「言霊学とは」 <第百九十号>平成十六年四月号
 前号までの数回のお話で言霊学という学問を、その緒論である天津磐境(あまついはさか)と結論である天津神籬(ひもろぎ)の解説で概略の紹介をして参りました。現代社会に氾濫する精神理論には見ることが出来ない日本民族伝統の言霊学のユニークさをお分かり下さったのではないかと思います。そこで今回からは話題を変え現代の日本に存在する種々の事柄を取り上げ、それと回復した言霊の学問とがどんな関係にあるか、を明らかにしてみたいと思います。

 その方法として当会発行の「コトタマ学入門」の書を取り挙げ、その中に書かれた一章一章を引用し、その内容を更に詳細に解説して行く事といたしました。言霊学とはこの地球上に生活を営む人間という生物の心と言葉に関する究極の学問であります。そのため「コトタマ学入門」で取り挙げる諸問題のどれからでも、現代の人類が直面する危機的諸状況の解決に結びつく究極の解決策を見出すことが出来ることとなりましょう。御期待下さい。

 第一章  日本語について

 日本語は不思議な言語です。長い長い間、この日本列島に住んでいる日本人によって使われている言語なのに、それがどのように作られてきたかが、全く分っていません。また、日本語は世界中のどの言語ともかけ離れた構造を持った言語です。

 その日本語のルーツに光明が差し始めました。長い間、日本人の意識の底に眠っていたコトタマの原理が目を覚まし、世の中に復活して来ました。日本語とは極めて厳密な霊妙な法則の下に作られた珠玉のような言語だということが分ってきたのです。日本語は私たちの大先祖が遺してくれた偉大な遺産であり、秘宝であります。

   日本語の起源

 今から十数年前、東京で「日本語の起源」に関する研究討論会が開催されました。日本はもとより東洋、中近東、西洋から大勢の研究者が集まり、十日間にわたる熱心な討論が行われました。言語学、比較言語学、文化類型学、歴史学その他色々な分科会に分かれた討論、全体総会など、大掛りな研究会でした。

 しかしながら、研究会が終り、新聞紙上に発表された討論会の結論は「不明」ということでした。日本語の起源は現在の学問の研究の範囲では分らないのだ、というのが結論だったのです。世界の英知を集めた研究会にもかかわらず日本語の起源は何故分らないのでしょうか。

 通常、一つの民族の言葉の起源を研究する場合、大きく別けて二つの方法が考えられます。その一つは同一民族の言葉の中から同じ単音が使われている言葉、例えば田、滝、狸、竹、…等「た」の音の入っている言葉を集め、その中の「た」の音の共通の意味を探し出して行く方法です。この方法で五十音の一つ一つがどういう場合に使われるかによって、その民族の言葉が作られてきた法則を見付けることが出来るという考え方です。

 もう一つの方法は、比較言語学と呼ばれる方法です。歴史的に関係が深いと思われる国々の言葉の中から発音が同一か、または非常に似通った発音の言葉を見付け出し、その意味内容の比較によって民族の言葉の起源を探る方法です。

 世界中から言葉の専門家が集まり、十日間の研究討論の結果、日本語の起源は分らないとの見解がなされたということから、以上の言語を研究する二つの方法によっては、日本語の起源を解明できないことがはっきりと示されました。

 そうです。現代の言語学が用いている方法―多くの共通点を持つ言葉を集め、その比較検討から言葉の起源を探し出す、いわゆる帰納法的な方法によっては、日本の言葉は決してその起源を探すことは出来ないでしょう。しかし、現代の言語学的方法では日本語がどうして作られたかが求められないからといって、日本語に法則がない、というのではありません。それどころか、日本語ほど厳密な法則によって作られている言語は世界中にない、といっても過言ではないほど、日本語には厳密な法則があるのです。ただ現代の言語学や心理学等々では決して到達することが出来ない人間の心の深部の真相・法則に従って作られているのです。

 そしてその心の深いところにある法則、それが私がこれからお話をしようとしている「コトタマ」のことです。私たちが日常何気なくしゃべっている私たちの日本語は、この「コトタマ」の法則で出来上がっています。

 この「コトタマ」の法則は極めて厳密なもので、決して誇張ではなく現代隆盛を極めている物質科学の諸法則と全く同様と言い切ってもよいほど厳密・詳細なもの、ということが出来ます。

 日本語が初めにどのようにして作られたかを語る場合、「コトタマ」を離れてはお話することは不可能なのです。「コトタマ」こそ日本語の起源なのです。

(この項終り)

   日本語と言霊

 日本語の語源である言霊布斗麻邇(ふとまに)の原理が私達日本人の遠い祖先によって発見されたのは今より八千年乃至一万年前と推定されます。言霊の原理と呼ばれますのは言即ち言葉、霊即ち心、人間の心と言葉に関する学問の真理の事であります。単に心と言葉の関係の学問というのではありません。人の心を何処までも、何処までも可能な限り分析して行き、もうこれ以上は分析出来ないという所まで到達した時、人の心は五十個の要素で構成されている事を発見したのです。私達の祖先はそれぞれの心の究極の要素を発見したばかりではなく、それ等の要素を、私達が現在使っている日本語の究極の要素であるアイウエオ五十音の一つ一つと結びつける作業の末に、人の心の要素と五十音の単音とを合理的に結合することに成功し、これ等結合された一つ一つを言霊(コトタマ)と名付けたのであります。

 心の要素と言葉の要素とを結びつけたのでありますから、言霊とは人の心の要素であると同時に言葉の要素でもあるものであります。ですから人の心は五十個の言霊によって構成されているということが出来、五十個より少なくも多くもありません。

 更に私達の遠い祖先は、人の心の中には五十個の言霊が乱雑、気ままに飛び廻っているのではなく、整然とした構造を持っている事を発見したのでした。心を構成する言葉五十個の内訳は、人間の意識で捕える事が出来ない、所謂心の先験(先天)要素十七、意識で捕える事が出来る後天現象要素三十二、計四十九、この先天と後天の構成要素を神代神名文字で表わす要素一、総合計五十という構造を持つことが明らかにされたのであります。

 私達の祖先が次に進めた研究は、これ等五十の言霊の活用、運用の方法でありました。人間に賦与された五十個の言霊を動かして、人間の文化を創造する手法の解明でありました。自然人として与えられている性能を活用して人間の文明社会を創り出す方法の研究です。その結果、この宇宙の中に、人間として他の動植物と共に理想の社会を築いて行く最高理想の精神構造の解明に成功したのでした。古事記はこの最高の人間精神構造を三貴子(みはしらのうずみこ)、即ち天照大神・月読命・須佐男命三神の誕生物語として黙示しております。言霊原理が蘇えって来た現在、この三神という名の黙示は明白な五十音言霊の整然とした配列で示された精神構造として何人もそれを希望する限り、明らかに究明、自覚する事が可能となったのであります。

 この様な人の心の構造とその動きの完全な解明に私達の祖先はどの位の年月を要した事でしょうか。現代人はよく古代の文化について「昔は現代の如く社会の仕組が複雑ではなく、比較的単純であったに違いないから、その住人も感性が鋭く澄んでいたに違いない。その鋭い感性を活かし、霊感によって知ったのであろう」と考え勝ちであります。けれどひと度言霊学の中に飛び込んでみれば容易に分ることですが、言霊学の精緻にして壮大な規模の学問が単なる感性と霊能だけでマスターし得るような代物でないことはすぐにお気付きになることであります。

 物質科学が「物とは何ぞや」の疑問を持ち始めた揺籃時代から科学文明の花咲く今日まで約四、五千年の歳月を要したと言われます。その間の研究は積み重ねて行く経験知識、そしてその先に働く人間の直観、その繰返しであったに違いありません。その結果、科学の研究のメスは複雑な物質の現象領域は勿論、その領域の彼方の物質の先天(先験)領域の完全な解明が目前となるまでに進みました。最初の「物とは……」の疑問の完全解明まであと一歩の処に来ております。

 私達の祖先の「人の心とは……」の解明・自覚への挑戦も右の物質科学と同様の努力と手法によってなされたに違いありません。またその要した努力の歳月も同様な程の長い年月であったことが推察されるのであります。その長い年月の多勢の人々の努力の結果、人間精神の全貌と言葉に関する完全無欠の原理が発見されました。これをアイウエオ五十音言霊布斗麻邇の原理と呼びます。その原理の研究・発見者の代表を古事記は伊耶那岐の命と名付けております。前にもお話しました如く今から八千年乃至一万年前の事であります。

 この言霊の学問が研究・発見されました処は果たして何処であったのでしょうか。はっきりは分りません。古事記・日本書紀に高天原と呼ばれている点から推して、日本の高原地帯、もしくはアジアの屋根と謂われるチベット、ヒマラヤ、またはイラン、アフガニスタン辺りの高原地帯であったのかも知れません。原理の発見後、或る時が来て、発見された真理を運用・活用して、この地球上に精神の充実した合理的な社会を築く運動が開始されました。人類の文明創造の歴史の始まりであります。

 言霊(ことたま)のことをまた一音で霊(ひ)とも呼びます。言霊の原理の自覚者を霊を知る人の意で霊知(ひし)り、即ち聖(ひじり)と言います。この聖の人々の中から選ばれた集団がこの地球上に理想の社会を建設するために適当な場所を求めて高天原の高原地帯から世界の政治を行うのに都合の良い所を探して下りて行ったのであります。この行為を古事記は天孫降臨と呼んでいます。そしてその降臨する集団の責任者の名前を邇々芸の命と言います。

 戦前の日本の歴史では、今私がお話している事を神話として人の知識では計り知る事が出来ない神事として取扱いました。しかし実際にはそうではなく、またそんな事が世の中に通用するものでもありません。言霊学の話の中で事に触れる毎に申上げて来た事でありますが、古事記の神話は神話の形をとった言霊学の教科書であるという事を忘れてはなりません。邇々芸の命という名前がその実際の内容を示しています。邇とは二であります。邇々でありますから二の二で第三次の意となります。初めの一の真理は物の実相を示す言霊です。その第二次的な真実とは言霊によって名付けられた物事の名前のことです。では二の二の第三次的な真実とは何なのでしょうか。それは物や事に付けられた真実の名前がそのまま通用して 滞 ることのない真実の社会、国家、世界の事でありましょう。即ち真実の文明世界を作る政治こそが芸術の中の芸術と言うことが出来ます。邇々芸の命とはそういう意味での人類文明創造の始祖と言うことが出来ます。

 高天原の高原地帯から下って来た聖の集団がどの様な経路を経て来たかは明らかではありません。古事記に「ここに肉(そじし)の韓国(からくに)を笠沙之前(かさのみさき)に求(ま)ぎ通りて詔(の)りたまはく、此地(ここ)は朝日の直(ただ)刺す国、夕日の日照る国なり。かれ此地(ここ)ぞ甚(い)と吉(よ)き地と詔りたまひて、底津石根に宮(ふと)柱太しり、高天原に冰椽(ひぎ)高しりてましましき」とありますから、西の方から朝鮮半島を経てこの日本に来た事に間違いないようであります。

 この日本列島に居を構(かま)えた聖の集団が先ず最初にしたのは物事に名を付ける事でありました。この日本列島の気候風土、四季の移り変わり、住民の気質、従来の習慣等々の実相を見極め、そのそれぞれに人の心の先天と後天実相音である言霊五十音を組合せ、名前をつけて行ったのです。人間の精神生命を構成する究極の空相と実相の要素である言霊を以て物事一切に名前を付けたのでありますから、物や事のそれぞれの内容は即その名前がそのまま表現しており、そこに何らの説明を要しない、その名前を知ればその物や事の内容のすべてが直ちに理解することが出来る名前が付けられて行ったのであります。その物の名前を知れば、その物が何であり、どんな内容を持ったものであるかが理屈なしに理解出来、その事の名を聞けば、その事柄の真実が眼前に彷彿する如く直観される言葉が此処に誕生したのであります。また一つの事柄の現状をその言語で綴るならば、その事柄がどの様にして発生し、どの様な経過を経て、如何なる結末に達するべきか、が一目瞭然と察知できる言葉が作られて行きました。日本語の誕生であります。新約聖書ヨハネ伝の冒頭の文章「太初に言あり、言葉は神と偕にあり、言は神なりき……」とあるその言とはこの日本語をおいて他にはありません。日本のことを「惟神言挙げせぬ国」と言い「言霊の幸倍ふ国」と呼ぶのも当然の事であります。

 言霊の幸倍ふ政治の徳は日本国ばかりでなく世界の国々、人類全体を潤おして行きました。現在、各民族の神話に見ることが出来る長い間の精神的豊潤と平和の時代が続きました。この精神文明時代を人類の第一精神文明時代と呼びます。この日本に於ても平和を謳歌する鼓腹撃壌の時代、皇朝の名で言えば、邇々芸(ににぎ)王朝、彦穂々出見(ひこほほでみ)王朝、鵜草葺不合(うがやふきあえず)王朝という長い時代が続いたのであります。この三王朝の時代、世界の精神文明を創造する政治の中心は日本でありました。この間、世界各地で生産される種々の民族・国家の文化はすべて日本に齎され、日本の朝廷に於てその文化の世界文明創造の糧としての時処位が定められ、新しい光の下に世界文明に組入れられて行ったのであります。その文明創造の作業の中心を成す原理はアイウエオ五十音言霊布斗麻邇であり、その用をなすのが日本語でありました。言霊を一音で霊(ひ)という事は既にお話しました。その言霊の人間生命内での活動、言霊が駆(はし)る事、霊駆(ひか)り、それが生命の光であり、その光の言葉が日本語であります。世界各地から来る種々の文化を、光の言語である日本語で表わす事によって容易にその世界の文明創造のための役割、言い換えますと、新文明内に於ける時処位が決定される事でありました。日本語は単なる人間の意志伝達の手段なのではなく、新文明創造の活動の主体であったのです。日本語による人類文明創造の操作を取扱う朝廷内に於ける役職を、古事記は宇都志日金柝(うつしひかなさく)の命と呼び、竹内古文献には萬言文造主(よろずことふみつくりぬし)の命と示されています。この日本語を駆使して外国文化を世界人類の文明に組入れて行く作業の詳細は古事記の「禊祓」に解説されています。

 日本語の真実の光とその性能についての右の話は、言語を単なる意志や思いの伝達手段だけと考えている現代人には途方もない夢物語としか考えられない事かも知れません。けれどひと度勇気を以て言霊学の中に飛び込みアイウエオ五十音言霊の一つ一つの内容とその性能にお気付きになれば、日本語の持つ特有の光と力に瞠目する事でありましょう。

 言霊原理に基づく人類の第一精神文明時代は永い間続き、この地球上に平和と精神的豊穣の素晴らしい至福をもたらしました。その精神文明は日本の皇朝で言えば邇々芸、彦穂々出見、鵜草葺不合の三皇朝、数千年にわたり繁栄したのであります。ところが鵜草葺不合朝の中葉に及んだ時、社会の中に変化の兆(きざし)が見え始めたのであります。第一精神文明時代は意識を自らの生命の内側に向けて顧みることによって築かれた文明でありました。その時代が永く続くに従い、何時しか人の意識が自らの外側に向く傾向が現われ始めたのであります。精神文明は人間の心と言葉への関心から始まったのでありましたが、今度はその人間の関心が「物とは何ぞや」の方向に百八十度転換する兆が見え始めたのです。今より四・五千年前のことと推察されます。皇朝の名鵜草葺不合(うがやふきあえず)とは言霊ウの神(か)の屋(や)がまだ葺(ふ)き上っていない、と理解する事が出来ます。ウの神屋とは言霊ウの五官感覚に基づく欲望を基調とした物質科学文明の事であり、葺不合とはそれがまだ完全には形成されていない時代という意味であります。

 鵜草葺不合朝の中葉を過ぎた頃から、日本より発する精神文明の輸出の影響が次第に少なくなり、世界各地に人それぞれの欲望を基調とした物質に対する関心と研究が増大して行きます。物質科学の揺籃時代の到来でありました。そして今より約三千年前、日本より世界各民族・国家に対しての精神文化の輸出は途絶え、外国に於ては物質文化一色の様相となったのでした。この傾向の留(とど)まる事のない世界の風潮を逸早(いちはや)く察知した日本の朝廷は今までの精神文明創造の時代を終了し、新しく人類の第二の物質文明の時代に入る時が来た事を承認し、人類文明創造の方針の百八十度の転換を決定したのであります。精神文明時代には世界の中心の地位にあった日本もこの方針に則り、第一の精神文明、次に始まる第二の物質科学文明、この物質科学文明を出来得る限り早く完成させ、その完成の暁、次に来るべき第三の人類の文明時代の建設に備えて幾多の諸施策を講じたのであります。

 物質科学が急速に発展する為に必要な人間の精神土壌は弱肉強食の生存競争社会です。その為の方便としてとられた第一の手段は精神文明時代の中核であった言霊布斗麻邇の原理を社会の表面から隠してしまう事であります。この計画を立てたのは神倭王朝第一代神武天皇でありました。神武天皇が橿原に即位する宣言文(日本書紀)にその詳細が載っております。その計画を実際に実行に移したのは第十代崇神天皇でありました。三種の神器の中の八咫鏡と天皇とは床を同じくし、殿(いらか)を共にするという第一精神文明時代の掟(おきて)を廃した事、即ち同床共殿制度の廃止であります。この時以後、日本朝廷の高御座(たかみくら)にお着きになられる天皇に言霊布斗麻邇の自覚者がいなくなりました。霊駆(ひか)りの言葉であった日本語からその光が消えてしまいました。日本語は世界中の他の言語と同様単なる人の意志の伝達手段となりました。言葉の光が眠ってしまえば世の中は当然のように暗くなります。徳の光の代りに権力、武力、金力が社会に重きをなすことになります。弱肉強食の生存競争時代が実現しました。

 社会の権力闘争化の反面、生存競争の暗黒に耐える為に言霊原理の第二次、第三次的な教えとして世界に各種の宗教が創設されました。何時の日にか、必ず光をもたらす救世主が降臨するという予言と慰めが世の人々の心の支えとなりました。人間の精神進化の五段階ウオアエイの中の第三段階まで、即ちウオアの三つの性能だけが細々と自覚され、生命の言葉とその活用の段階である言霊エとイの次元は二千年の間人類の視野からは消えることとなります。言霊エとイを偲ぶよすがとしては僅かに古事記・日本書紀の神話の謎として、伊勢神宮の唯一神明造りの建築様式の中に、或は宮中で行われる祭祀の様式・形式の内容として遺されたのみであります。この間、日本は光を失った日本語、薄明の漢語、その他の外来語によって心の生命を細々と生き永らえる国家として存続したのであります。

 人類の第二物質科学文明の三千年が全くの悪夢でもあった如く過ぎ去りました。その精神的泥沼の中から八弁の蓮の花の如き物質科学文明社会が創造されました。と同時に私達の聖の大祖先の計画通り第一精神文明の原器であった言霊の原理も、夜明けの曙光の如く社会の表面に昇って来ました。科学は「物とは……」の疑問に全面的に答えを出すもう一歩の処に来ています。そして「生命とは……」の問にも遺伝子DNAの研究によって解明のメドが立ったようであります。これ等の物質科学の成果が人類全体の真実の福祉をもたらすことが出来るかどうか、は一にかかって目覚め始めた言霊の原理が、日本人が日常使用している日本語に心の光を注入することが出来るか、否かであります。

 今会報が最初に掲げた問題に帰りましょう。言語研究の優秀な研究者を網羅した大規模な討論会を開催したのに何故日本語の語源は「不明」で終ったのでしょうか。その原因を明らかにする為に日本語について日本の長い歴史の話を簡単に見て来ました。この簡単な日本の歴史の話から賢明な読者にはその答えを理解して頂けたのではないかと思いますが、念の為に答えの要点を書き添えることとしましょう。

 日本語は心と言葉が一体になった言霊(ことたま)の結合によって作られました。しかも意識で捕える以前の心の構造(先天十七言霊)と意識で捕え得る心の構造(後天現象三十二子音)がお互いにその構造と動きの真理性を證明し合える必要にして充分な合理性を持った言語です。この合理性は物質の性質を先天と後天の両構造にわたって完全に解明するであろう現代原子物理学と同様の厳密にして大規模な合理性を持ちます。現代言語学は既に後天現象として言語になったものから帰納的にその合理性を求めようとする学問であり、それはまさに物理学で言えばニュートン物理学の域を出ないものであり、日本語の語源の究明という問題には手も足も出ないことは当然であります。

 人間の心の自覚は言霊ウ(五官感覚に基づく欲望)、オ(経験知識)、ア(感情)、エ(実践選択智)、イ(生命創造意志)の順に進化します。日本語の語源である言霊原理はその心の進化の最終段階言霊イに存在します。そこは霊駆り(光)の世界です。現代言語学という学問は言霊オに位するものです。言霊原理の存在地点とは次元的に余りにもかけ離れていて、その存在すら感知することが不可能でありましょう。

 最後に言霊原理と日本語の間の霊妙な関係を示す一例を挙げておきます。今もお話しましたように、人間の霊位(自覚の段階)はウオアエイと次元を上って行きます。その五母音のそれぞれの下に螺旋状に無言の発展のエネルギーを秘める音「る」を結んでみます。うる(得)、おる(居)、ある(在)、える(選=え)、そして最後に「いる」となります。この五つの言葉を、読者御自身の心の進化と比べてお考え下さい。心と言葉の霊妙な整合に思わず襟を正す事でありましょう。

(終り)