「コトタマ学とは」 <第百九十四号>平成十六年八月号 | |
禊
祓について
古事記の神話が教える禊祓、言い換えますと世界人類の文明創造の方法が先月号で説明しました底津・中津・上津の綿津見の三神と底・中・上筒の男の三命によって主観的であると同時に客観的な、絶対的真理であることが検証されました。この事によって神話は直ぐに神話の総結論である天照大神・月読命・速須佐男の命の三貴子の誕生に移るかと思われますが、実はその間に文庫本で三行程の文章が挿入されているのであります。その事について解説を申し上げることとします。先ずその文章を掲げます。 この三柱の綿津見の神は、阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が祖神(おやがみ)と斎(いつ)く神なり。かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子宇都志日金拆(うつしひかなさく)の命の子孫(のち)なり。その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は墨の江の三前(すみのえのみまへ)の大神なり。 この三柱の綿津見の神は阿曇(あずみ)の連(むらじ)等が祖神(おやがみ)と斎(いつ)神なり。 三柱の綿津見の神と阿曇の連とはその名前では無関係のように思われます。けれど言霊学に則って見ますと意味・内容が同じであることに気付くのです。綿津見の神とは、底津・中津・上津共に禊祓の出発点より終結点まで渡して(綿津)新文明の創造の中に取り込んで行く働きの事です。しかもその働きの経緯は底津(エ段)・中津(ウ段)・上津(オ段)共にテケメヘレネエセ・ツクムフルヌユス・トコモホロノヨソと底・中・上の筒の男の命が示す八個の現象子音によって明らかに示されました。次に阿曇の連はどうでしょうか。連は昔の身分、官職を表わす名です。阿曇とは明らかに続いて現われるの意です。とすると、綿津見と阿曇は禊祓という文明創造の行法(政治)に於ては同意味の事柄ということが出来ます。 では三柱の綿津見の神が阿曇の連が祖神と斎く神だ、という文章は何を表わそうとしているのでしょうか。神話に於ける子とか子孫とかいう場合は、神が原理を表わす時、その子または子孫とはその原理や力の運用・実行者であることを示しています。以上のことを頭に留めておいて、次の古事記の文章を読みますと、その間の意味が更に明瞭に理解されて来ます。次の文章の初めに「かれ」とありますのは「それ故に」という意味で、両者の関係を更に敷衍して述べられていることが分かります。 かれ阿曇の連等は、その綿津見の神の子宇都志日金拆(うつしひかなさく)の命の子孫(のち)なり。 先に禊祓の奥疎から辺津甲斐弁羅に至る六神に於てお話いたしました如く、禊祓の出発点から終着点に導くためには、それを可能にする原動力となる言葉の力が必要でありました。また大禍津日、八十禍津日の項で学びました如く、五十音図を上下にとった百音図の下の五十音が示す外国(黄泉国)の文化を、上の五十音図(高天原が統治する言霊原理に基づいて創造させる人類文明)へ引上げるためには神直毘・大直毘・伊都能売の光の言葉が大切だと分かりました。禊祓を完成させる光の言葉(霊葉[ひば])の御稜威によって禊祓は完全に可能であるという証明が綿津見の神として成立したのでありました。その言霊原理の絶対の真理の確証が成立する事を示す三柱の綿津見の神の子である宇都志日金拆の命とは、現実の人類世界を統治する天津日嗣スメラミコトの世界文明創造の政庁の中の、外国の文化を人類文明に組み込んで行く役職のことであり、その実際の方法が、その役職名が示す如く、外国の文化を言霊原理に則り、大和言葉に宣り換えて行くことなのだ、ということを明らかに示しているのであります。阿曇の連とはそれより更に後世に於ける朝廷内の同様の役職名であるということが言えましょう。因みに民間歴史書である竹内古文書にはこの宇都志日金拆の命のことを萬言文造主(よろづことぶみつくりぬし)の命と書いてあります。スメラミコトの世界文明創造とは簡単に表現すれば、外国の文化を言霊原理に基づいて日本語に宣り直して行くことだ、ということが出来ましょう。この禊祓の原理を実際の政治に運用する方法として後世に伝えんとする意図が文庫本で三行の挿入文となって書かれたのであります。 その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命三柱の神は、墨の江の三前(すみのえのみまへ)の大神なり。 以上、三柱の筒の男の命と三貴子誕生との両神話の間に挿入された文章について説明をいたしました。古事記神話の撰者の並々ならぬ細やかな意図を御理解頂けたでありましょうか。かくて禊祓の総結論である三貴子(みはしらのうずみこ)の誕生の話に移って行くこととなります。 ここに左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名(みな)は、天照(あまて)らす大御神(おおみかみ)。次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月読(つくよみ)の命。次に御鼻(みはな)を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、建速須佐(たけはやすさ)の男(を)の命。![]() 伊耶那岐・美二神によって言霊五十音図が出揃った後、伊耶那岐の命のみで、五十音言霊を整理・点検して、主観内に於て完成した理想の音図の建御雷の男の神と呼ばれた音図、その主観内自覚の音図を禊祓実行の指針として掲げた衝立つ船戸の神と名付けられた音図、そして禊祓の実行・検証の結果、主観的であると同時に客観的な、即ち絶対的な真理と確認された音図が完成されました。この音図を天津太祝詞(音図)といいます。この五十音図全体、またはその五十音図の言霊母音エの段の配列を称して天照大御神と呼びます。実体はエ・テケメヘレネエセ・ヱの十音です。この音図のオ段、オ・トコモホロノヨソ・ヲの十音を月読の命と呼びます。更にこの音図のウ段、ウ・ツクムフルヌユス・ウの十音を建速須佐の男の命といいます。 「コトタマ学」会報の五ヶ月にわたりお話申し上げて来た言霊学の奥義ともいうべき禊祓の大行についての解説の大略を終了させて頂くこととなります。日本人の大先祖である皇祖皇宗の高遠偉大な言霊学をお伝えするには如何にも力不足の域をまぬがれ得ないのでありますが、少しでも読者の皆様の御理解の役に立てばと一所懸命にお話させて頂きました。有難う御座いました。話の対象が大方人間の精神内の事柄でありますので、幾度、幾十度と自らの心の内を反省して、心中に見ることが出来た実相についてのお話であります。反省を繰り返す度毎に新しい事実が、また当然気付くべきことで見落としていた事実を発見することとなります。気付いたこと、新しく発見したことはその都度、会報誌上に発表し、皆様にお伝え申し上げているのでありますが、今月の会報まで百九十四号がすべてその繰り返しだと申しても過言ではありません。このような牛歩の筆を今後共御声援を賜りますようお願い申し上げます。 さて一連の禊祓の話を終らせて頂いた眼で言霊学に関係ある種々の事柄を見廻しますと、そこにまた幾多の新しい事に気付きます。それ等の事の一、二についてお伝えしてみたいと思います。先ず初めに取り上げますのは奈良の石上神宮に三千年もの長い間伝承されているといわれる布留の言本(ふるのこともと)、日文(ひふみ)四十七文字についてであります。 日文(ひふみ)四十七文字とは人間の心を構成する四十七言霊を重複することなく並べて禊祓、即ち人類文明創造の方法を説いている文章なのです。称え言(となえごと)でもなく、祈りの言葉なのでもありません。「時が来たならば、人類の歴史創造はかくの如くせよ」という教訓であり、予言でもあるものなのです。日文四十七文字を書いてみましょう。 ヒフミヨイムナヤコトモチロラネシキルユヰツワヌソヲタハクメカウオエニサリヘテノマスアセヱホレケ 日文と私との馴初(なれそ)めは、私が言霊学を先師小笠原孝次氏に師事して十年近く経った頃です。ある日、先生は「島田さんも言霊の理論には通じて来られたから、一つ宿題を出しましょう。奈良の天理市の石上神宮に三千年前から伝わる布留の言本、日文四十七文字があります。江戸時代末の頃、平田篤胤[あつたね](国学者)が心霊的に解釈した以外には未だにこれといった解釈がなされていません。この日文を考えてみてはどうですか。」と言われたのが始まりでした。「三千年間、未だに……」というのですから私は張り切って引き受けました。一九七○年代前半の頃と記憶しております。 引き受けてはみたものの、日文を何回となく読み返してもどうしたら解釈らしいものが出来上がるのか見当もつきません。「ヒフミヨイムナヤコトモチ」とは「一二三四五六七八九十の十拳の剣(とつかのつるぎ)を以って」の意味だ、ということは分かるのですが、「ロラネシキル」が全く分かりません。「シキル」は仕切るの意であろうと思われますが、「ロラネ」は見当がつきません。「ユヰツワヌ」もはっきりしません。「ソヲタハクメ」は多分「それを田葉(たは)である五十音図の中の言霊で組んでみよ」であろうと解釈しました。「カウオエニサリヘテ」がまた見当がつきません。「ノマスアセヱホレケ」の「ノマス」は多分「宣(の)べよ」であり、「アセ」は「ア段の川の瀬」と思われるけれど、文書が前後にどのように続くのか不明です。「ヱホレケ」は全く不明。これではどうにもなりません。歯が立たないとはこのことをいうのでしょう。 試行錯誤の中に一年余りが過ぎました。薄ぼんやりとした思考の中に光明が差し込んで来ました。先師が画いた十七先天言霊(天名[あな])と三十二の後天子音言霊(真名[まな]・神名[かな])によって示される思考の循環図(「古事記と言霊」107頁参照)の意味と内容が少しずつ自身の心をのぞく事によって理解が深まって来るに従い、それまで見当もつかなかった「ロラネ」や「ツワヌ」、更に「カ」の一音の意味が次第に分かって来たのです。と同時に日文四十七文字の言霊の列が指示する内容がおぼろげながら一連の文章にまとまって来ました。 文章にまとまって来たと申しましても、それは言霊学という理論より推理した「言霊学の運用」という理論に過ぎません。勿論、それは現在お話申し上げているスメラミコトの世界人類の文明創造の実行行為(禊祓)の実際の心理描写なのではありません。けれど一応は先生からの宿題は果たした事となります。私はその解釈の文章を清書して先生に提出しました。(「言霊」随筆集「日文」参照)それを読み終わった先生は「まぁ、こんなものでしょうな。御縁ですからもう一つ清書して石上神宮の神主さんに送って差し上げたらよいでしょう」と言われた事を記憶しております。 言霊原理による禊祓が明らかにスメラミコトによる世界人類の文明創造の手法であり、その手法の一つ一つの過程を詳細に皆様にお伝えすることが可能となった現在、改めて石上神宮の布留の言本、日文四十七文字を見ますと、禊祓の手法を言霊四十七音を以って正確に指示、教示したものであることを知ることが出来るのであります。 現在明らかになった禊祓の行の心理の過程に基づいて日文四十七文字を区切り、その一節々々を指示する古事記の神名を以ってその分担を表わしますと、次のようになります。 ヒフミヨイムナヤコトモチロラネシキル ユヰツワヌ ソヲタハクメ カ ウオエニサリヘテノマス アセヱホレケ (次号に続く) |