「コトタマ学とは」 <第百九十五号>平成十六年九月号 | |
真夏の夜の現(うつつ)(言霊学随想) 夜中、ふと目が覚めました。窓から台風 の余波の湿った風が吹き込んでいます。「何時かな」と枕下の時計を見ました。三時少し前です。「今夜もか」と思いました。実は午前三時という時刻には曰く があります。私は十年余以前、老人結核に罹り、六ヶ月間入院したことがあります。病気は痛くも痒くもない、ただ寝ていればいいものでしたから、「禍転じて 福となす」で、この暇の機会を有効に使って、先師小笠原孝次氏より遺言の如くに出された宿題の解答に専念しようと心掛けたのでした。宿題とは古事記神話の 禊祓に出てくる訳の分からぬ名前の六神の解明です。奥疎(おきさかる)・奥津那芸佐毘古(おきつなぎさひこ)・奥津甲斐弁羅(おきつかひべら)、辺(へ)疎・辺津那芸佐毘古・辺津甲斐弁羅の六神名は現存の神社の祭神としても見かけることのない名前です。この六神の名が指示する人間の心の内容を何としても解き明かそうと思ったのです。私にとってこの入院の六ヶ月間は貴 重な時間となりました。退院が間近になった日、やっとこの六神名の内容を合理的に解明することが出来たのでした。 病院での夜、目が覚めるとベッドの上に正坐して、六神の名の内容如何と 思考したものです。その甲斐あって、自分の心の底から何か耳語(ささや)く声を聞くかの如く、時が来ると私の心の中に結論が「サッ」とまとまります。そして不思議と 言えば不思議なことにその耳語が聞こえるのが午前三時過ぎなのです。「今夜もか」と思ったのには以上のような経緯があったのです。 私は起き上がり、ベッドの上に正坐して 静思を始めました。静かな夜でした。隣のベッドで寝ている家内の幽かな寝息が聞こえます。坐って幾分も経たない内に私の心は気持ち良い緊張の中にリラック スして行きました。…… 私は大勢の人から「瞑想する」という言 葉を聞きます。それ等の人々の瞑想ということがどんな心構えで、どんな内容を求めての行為なのか、を私は全く知りません。そこで私は「静思」という言葉を 使いました。それは私が何か悟りを得て、今の私とは違う何者かになろうとする願いから瞑想するのではないからです。先師が教えてくれた方法をただ只管(ひたすら)遵守し、実行しているだけなのです。師はこう教えてくれました。「人は生まれながらに救われているのです。 実際に必要なものはすべて与えられてい る仏そのものです。だから今、現在の自分と異なった悟りを得ようとするならば邪道に陥りましょう。救われた存在なのに、悟っていないと思うのは、その人の心に雲がかかっているからです。雲とはその人自身が身に付けている経験知識です。知識は人が生きて行くための心の 道具なのであって、その人自身ではありません。今、此処で何かをしようとする時、どうしてよいか分からないのは、生まれた時から授かっている人間本来の知 恵の代りに道具であるべき経験知識を自分だと勘違いして、知恵の出番を邪魔してしまうからです。 本来の知恵に取って代わろうとする経験 知識を、『それは私 自身ではない』と言って心中に否定することです。知識という雲が去れば、人は自ら本来の仏の自覚に帰ります。己(おのれ)以外の別の自分を求めることを禅は『屋上屋を架す』と言って警めています。」ですから私の静思とは知り度いと思うものを念頭にしながら、専(もっぱ)ら自分の心を占領しようとする縁ある経験知識を只管「それは私ではない」と否定する行なのです。先師にお会いする以前の私は哲学、倫理学、歴史学、心理学、深層心理学、心霊学、超心理学等々経験知識の権化みたい な人間でした。 先師に初めて生きることの意義(言霊 学)を教えて頂きました。ですから私は馬鹿の一つ覚えの如く、先師の教えを金科玉条として、ただ只管そ の道を踏襲しています。信仰と言霊の学とは道としては違いますが、気持ちの上では浄土真宗の開祖、親鸞上人の述懐をわが述懐としています。「たとひ法然上 人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ。その故は、自余の行をはげみて仏になるべかりける身が、念仏をまう して地獄にもおちてさふらはばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔もさふらはめ、いづれの行もをよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞか し。……」 この自分の心の中の経験知識の反省の行の結果、心にかかった雲が晴れま すと、その瞬間、古事記神話の解明に必要な解答は脳内に無言の耳語となって浮かんできます。それは不思議でも何でもありません。人間の心は五段階ウオアエ イ・ワヲアヱヰの宇宙を住家としています。その中の言霊ヲの宇宙には何百、何千年とも知らぬ遠い昔から今までの出来事が記憶として整然と整理・保存され、 心にかかる雲さえなければ何時でも必要な記憶は脳裏に蘇って来ます。また人間に如何なる難事が降りかかろうとも、それを合理的に解決し、未来を創造して行 く智恵は言霊エの宇宙に満ち満ちており、出番を待っているものなのです。人の心を覆う雲が一瞬でも晴れるならば。…… ガラス戸越しに月の清らかな光が部屋に 差し込んでいます。静かな夏の夜です。私の静坐の思いは何時か過ぎし日の幾度か垣間見た言霊アの世界のことの回想に入っていきました。生れて初めて仏教の 所謂寂光の浄土の光を垣間見たのは今から三十数年前、茨城県下妻市を流れる鬼怒川の河川敷での静思の時でした。 連日の「空」を求める静坐も思うように 行かず、「私自体が言霊の学問の中に入るだけの才能がないのではないか」と絶望感に襲われた直後のことでした。細かい澄んだ光の粒子に囲まれ息づいている 自分を発見したのは。それはそれは美しい、なんとも形容することが出来ない光の粒の大気の中に、広い地球を見渡している自分に気付いたのでした。何の前触れもなく、一瞬の間に世界が変わってしまったのです。ふと「気が違ったのか」という意識が走りました。けれど心は冷静で、和やかです。足が大地をしっかり と踏まえたような感じで、少しの不安も感じません。そんな状態が多分三十分位続いたと思います。「ハッ」と気が付いた時、私は元の私になり、河川敷の草地 の上に静坐していたのでした。 その日は一日中、心も身体もホカくと暖かく、幸福感に溢れていた事を覚えています。このような現象が何なのか、全く知識も経験も持たない私は、翌日先師の家を訪れ、報告しました。先師は丁寧に 仏説阿弥陀経を広げながら、私が体験した光の世界が「寂光の浄土」と呼ばれる世界であり、それは特異なファンタジーの世界ではなく、私達が現実に住んでい るこの世の中のことなのであり、心の雲が一瞬でも晴れれば実際に見ているこの世界の実相なのだ、と教えてくれたのでした。 その後数回同じような寂光に包まれる機会に恵まれました。それが町を散歩している時、家で風呂に入っている時など、時と所は違っても、前触れの何の現象もなく起り、数分乃至数十分持続し、潮が引く如く何ということもなくおさまるのが例でした。そしてその現象中はどれも精神は充実し、幸福感に満たされた事であります。 この光の体験をして以後、私の言霊学の まなびは急速に理論と同時に体験(自分の心中に於ける実験)に裏付けられたものとなりました。自分の心の中で、言霊学の理論を実際に証明して行く道が開け たのです。言霊が全く身近(みぢか)なものとなりました。私の言霊学はその時のア次元の修行からエ・イ次元の探究に進んだものになって来た、と私自身も思うようになりました。奥疎、辺疎等禊祓に関係する古事記神名の解明を終えて以来、十年程の歳月が過ぎて行きました。言霊の会の仕事も順調に進みつつあると思っていま した。楽天的な私は、言霊の会にとっても、また私個人にとっても、もう一度、少なくとももう一度、全くの原点に帰らなければならぬ大峠が待ちかまえている 事など思ってもいない事だったのです。その大峠の存在に気付いたのは今年に入ってからのことであります。 今年(平成十六年)に入って講習会(コトタマ学会報)の主題として言霊学の結論である「禊祓」を取 り上げることとなりました。禊祓については今までに会報誌上でも何回か主題としてお話したことがありましたが、終ってみると、何時も物足りない思いが残る のが常でした。隔靴掻痒とはよく言ったものです。ビシッとした決め手に欠けている思いが残ったのです。「当らずとも遠からず」ではどうしようもありませ ん。「今度こそ」の思いで取り掛かったのでした。私の毎日の課題は「何処が物足らないのか」を捜すことでした。夜明け前のベッド上の静坐と静思が続きました。その結果、思考のフォーカス(FOCUS)が問題の点に絞られてきました。物足らない思いが残る箇所が分かって来たのです。問題は次の二点です。その一つは、古事 記神名で示すと奥・辺津那芸佐毘古、奥・辺津甲斐弁羅の所です。外国の文化を体験した我が身から、その文化を摂取、消化して新しい世界文明の創造身となる ための一言の言葉、そしてその言葉が光の言葉(霊葉[ひば])であること、です。二つ目は、八十禍津日、大禍津日から神直毘・大直毘・伊豆能売と続く所で、外国の 文化を何ら変革することなく、百音図の下段の五十音図の位置から外国文化を上段の五十音図に組入れることが可能となる光の言葉(霊葉[ひば])の創造です。両者は 結局は同じ言葉である筈です。その言葉には今・此処に於て発動される生命力の権威(伊豆能売)が備わっていなければなりません。文明創造の原動力がなけれ ば、禊祓にはなり得ません。 これを石上神宮の布留の言本、日文で表 現するなら「ソヲタハクメ・カ」に当ります。「文明創造の言葉を言霊布斗麻邇を以って組め」ということです。此処でも霊葉が示されています。霊葉の発動がない限り、創造のイメージとなるものが伊耶那岐の大神である人の心に「カ」となって明らかに印画されてきません。 先師の教えが心に浮かんで来ます。「悪(影)は本来ないものなのです。強いて言えば、悪は善とは何であるか、を人が分かるためにのみあるものなのです。」 善は光であり、悪はその影に過ぎません。心に創造のイメージ「カ」を映し出すためには光の言葉が不可欠です。 従来より更に一歩内容に踏み込んだ禊祓 の話をしようと決めた時から、私の平生の心に波が立ち始めたのに気付きました。些細なことに動揺し、心が高ぶり、そして疲労感が残ります。和やかな平常心が何処かへ吹き飛んで行ってしまった感じです。以前の言霊ア次元の自覚と思っていた心が全くの絵空ごとの如く消えて、何事をするにも疲労感に襲われます。 医師の診察を受けましたら、「血液中のヘモグロビンが正常の人の半分以下、標高五千メートルの高地で生活しているようなもの」という声が返って来ました。 私の心に何かが起っている、と知りました。連夜の静坐、静思が続きました。 仏教の禅に「裸足(らそく)もて剣刃(けんにん)上を渉(わた)る」と いう言葉があります。足に何もはかず、素足のままで刃(は)を上に向けた刀の上を歩くということです。危険だ、ということです。危険とは、ここでは何の拠り所も 持たず、平常心の何たるかを知らずに何時、何処で何が起るかも知れない世の中を大きな顔をして暮らしている人のことを言った言葉でありましょう。テロ、交通事故、凶悪犯罪、家庭内暴力等々が日常のことのようになった現今では、この禅の言葉が尤(もっと)もな事と頷かれます。 更に考えを進めてみましょう。地球環境 汚染、人心荒廃、その上に核爆弾の中小国への普及が進展する世界状勢は人類の過去の歴史になかったものです。これ等の状勢が更に深刻となれば、正に人類全 体が十把一からげに奈落の底に突き落とされる危険は現実のものとなります。これは人間の心の持ち方の善悪、信仰の有無など全く関係なく起ることです。現在 の人類は文字通りの裸足で剣刃上を渉っています。個々人の宗教的悟りのある、なしに関わらずに、……。現今の人類生命存続の危機は宗教・信仰の心の及ぶ領 域以外で進展しています。人間個人の救済ならば、言霊ア次元における祝福で事足りるでしょう。しかし事が人類生命全体のこととなると、宗教はもう手も足も 出ないことになります。 現在、地球上には六十億人以上の人間が 生存していると聞いています。そのすべての人々が、国籍、民族、 人類の命運に関(かか)わる重大な教えであり、予言でもあるものを、そんな言葉の魔法とも思われる文章に仕立てて遺さなくてもよいではないか、またそのような文章など作り得ないはずだから、日文自体に実は何の意味もない四十七文字の単なる羅列に過ぎないのではないか、と思われる方も多いことでしょう。と ころが、どうして、どうして言霊四十七音を重複なく並べたこの布留の言本(こともと)日文四十七文字はまごうことなく人間の心を構成する言霊四十七音を使って、言霊原理に基づき人類の文明を創造して行く大行、即ち禊祓の方法を余すことなく教えている言葉であることが、今回の禊祓のお話を終了した時点で掌 に取るごとく明らかに確認することが出来たのであります。私達日本人の祖先の英智の高邁さ、霊妙さを改めて認識した次第なのです。 ここ数ヶ月の間、一日も休むことなく自分の心の時ならぬ不安、動揺の連続の内容と、その波立ちの奥にその姿をのぞかせ始めた人類の一員としての自分の実相に向って静思の焦点を絞っていきまし た。それを正確に把握させない自らの経験知識を否定しながら……。そして歴史の大きなうねりの中に溺れて、取りつく島もない人類の一員としての自分と、些細なことに気を荒だたせる日常の自分が一つの意識の焦点上で一体になった時、そこに暗黒の地獄の底で一切の救いの手から完全に見放された唯一人の人間としての自分がありました。どんなに足掻(あが)いても決して浮かび上がれない、嘆きも涙も許されない一個の人間がありました。…… 長い沈黙と静寂、悲しさも寂しさもない 呆然。長い長い心の旅路が終ったようでした。自分を見つめて来た旅が……。その瞬間、丁度、昔、茨城県の鬼怒川の河川敷で突然寂光の浄土の美しい光の世界が展開した如く、何の前触れもなく、意識の領域が一変しました。私の地獄はそのままです。けれど私の眼の位置が地獄とは正反対の言霊イの次元に移ってしまったようでした。私が当然いるべき地獄が掻き消す如くなくなってしまいました。私達日本人の大先祖、皇祖皇宗の人類歴史創造の御経綸の中にしっかりと抱 かれている自分がありました。そして更に同時に、私は生まれた時からこの厳しくも温かい、尊い胸の中にずっと抱かれていたのだと知りました。人類の一員で ある地球上のすべての人々がそうである如くに。 道に志した十九歳の時から六十年、長い、暗いトンネルの中の旅が終って、私はようやく(青い鳥)のごとく、生まれたばかりの大自然の中の赤子として、又皇祖皇宗の人類文明創造のご経綸の中の一人の命(みこと)として、生来あるべき姿に戻ることが出来たのです。 浄土真宗の親鸞上人の信仰について先師 は次の様に語っていました。「『煩悩具足の凡夫、地獄は一定住家ぞかし』『いかなる行もおよび難き身なれば…』と述懐にある如く、親鸞さん自身、地獄の底 に安坐をかいてしまうより仕方がない、と諦めたのです。そこで阿弥陀仏が親鸞さんの心を哀れと思い、地獄の底まで下りて来て、親鸞さんの口を借りて仏自身 が南無阿弥陀仏と称えて下さったのです。親鸞さんの信仰とはそういうものでした。上人はその信仰を『仏より賜りたる信心』と述懐しています。」 ひと度「煩悩具足の凡夫、地獄は一定住 家ぞかし」と知り、諦めてしまいますと、這い上がろうとしても無駄だと知ったのですから、動こうとしなくなります。「動く」とは人の心の内なる経験知が自 己主張をすることです。これがなくなれば、心に雲がかからなくなります。そうなれば人は信仰に於ては「仏(神)に抱かれている自分を見出します。」言霊学 に於ては「皇祖皇宗の人類文明創造の中の命としての自分」を知ります。自分の人格が五十音の言霊によって構成されていることを知ります。信仰の愛と共に言 霊学に於ては智恵を知ります。更にその愛と智恵から発する言葉(霊葉)の御稜威(みいず)を知ります。…… 隣の部屋の古時計が四時三十分を打ちま した。「あぁ、夜が明けるな」静坐をしていると時間の経つのが早いものです。二時間近くがアッという間に過ぎました。生活?を始め出した草や木の香りが風 に乗って部屋を満たしています。そのすがすがしい風を胸一杯に吸いながら、古事記神話の禊祓の中の神名、八十禍津日、大禍津日、神直毘、大直毘、伊豆能売 と続く心の動き、更にそれを可能にする光の言葉の内容が、ドラマの台詞の如く明瞭に心に画かれます。そしてその言葉が一瞬にして光の中に闇を消し去って行 く光景が心に浮かびます。それは愛に包まれた智恵の言葉による祝福であり、命令です。今・此処に活動する五十音言霊の原理に則った言葉であり、同時に皇祖 皇宗の人類文明創造の御経綸に沿った言挙げです。…… 小鳥の囀(さえず)りが賑やかになって来ました。 私は静坐の足を崩し、両手を高く挙げて延びをしました。そして古事記の一節を口誦みました。「この時伊耶那岐の命大(いた)く歓喜(よろこ)ばして詔りたまひしく、『吾は子 を生み生みて、生みの終(はて)に、三はしらの貴子(うずみこ)を得たり』と詔りたまひて、すなはちその御頸球の玉の緒ももゆらに取りゆらかして、天照らす大御神に賜ひて詔りたまはく、『汝が命は高天の原を知らせ』と、言依さして賜ひき。」言霊原理は天照大神にのみ与えられました。他の命には与えられませんでした。五十音言霊 の原理の活用(布留[ふる])は言霊エ即ち人類文明創造に於てのみなし得るものなのです。 (この項終 わり) |