合力で元の心の姿に戻す作業が行われる。そして最後に人間精神の最高理想の構造に到達する。この五十音の言霊で構成された最高の構成図を天津太祝詞音図という。この五十音図を八つの父韻を基調として並べた八角構造の音図のことを八咫鏡(やたのかがみ)と呼ぶ。

 以上、釼・曲玉・鏡の三種の神器の内容と関係を簡単に述べたが、言霊学の唯一の教科書である古事記上巻の神話も、言霊学の記述に当り、矢張り三種の神器の釼・曲玉・鏡の順序に従うかの如く説明しているのである。この事を検討してみよう。

 古事記は「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天の御中主の神。次に高御産巣日の神。次に神産巣日の神。……」という文章から始まり、次々に神が現われ、伊耶那岐の神、伊耶那美の神で一段落する。天の御中主の神より伊耶那美の神まで十七神が登場する。この最初に現われる十七神が古事記で「天津神 諸 の命」という、人間の心の先天構造、即ち人間の天与の判断力の実体である十七個の言霊(天名=あな)である。三種の神器の釼とはこの心の先天構造を表徴している。

 釼が十七個の言霊で構成されている心の先天構造であることを説明した古事記は、次に判断力の太刀の力である分析の働きを以って人間の心の現象を分析して行く。古事記の文章の「既に国を生み竟(を)へて、更に神を生みたまひき」とある所である。そして後天子音である大事忍男神=おおことおしを(言霊タ)以下三十二神(言霊)を生んで行く。先天十七神、後天三十二神、計四十九神(言霊)、それに言霊を神代文字化する言霊ン、総合計五十個の言霊となる。人間の心を分析して五十個の言霊が要素として現われる。この全部で五十個の言霊を糸で連結した分析の結論が三種の神器の曲玉を以って表徴される。

 人間天与の判断力を十七の言霊で構成された心の先天構造(天津神諸=あまつもろもろの命・天津磐境)として自覚し、その働きによって人間の心が全部で五十個の言霊で出来ている事を確認した古事記は、今度は天与の判断力の釼(連気)の総合力によって生れ出た五十個の言霊を総合し、整理・活用して、元の生命の姿に戻す作用が開始される。これが金山毘古の神より須佐男の命までの五十神で示される作業のことである。

 言霊五十音の整理・復元の作業は三段階に行われる。初めの金山毘古神(かなやまひこ)より和久産巣日神(わくむすび)までは五十個の言霊の初期整理の段階で、そこで得た整理の五十音構造を天津菅麻(音図)という。生れたばかりの赤ちゃんが持つ精神構造である。第二段階は、第一段階で得た菅麻(すがそ)音図を下敷として、これに更に整理・活用の為の手を加え、人間が人間社会の中で生産される種々の文化を受け入れて、人類の文明を創造するために如何様な心構えが必要であるかを、人間の主体内原理・法則として確立しようとする作業である。その結果として人間の主体内に於てのみ自覚された人類文明創造の法則を得て、これを建御雷の男の神と呼ぶ。人類が初めて主観内に自覚した人間最高理想の精神構造である(これが如何なる精神構造であるか、は古事記はこの段階では明らかに示さない。詳細は古事記神話の総結論である「三貴子(みはしらのうずみこ)」の誕生に於て明らかにされる)。

 その人本人の心の内容を分析によって知り、それを再び総合によって元の姿に返す仕方の心構えを、今度は世界各地で生産される諸々の文化を吸収して、世界文明創造に役立たせる、所謂禊祓の原理として確立するために、人間の判断力(総合)は如何にあるべきか、の実際の探究と、その完全な証明が最後の段階である。この事の検討によって建御雷の男の神という主観内真理が、如何なる外国文化に適用しても成功して誤ることのない真理であることの証明が完成する。人間が持ち得る最高理想の心構えの確立となる。この様な精神的行法を古事記は「禊祓(みそぎはらい)」と呼んでいる。

 ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、「吾はいな醜(しこ)め醜めき穢(きたな)き国に到りてありけり。かれ吾は御身の祓せむ」とのりたまひて、竺紫の日向の 橘 の小門の阿波岐原に到りまして、禊ぎ祓ひたまひき。
 古事記「身禊」の章は右の文章の如く説き起す。禊祓については幾度も説明して来たことで、今回は後に続く文章に関連する所を簡単に触れることとする(詳しくは「古事記と言霊」身禊の章参照)。

 伊耶那岐の大神
 諸々の文化を生産する黄泉国=よもつくに(高天原日本以外の国)の主宰神である伊耶那美の命をも自らの責任として取り込んだ主体プラス客体である宇宙神の立場。

 衝立つ船戸(つきたつふなど)の神
禊祓の行為の方針として掲げた建御雷の男の神の音図。

 道の長乳歯(みちながちは)の神、時置師(ときおかし)の神、煩累の大人(わずらひのうし)の神、道俣(みちまた)の神、飽昨の大人(あきぐひのうし)の神。
上の五神は禊祓をするに当り、摂取する黄泉国の文化の内容を予め調べるための五つの観点。

 奥疎(おきさかる)の神、奥津那芸佐毘古(なぎさびこ)の神、奥津甲斐弁羅(かいぺら)の神。辺疎(へさかる)の神、辺津那芸佐毘古の神、辺津甲斐弁羅の神。
上の六神は、黄泉国で生産された文化が今、人類全体の文明の中に吸収されようとする時、その文化は現在どういう内容を主張しているか、その内容を世界文明の中ではどういう役目として取り入れられるべきか、そしてそれを可能にするには如何なる変革が必要か、が調べられる段階の働きを表わす神名。

 八十禍津日(やそまがつひ)の神、大禍津日(おほまがつひ)の神、神直毘(おむなほび)の神、大直毘(おほなおび)の神、伊豆能売(いづのめ)
然らば諸々の文化を世界文明に摂取するための変革は、人間に天与されている五つの性能の中のどの性能に於て行わるべきか、が検討され、人間の持つ五性能のそれぞれの役割が決定され、更に世界各地の文化を世界人類の文明に吸収する方法は、「あっちを削り、こっちを足す」という変革ではなく、闇の中の文化に光を差し入れ、それぞれの文化をそのままの姿で光の世界文明に吸収するやり方が適当である、と決定し、その観点からの変革を実行することが決定される。

 底津綿津見(そこつわたつみ)の神、底筒(そこつつ)の男(を)の命、中(なか)津綿津見の神、中(うは)筒の男の命、上津綿津見の神、上筒の男の命。
光による変革とは、黄泉国の諸文化を光である言霊原理によって作られた言葉で表現することで世界人類が挙げて祝福する文明にまで吸い上げることだ、と証明され、主観的原理である建御雷の男の神の人間精神構造は晴れて人類の歴史創造の永遠の真理であることが自覚される。天照大神(言霊エ)、月読の命(言霊オ)、須佐男の命(言霊ウ)の三貴子の誕生となる。建御雷の男の神の音図はここに天津太祝詞音図となって人類最高の道徳規範が決定される。

 以上が三種の神器の釼(天津磐境=あまついはさか)の連気の総合作用で言霊五十音が元の姿に復元される過程である。三種の神器の釼・曲玉・鏡の順序に従って古事記の「言霊学の教科書」としての神話が編纂されていることを御理解頂けたことと思う。またその過程の記述が余りにも簡潔すぎることを不審に思われる方も多いかも知れない。何故その様な記述をしたか、それはここまでの文章はこれから始まる「古事記と人間生命」という本題の前提文として書かれたものだからである。さて本題に入ることとしよう。

 既に話した如く、心の先天、後天の構造とか、禊祓に於ける光の言葉による人類文明創造などと言うと、如何にも難解であり、またその難解な言霊学をマスターし、活用し得る人はどんなにか頭脳明晰で高潔な人格の持主であり、我々凡人から見ると雲の上の人の如く思われるかも知れない。例えば大宗教の開祖、教祖についてその人間放れした神人らしい記述が書かれているせいもあろう。実を言うと、かくいう筆者も自身の日常生活が余りにも世間知らずで、オッチョコチョイな生活態度を思うにつけ、昔の孔子様やお釈迦様、またイエス・キリスト様などは端正な態度で、すべてのことを承知した偉人、聖人であったのであろうと思うことが多かったものである。特に「論語」にある「七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」などの文章を読むと、「あっちに突き当たり、こっちにぶつかる」自分なんか遠く及ぶものではない、と自棄を起したりする。

 先月下旬に入った或る夜、連日の多忙で少々疲労気味で元気がなかった。静坐して自分の意気地なさを反省した。大切な言霊学を勉強させて頂いておりながら、時々弱気が起こる。自分には感謝の念が足りないのであろうか。自責の念が続いた。その時、ふと思った。尊い皇祖皇宗の人類文明創造の仕事に参画させて頂きながら、私は疲れるとついつい弱音を吐く。全く情けない人間だ。何時も「もっとしっかりせねば」と思いながら、改められない。「三つ子の魂百までも」と言うが、私のこの性質も変わりようがない。私はこういう人間なのだ。とつくづく知った。すると同時に、こういう人間でも生きている。こういう人間でも生命(いのち)は何時も変わりなく私を守り、生かして下さっている。生命とは言霊イの道即ち「いのち」である。そうだ。言霊学が言霊イの道であり、人間の道の学問であるから、言霊学とは私の如き横着で意気地がない人間そのものを映し出した学問なのだ。聖人君子を映し出した学問ではない。平凡な人間の空相と実相をそのまま映し出した学問なのである。そう気付いたのであった。

 人間、この世に生きていれば、気の合う人にも、気が合わぬ奴(やつ)にも会う。ぶん殴ってやりたい奴もいる。喜怒哀楽交々(こもごも)である。ストレスを溜めない人などいるわけがない。にもかかわらず人は生きている。言霊イの次元の生命が他のウオアエの四次元の現象を総合して「霊駆(ひか)り」の調和を以って包み、新生活の創造に取り込んで下さるからだ。生命は頼まれなくても、言霊学で謂う「禊祓」を時々刻々、分また分、一秒一秒毎に行ってくれている。言霊学はただその創造行為を理論的に、行動力学的に映し出したに過ぎない。

 人間の肉体は必ずしも健康によいことのみを行っているわけではない。目出度いと言って酒を呑み、気に入らんと思って深酒をする。太ると知りながら甘いものに目がない者もいる。健康によいものをと手当次第保健薬を飲む人、体に悪いから煙草を吸うな、と言われ、吸えないくらいなら死んだほうがましだなどと一日に五・六十本も吸う人、人はまちまちである。けれどそんな人でも結構生きている。生命は身体の我侭や無理を程よくカバーし、調和して、明日の活動力を与えてくれる。これも生命のおかげである。その生命も自らの生命自身の内なるものなのである。禊祓は肉体の面でも日一日、分また分と滞りなく行われている。

 言霊学を極めたからといって、平々凡々な人間より一歩たりとも上に出るわけではない。矢張り平凡な人間に他ならない。では言霊学を極めた人と、言霊学を知らぬ人との間に何も相違はないか、否、唯一つある。それは何か。

 物事を言霊の原理によって見ることが出来る人は、世界人類のことを自分一人のこととして考えることが出来ることである。

(おわり)


   過ぎし日々のことなど(言霊学随想)その三

 十年余の勉強の成果を心血を注いで書いた論文が、人類の新時代創造という目的に何の役にも立たないもの、と分かった後では、燃え滾(たえぎ)っていた希望も意欲も破裂した風船のように萎んでしまいました。まるで死んでしまった人間のような二、三日が経ちました。その時、待っていたS氏より手紙が届きました。以前の心境なら小躍りして喜んだであろうような内容が書いてあります。「貴方の論文精読を終えました。人々がまだ気付いていないユニークな観点から人類の新しい時代の到来を予想する興味ある内容の文章です。私が関係する日刊K新聞社から単行本として出すよう手配したいと思います。ただ素人には馴染みのない用語が何箇所かにありますので、分かり易い言葉に換えて頂かねばなりません。打ち合わせもありますから近い内に一度おいで下さい。……」自分の論文を「没」と決めてしまった後では、喜ぶどころか、御厚意に応えることが出来ない恐縮さに心も縮む思いで手紙を読みました。早速その翌日お宅に伺い、初の挨拶の後、直ぐ私の心境を縷縷(るる)お話申上げ、自分の身勝手をお詫びし、「今回のことはなかったことにして頂き度い」とお願いしました。S氏は初め怪訝な顔で聞いて下さっていましたが、終りには私の率直な心を理解して下さってか、笑い顔になられ、「惜しいですな。これは君、売れますよ」と言って下さいました。……

 S氏はその数ヵ月後、急逝されました。S氏の如き若者のお手本になるような高潔な方にお会い出来たことを有り難く思っております。「人類新時代の展望」という手製の本は未だに誰の目に触れることなく現在も書棚の奥に眠っています。……


 希望も、それに関係する仕事も失った私は、その後数日間、自分でも何をしたか全然覚えていないような日々を送りました。やがて死んだ人間が蘇生するように、我に帰りま オた。気持ちが素直になっていました。何もなくなったけれど、食べなければなりません。「そうだ、何処でもいい、自分の出来る仕事に就き、自分の食べるだけのものは稼ぎ、静かに暮らそう」と思いました。丁度その時、信州に嫁に行った私の一番上の姉から便りがあり、姉の連合(つれあい)(義兄に当る)が経営している小さい精密機械製造の工場が人手が足りないで困っている、という事が書いてあります。「そこで機械をいじりながら暮らそう」心は一発で決まりました。長年勉強に、研究に、そして散歩に過ごした茨城県の住み慣れたS町を離れ、信州安曇野の、隣の家まで近い所で三百メートルはあるという工場の一軒家に住み込みで働くこととなりました。希望を失い、ただ生きている私にとっても、住居の窓から北アルプスが一望出来る眺めと、澄み切った空気、深い緑、それに冬は湯気を立てて流れる湧水、その素晴らしさが私を慰めてくれます。「これからの人生、どうなって行くんだろう」そう思いながら、連峰の景色に見入ったものであります。

 工場の生活は過去や将来についての感慨に耽(ふけ)る暇もない程忙しいものでした。朝八時から夕方五時まで、そこで帰る工員は一人もいません。早くて夜八時、遅い人は十時、時に徹夜をする人もいる程です。シェイパー一年、旋盤三年、組立て八年、火造り十三年というのだそうですが、二年もすると私は大概の仕事はこなすようになっていました。工場にとってなくてはならぬ一員となりました。そんな中でも、夜目覚めて寝付かれぬ時、また偶にとった日曜の休日の時など、「人類新時代の展望」の事が頭に浮かびます。その文章に加筆する何事も思いつきません。にも拘らず、脳裏を擽るのです。「未練だ」と分かっても頭をもたげるように追い立てられます。だからと言って、一歩も前に出る術を持ち合わしていない自分であることを知っているのです。このようにして信州の暮らしは過ぎて行きました。

 一九六二年(昭和三十七年)冬も終りに近い夜、私は生れて初めてという自然現象の光景を目にしました。それは素晴らしいというか、物凄いというか、形容の言葉もない光景でした。夜十一時頃、疲れて早々と床に入り、一眠りした後、ふと目を覚ました時のことです。風のない、空気が飽くまで澄みきった夜でした。何となく夜空が見たくなり、外に出ました。地面は凍て上っています。夜空に雲一つありません。夜空を見上げました。その時の驚きを一生忘れることはないでしょう。空一面を覆(おお)う星の群(むれ)、その数、数百万個か、夜空の面積より星の面積の方が遥かに大きいと思われるような無数の星、魂が転倒したように声も出ません。それは美しさを通り越して凄まじさです。星の一つ一つがはっきり判別できる明るさを持ちながら、それ等が夜空一杯にまるで截金細工の如くちりばめられています。私は右手を頭上に延ばし、親指と人指指で丸を作ってみました。その穴から空を見て星を数えました。その数、数百個は下りません。その凄まじさ、声も出ず見上げていました。頭を棒で殴られたように何が何だか分からなくなりました。………足元の冷たさに震えて家の中に入り、暫く「ボー」としていました。そして心が次第に静まった時、私は口の中で私自身に向って叫んでいました。

「お前はあの十数年の勉学の時、世界人類の将来の可能性についてのすべてを見たというのか。可能性を可能にする人類の過去の営みのすべてを知ったと思うのか。お前は、現代の人類の心の底にあるすべての領域の真実を見たと思うのか。さっき仰ぎ見た大空の星の数を以前から予想し得ていたか。頭を低くし、度量を大きくし、魂の琴線の感覚を鋭くして待つことだ。それでも何も起らなかったら、その時こそ以って瞑すべしだ。」……

 その年の春が過ぎ、夏が逝き、秋の風が信州安曇野を吹き抜ける頃、前にもお話したことのある東京の弁護士O氏より部厚な手紙が届きました。「最近、市井の聖者とも思われる素晴らしい人に出会いました。小笠原孝次氏といい、日本の古代より伝統の三種の神器の学である言霊(ことたま)学の日本唯一の研究者だそうです。君も上京の折は尋ねてみられたらいい。参考のため、氏の発行したパンフレットを同封する。……」

 そのパンフレットには藁半紙に手書文字で「皇学研究所、第三文明研究、言霊原理から見た古代の前円後方墳について」と題字として謄写印刷してありました。……

(おわり)