人間の心の先天構造は五つの母音、四つの半母音、八つの父韻計十七の言霊で構成されています。今回は母音オとエ、半母音ヲとヱ、父韻チイキミシリヒニ、更に母音イと半母音ヰについて解説をします。
初め宇宙の一点、即ち今、此処に何かが起ろうという気配が起りました。気配ですから、それが何であるかは勿論分りません。その人間の五官感覚の動きの気配に言霊学は言霊ウと名付けました。これを説明する漢字を捜しますと、有(う)、生(う)まれる、動(うご)く、浮(う)く、蠢(うごめ)く……等があります。この言霊ウはやがて人間の自我意識に生長して行くものでもありますが、今説明した兆しの処では全くそれが何であるかは分りません。
この意識の始まりの兆(きざし)に別の何かの思考、例えば「これは何か」等の疑問等が加わりますと、この言霊ウの宇宙は瞬時に言霊アとワに分れます。アは主体であり、我であります。それに対してワは客体であり、汝であり、または何かの物でもあります。人間の何らかの思考が加わると、言霊ウは瞬時に主体アと客体ワに分れます。この様に人間の心の中で人間精神の根源宇宙が他の二つの宇宙に分れる事を宇宙剖判と言います。意識のウが主体であるアと客体であるワの宇宙に剖判することによって人間はその客体が何であるか、の認識が可能となります。剖れるから分る、のです。これが人間の認識の絶対条件であり、人間生命の宿命と言う事が出来ましょう。
仏教の禅では、この言霊ウが主と客であるアとワに分れる以前、主客未剖の時を一枚と言い、主体と客体に分かれた時を二枚と呼んで区別しています。また中国の古書「老子」では「一、二を生じ、二、三を生じ、三、万物を生ず」と数理で示しています。人間の心の先天構造(五官感覚では捉えることが出来ない根源領域)の中のこの言霊ウアワの三つの宇宙の消息は、言われただけでは当り前ともとれる動きでありますが、実は人間の心の営みはこの三つの言霊の自覚の如何によって重大な問題が浮かび上がって来るのでありますが、これに関しての解説は後の機会に譲ることといたします。
心の先天領域内で言霊ウの宇宙が言霊アとワに分かれました。さて次に何が起るのでしょうか。宇宙剖判は更に続きます。言霊アから言霊オとエが、言霊ワから言霊ヲとヱが剖判します。これを図に示すと次の様になります。言霊オは経験知識を求める主体、言霊ヲはその客体であり、またその内容知識そのものです。言霊エは選択する英智の主体であり、言霊ヱはその客体、またはその内容の道徳という事であります。古事記では言霊エを国常立神(くにのとこたちのかみ)、言霊ヱを豊雲野神(とよくもののかみ)、言霊オを天常立神(あめのとこたちのかみ)、そして言霊ヲを宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)神という神名を当て、その実体である言霊の指月の指としているのであります。
以上で母音ウアオエ、半母音ワヲヱの言霊が出揃いました。母音言霊はそれぞれ五官感覚に基づく欲望性能(ウ)、経験知性能(オ)、感情性能(ア)、選択英智性能(エ)がそこより現出して来る根源宇宙であります。また半母音言霊はそれぞれ経験知識性能の働きの対象となる客体の宇宙であり、言霊ワは感情性能の、言霊ヱは選択英智性能に対しての客体となる宇宙であります。それらの宇宙はそれぞれの性能エネルギーが充満してはいますが、それ自体では活動を起すこともなく、またそれ自体が現象となって現われることもありません。
母音宇宙と半母音宇宙を結んで現象を起こす原動力となるものは、以前にお話しましたように、言霊イに属する八つの父韻チイキミシリヒニの言霊であります。これら八つの父韻が母音アと半母音ワの両宇宙を、同様にオとヲ、エとヱ、それにウとウの宇宙をそれぞれ結び、母音と半母音宇宙に感応同交を起し、現象の最小単位である子音言霊を生むこととなります。八つの父韻はそれぞれ特異の結び方をいたしますから、八通りの結び方でウ―ウ、オ―ヲ、ア―ワ、エ―ヱの四次元の感応同交を起しますので、8×4=32で三十二個の現象子音を生む事となります。この結びを図に示しますと次のようになります。
八つの父韻が母音と半母音、主体と客体を結び付けるという事は、八父韻のそれぞれが母音宇宙を刺激して半母音宇宙との間に現象の橋を懸け渡すこと、とも言えます。そこで例をエ段にとって見ると、チ×エ=チェ=テ、キ×エ=ケ、……の如く母音エと半母音ヱの間に現象子音テエケメセレヘネの八音が生まれ、エとヱの間の懸け橋が出来たという事になります。そこに生れる全部で三十二音の子音は心の現象の最小単位を表わしているという事が出来ます。
上の如くウオアエの四母音宇宙を刺激して最小現象単位である子音を生む原動力である八つの父韻は人間生命の最奥に於て一切の精神現象を生む原動力であり、根本智性という事が出来ます。古代ドイツ哲学はこの根本智性の事をFUNKEと呼びました。智性の火花という意味でありましよう。儒教では乾兌離震巽坎艮坤(けんだつりしんせんかんこんこん)の八卦で表わし、仏教では八正道の行為として説明し、キリスト教では「我(神)わが虹を雲の内に起さん。是我と世(人間)との間の契約の徴なるべし」(創世記九章)という神の言葉で黙示しています。すべては八つの父韻の指月の指に当ります。
ではすべての心の現象の原動力である八つの父韻はそれぞれどんな動きをするのでしょうか。心の最も奥にあって、ドイツ古代神秘哲学で「火花」と呼ばれた人間の根本智性の閃(ひらめ)きでありますから、これを表現するのは至難のことであります。またそれをうまく表現出来たとしても、矢張り「指月の指」の域を出るものではありません。最終的には自分自身の心で体得するより他はないのですが、此処では文章でお伝え出来る事を書くに留めます。
父韻は八つあります。チイキミシリヒニの八韻です。しかしこの八つはチイ、キミ、シリ、ヒニの一組二個の四組に数えることが出来る動きなのです。どういう事かと言いますと、チとイ、キとミ、シとリ、ヒとニはどれも同じ動作の作用と反作用、陰と陽、妹背(いもせ)の関係にあります。例をあげますと、何かに結び付こうとする働きとは、逆に言えば何かに引っ張られている動きでもあります。この様にして八つの父韻は二つが一組となる四組の働きとして捉えることが出来ます。
古事記の神話ではこの八父韻をどの様に黙示しているのでしょうか。次にそれを掲げます。
チ・宇比地邇(うひぢに)神
イ・須比智邇(すひぢに)神
キ・角杙(つのぐひ)神
ミ・生杙(いくぐひ)神
シ・大斗能地(おほとのぢ)神
リ・大戸乃弁(おほとのべ)神
ヒ・淤母陀琉(おもだる)神
ニ・阿夜訶志古泥(あやかしこね)神
上の父韻を指示する古事記の神名から実体である父韻を把握することは殆(ほと)んど不可能に近いと言う事が出来ます。けれど不可能で済まされる問題ではありません。そこが先輩各位の苦心の存する処であります。次に私の言霊学の師、小笠原孝次氏と、そのまた師であった山腰明将氏との二先輩の八父韻についての指摘を紹介する事とします。
ではこれらの先輩達は八父韻を示す古事記の神名から如何にして図に示されたような内容に到達することが出来たのでしょうか。それは八父韻を示す指月の指としての古事記神名から想像、推察して行ったのではなく、人間の精神現象の奥にその現象の原動力となる八つの父韻が働く事を知り、その上で言霊学を樹立して行く過程の中で自分自身の心の動きを見詰めて行き、そこに直観される心の火花と思えるものを假説として設定し、更に現実の心の現象として現われる行為がその假定に対応しているか、否か、という作業を続けて行った結果として得られたものを発表したに相違ありません。そしてその結論に達した時、改めて出発点となすべき古事記の神名を見ると、その神名が如何に父韻の実態とピッタリであるか、が分るのであります。かくして父韻についての検討結果の妥当性が証明される事となります。
私も上の手法に従って、言霊学実践の立場から八つの父韻の実態の究明を試みました。二十数年前の事であります。その結果、人間の心の本体である宇宙そのものの中から起って来る「自我の日常の行動」という立場に立って八父韻の閃(ひらめ)きを見つめて行った結果、父韻のそれぞれの動きを図形に表現する事が出来たのでした。その表現を基として人間の各次元の行動、また言霊原理によって作られた日本語が示す実相と符号する事が分かりました。その為、この方法によって確かめられました父韻の図形とその説明を書籍「古事記と言霊」の父韻の章(33〜40頁)に載せたのであります。此処では余りに長くなりますのでご紹介はまたの機会に譲ることとします。興味をお持ちの方は「古事記と言霊」をお読み下さい。
言霊の学問が歴史創造の方便のためにこの世の中の表面から隠されてしまってから約二千年間、日本皇室の奥深く、また伊勢神宮の正殿に秘中の秘として言霊の原理は隠匿、保存されて来たのであります。この原理の中でも特に今説明しています八父韻と、その原動力によって生まれて来ます現象の最小単位である子音言霊につきましては、その実態についての記述は古事記・日本書紀の神話の黙示以外何一つないのであります。今その実態がこの文章によって説明が行われ、それを人の自覚という形で世に出る事になれば、ここ数千年にわたる人類の弱肉強食の生存競争の暗黒は跡形なく払拭され、人類の光明世界が実現する事は間違いない所であります。八父韻と三十二の子音言霊は人の世の光であり、光が点れば暗は瞬時に消え去るでありましょう。言霊の学問に興味を持たれた方の一日も早くその自覚に立たれる日の到来が望まれるのであります。
言霊父韻の話はこれ位にして、古事記の神話では、人間の心の先天構造の中で最後に登場して来る母音イ言霊、半母音ヰ言霊の話に進むこととしましょう。
古事記の神話は言霊イの指月の指として伊耶那岐(いざなぎ)の神を、言霊ヰに対して伊耶那美(いざなみ)の神の名を当てております。言霊イは言霊エアオウを縁の下の力持ちの如く下支えし、統轄し、同時に八つの父韻となって言霊エアオウの宇宙を刺激して現象子音を生みます。右の如く言霊イ(ヰ)は母音(半母音)であると同時に父韻ともなりますので、五母音(半母音)の中でも特に親音と呼ぶ事があります。
心の先天構造は十七の言霊で構成されています。その十七言霊の中で、八つの父韻が出揃ったことで四つの母音ウオアエと三つの半母音ヲワヱ、それに八つの父韻合計十五個の先天言霊が現われました。そこで残るは二つの言霊イ、ヰ(伊耶那岐の神、伊耶那美の神)です。この二言霊(二神)の登場で先天言霊はすべて出揃い、そこで「いざ」と先天構造の活動が始まり、後天の現象子音が創生されます。古事記はこの間の消息を巧妙に捉えて、言霊イ、ヰを示す神名に伊耶那岐・美の神の名を採用しました。
昔、「去来」と書いて「いざ」と読みました。また「去来」と書いて「こころ」とも読んだのです。先天構造を構成する十七言霊が出揃う十六番目と十七番目の言霊イとヰが現われて、「いざ」と後天子音の創造に取りかかる神名に心(いざ)の名の気、心(いざ)の名の身という尤もらしい名をつけた神を当てたのです。勿論心の名とは言霊の事であります。
先に言霊イとヰは母音(半母音)であると同時に父韻の働きを持ち、その為に親音とも呼ぶとお話しました。母音であること、次に父韻の働きを展開させること、の二つの働きがあると申しました。更に言霊イとヰはもう一つ重要な働きをする事をお話しましょう。それは言霊イとヰは、その活動によって生まれて来る現象に対して「名を付ける」という働きがあるという事です。
いろいろな現象が起っても、それに名がなければ、それが何であるか分りません。実に名とはその現象の実態であり、内容でもあります。その名を与えることは言霊イとヰの第三の重要な働きであるのです。伊耶那岐・伊耶那美が心の名の気、心の名の身と言いましたのも、その事をよく表現しているではありませんか。
人の心は五次元の性能宇宙を住家としていますが、そのウオアエイ五次元宇宙の中の言霊イの宇宙に五十音言霊は存在しているのです。全宇宙の中には種々雑多な無数の現象が起りますが、ひと度眼を言霊イの次元に移して見るならば、そこにはたった五十個の言霊しか存在していない事を知ることになります。私達日本人が日常使っている日本語とは、これ等五十個の言霊を結び合わせる事によって、一切の現象の実態、実相を表現した言葉なのです。
ひと度言霊を組合せた言葉で出来事を表現するならば、その名は出来事の実相を百パーセント表現していて、その他に注釈や解釈を必要としない世界で唯一つの言語であります。古代の日本は「言霊の幸倍(さちは)う国」と呼ばれました。また「惟神言挙(かむながらことあ)げせぬ国」とも言いました。「言挙げ」とは概念的な解釈という意味であります。真実・実相を表現する言葉であるから、それに関する解釈の必要はない、という意味なのであります。
以上、先天構造を形成する十七の言霊(四母音、三半母音、八父韻、二親音)を説明上の段階でまとめますと、次の如くになります。この先天構造図を天津磐境(あまついはさか)と呼びます。天津は先天、磐境は五葉坂(いはさか)の意で、五段階の言霊の階層という意味であります。昔の日本人はこの磐境の働きを雷鳴に譬えました。磐境はその稲光(いなびかり)であり、稲光が光れば、神鳴り(言語)が響(ひび)く、という訳です。また稲光りとはイの名(言霊)の光の意であります。
以上で言霊学に於ける人間の心の先天構造の解説を終ります。また言霊の学び(コトタマノマナビ)の原理的な解説も一応これで終了し、次回からは言霊学から見た社会の種々層を列挙して、皆様に興味深い話題を提供して参りたいと思います。乞う、御期待であります。
(この項終り)