「言霊学発見の年代」 <第百八十五号>平成十五年十一月号
 初めにホームページに連載の文章を掲げます。 
 言霊学(コトタマノマナビ)が日本人の大先祖によって発見された時が今から八千年乃至一万年前だ、と言ったら驚く人も多いことでしょう。そこで言霊学の立場からその年代を證明する事実をお話しましょう。

 人間の心は五十音の言霊(コトタマ)で構成されています。それ等五十個の言霊の内訳は、心の先天構造(人が五官感覚によって捉える以前の心の働き)十七、後天現象三十二、計四十九言霊、それ等言霊を神代文字化する働き一、総合計五十となっています。これら五十言霊の典型的な動き方が五十通りあり、合計百の原理を総合して最終的に人間能力の最高理想の精神構造が自覚されます。以上の十七言霊によって構成される心の先天構造は言霊学のアルファーであり、これを天津磐境(あまついはさか)といい、五十言霊とその五十通りの動きによる言霊学の総結論、即ち言霊学のオメガーを天津神籬(あまつひもろぎ)と呼びます。この言霊学の天津磐境と天津神籬を世界の歴史上の現代人衆知の文物と比較しますと興味深い事が分って来ます。

  先ず天津磐境の構造を図で示します(図A)。一切の精神現象の原動力である人間精神の先天構造は言霊十七個で構成されます。言霊は心の究極の構成要素と言葉の最小要素とを結び付けたものですから、言霊は心の実体・実相を表わしたものであると言う事が出来ます。

 次に中国の儒教の中の「易経」を取上げます(岩波文庫「易経」高田眞治訳注)。易経に於て人の心の先天構造を示すものに太極図があります。図Bはその図形です。易経の解説書である繋辞伝に「易に太極有り、是れ両儀を生じ、両儀四象を生じ、四象八卦を生ず」と言って、この太極図が物事の現象を生じる原因となる人間の心の先天構造を表わしている事を示しています。言霊学の天津磐境と易経の太極図は同一の図形である事が分ります。

 図形は同じですが、図形を構成している因子が違います。天津磐境はその因子を表わすのに実体そのものである言霊を以てするのに対し、易経は概念と数を以て示している事です。たとえば、言霊学は「蜜柑(みかん)」と言うのに対し、易経は「柑橘類の一種、比較的小型で果汁は甘酸(あまず)っぱい」と表わしている様なものです。磐境(いはさか)が太陽の光なら、易経はその反射光である月の光と言ったらよいでしょうか。天津磐境が分れば太極図は見ただけで理解出来ますが、太極図を理解出来たからと言って磐境の言霊図の実体は分るものではありません。逆は真ではないのです。

 上の事実は何を意味しているのでしょうか。明らかに言霊学による心の先天構造である天津磐境の原理が先に発見され、その後その原理を概念と数の法則として中国に教えた事を示しています。日本及び世界の古代史の一つである竹内古文書には「鵜草葺不合(うがやふきあえず)王朝五十八代御中主幸玉(みなかぬしさちたま)天皇の御代、支国(えだくに)(中国)王伏羲(ふぎ)来り、天皇これに天津金木を教える」と記されています。天津金木とは言霊ウ(五官感覚に基づく人間の欲望次元)の精神構造を言霊五十音を以て表わしたものであります。易経は言霊学の天津磐境を中国語の概念と数の法則に脚色して伝授したものと考えられます。

 では易経を初めて称えた中国の伏羲という王は何時頃の人なのでしょうか。これまでの中国古代史研究では、中国の歴史は紀元前十八世紀頃の殷(いん)の時代から始まるとするのが定説。近年は、それ以前の夏の時代の存在を証明する考古学的発見が主張されています。とすると、殷が今より三千八百年前、その前の夏(か)は四千数百年前となります。中国伝説には夏の前に三皇五帝の代があったと説かれ、易を始めた伏羲王は三皇(燧人[すいじん]氏、伏羲氏、神農氏)の一人であります。五帝の中には有名な尭(ぎょう)や舜(しゅん)と言った王が含まれています。

 この様に太古を探って行きますと、伏羲の時代が少なくとも今より五千年以上前という事になります。竹内古文書にも「伏羲が帰る年を神武天皇即位前二千二百八十年」とあります事からもその年代の正確である事が確認されます。伏羲来朝の時の天皇は葺不合王朝五十八代であり、その葺不合(ふきあえず)王朝の前に日本には言霊原理に基づく政治が行われた邇々芸、日子穂々出見の二王朝がありました事から考察しますと、日本民族の祖先による言霊学の発見は今より八千年乃至一万年前と見るのが妥当という事になりましょう。

 次に天津神籬による證明の話に移りましょう。

 世界史略年表(三省堂編)を見ましょう。「紀元前二十七世紀、ピラミッド時代」とあります。今から四千七百年前頃、エジプトに於てピラミッドが盛んに建造されていた事を示しています。あの巨大な四角錐の建造物がエジプト王の墓として如何なる意味を持つのか、諸説がありますが未だに確定していません。中国の易経に「形而上を道と謂い、形而下を器と謂う」とあります。精神的法則を道と言い、それを形で示したものを器と言うという事です。エジプトのピラミッドは、日本古代の言霊学の総結論である人間の最高理想の精神構造(道)を物質的建造物(器)として表徴したものなのです。その精神構造を高千穂の奇振嶽(たかちほのくしふるたけ)と謂います。

 次頁にピラミッドと高千穂の奇振嶽(たかちほのくしふるたけ)(天津神籬)を図示しました。高千穂の奇振嶽とは主体精神(高[たか])の道(千[ち])である言霊(穂[ほ])を霊妙に(奇[くし])活用する(振[ふる])五十音言霊図の構造(嶽[たけ])の意であります。国家・世界の統治者がその徳によって統治する政治の組織を五十音言霊で表わしますと図が示す如く母音がアイエオウと縦に並び、最上段のアの列がアタカマハラナヤサワと横に並びます。この五十音図を天津太祝詞(あまつふとのりと)(音図)と言います。この音図を上下・陰陽にとった百音図(図参照)は古代の政庁の組織を表わしたもので、百敷の大宮(ももしきのおおみや)と呼ばれます。この図形の中心にフルフルの四文字が入ります。フル(振る)とは力を振るう事、原理を活用するの意です。このフルフルの四文字の所を持って図面より直角の方向に引上げますと、四角錐の山形が出来上がります。これが高千穂の奇振嶽です。

 幼児の折り紙遊びのように思われるかも知れませんが、ピラミッドの建造が盛んに行われた五千年前の世界に於ては、「人間の心とは何ぞや」の問題をすべて解明した言霊学の総結論であり、また国家・世界統治の基本原理でもある精神原理の表徴物である事は人類衆知の事実であったのです。それ故にこそ、エジプトの大王達は死して後、自らの生命がこの大原理の中に永遠に生きようとする願望の下に自らの墓として巨大なピラミッドを建造したに違いありません。

 以上、言霊学の発見が今から八千年乃至一万年前である事の證明を言霊学のアルファーとオメガーの理論からお話いたしました。(天津磐境(あまついはさか)と天津神籬(あまつひもろぎ)の原理については当会発行の書籍を参照、または当会にお問合せ下さい。)

(この項終り)

 日本人の大先祖による言霊布斗麻邇の学問の発見・完成の年代については会報誌上または「コトタマ学入門」の中で説明した事でありますが、今回は言霊学の立場からその成立の年代を證明する事実をズバリと指摘しました。初めてコトタマの学に接する方々には少々難しかったかも知れません。興味を持たれた方は是非言霊学の勉学に入って頂く事を希望しながら書いたものであります。

 個々の説明を省いた文章でありますので、以前より言霊学に親しんでいらっしゃる会員の方にも、説明をさせて頂いた方がよいかな、と思われる箇所があります。二、三の点について解説をいたします。

 その第一は高千穂の奇振嶽とピラミッドとの関係を述べた所の「この五十音図を天津太祝詞(音図)と言います。この音図を上下・陰陽にとった百音図(図参照)は……」の文章の中の「この音図を上下・陰陽にとった……」についての所であります。母音が縦にアイエオウと並ぶ音図は天津太祝詞音図といい、言霊エ(実践智)に則した心の構造を表わした五十音図です。これは理解出来ます。けれどこの音図を「上下・陰陽にとった」とあります。何故その様に音図に手を加えて百音図を作るのでしょうか。五十音言霊図は心の構造を表わす図です。その構造図を上下にとる意味は何なのでしょうか。この説明がつきませんと、単なる図形のお遊びになってしまいます。「五十音図を上下にとる」とは心の如何なる変化を言ったものなのでしょうか。

 「音図を上下にとる」との表現は、言霊の原理を活用し、人を救済し、また政治を行い、文明を創造する上で重要な心の動きなのです。それは言霊原理の活用法独特の「言霊の幸倍(さちは)へ」の業なのであります。

 この五十音図を上下・陰陽にとった十段・百音図の上半分を大祓祝詞(おおはらいのりと)は高山と呼び、下半分を短山(ひきやま)と呼びます。「国津神は高山の末、短山の末に上りまして、高山のいほり、短山のいほりを撥き分けて聞しめさむ」とあります。人はこの世に生まれた時から五つの母音で表わされる根本性能を授かっています。言霊ウは五官感覚に基づく欲望性能。言霊オは言霊ウの行為と行為の間の法則を求める経験知識の性能。言霊アは感情・感性の性能。言霊エは実践智・選択智の性能。そして最後に言霊イの生命創造意志の性能。五十音言霊はこの言霊イの次元に存在します。人はこれ等五つの性能を生来授かって生まれて来ますが、ただその自覚がありません。五母音の根本性能は言霊学の法則に従って修行して初めて自覚されるものです。そこに自覚と無自覚の二つの段階の区別が生まれます。天津太祝詞音図の五母音アイエオウは自覚された段階であり、これを高山と呼びます。その音図を上下・陰陽にとった五十音の五母音ウオエイアは無自覚の段階であり、短山と呼びます。

 上の段の高山と下の段の短山の区別は分りました。上が自覚、下は無自覚です。では上の段と下の段で母音の並びが上から下へ順を逆にしたのは何故なのでしょう。この事に関して会報八十三号「八十禍津日神(やそのまがつひのかみ)」で詳しく解説をいたしましたが、音図を上下・陰陽にとった十段の境涯と同様の事が仏教の人間の境涯を表わす「十界(じっかい)」に示され、これが分り易いので、ここに紹介しましょう(図参照)。上の五段は仏教の救いの立場から見た人間の境涯の五段階。下の五段は仏教の自覚のない人々の五段階を表わします。この表に於て最上段の仏陀に対するのは最下段の地獄となります。仏陀も地獄も言霊イに当る人間の境涯です。この仏陀と地獄を例にとって、その境涯の相違を考えてみましょう。仏陀は十界の境涯の実相をすべて総覧し自覚して、然も如何なる束縛からも解脱して自由な創造を行う立場です。これに対して地獄とは一切の苦悩・煩悩の束縛から逃れる術(すべ)を失い、暗黒苦悩の中に沈んで動きがとれない境遇です。これを言霊学で表現しますと、地獄とは図Aとなります。光りがなく動けない形です。昔からこの図形を地獄と呼んでいます。この図形の中の間(ま)に言霊の自覚が入りますと図Bとなります。それはとりも直さず図Cの自由創造の根本智性の悟りとなります。言霊を一音で霊と謂います。それが自由創造の働きで動く事を「霊駆(ひか)り」即ち光です。仏陀も地獄も同じ言霊イ段に相当しますが、光の自覚が成就していれば仏陀であり、その自覚を欠けば地獄です。五母音の他のエアオウの四段階についても、上段と下段とで同様の事が言えるのであります。

 以上、音図を上下・陰陽にとった百音図の上と下との相違について説明をいたしました。ここまでお話しますと、会員の大方は言霊原理の活用法である「禊祓」の行法を想起なさるのではないでしょうか。事実百音図の上は政治を行う者、下はその政治の恩恵を受ける者の立場である事が分ります。然もその政治を行う者の立場とその恩恵を受ける者の立場が相対立するのではなく、一人の人間を譬えとすると、政治を行う者はその心であり、その恩恵に預かる者はその身体となる主客合一の立場が成立します。古事記の禊祓の章「ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、『吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きたな)き国に到りてありけり。かれ吾(あ)は御身の祓(はら)せむ』とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓(はら)へたまひき。」とあります伊耶那岐の大神の立場がそれであります。この立場に立つ時、一国の、そして世界の人々によって生産されるすべての文化が禊祓の業によってそれぞれの実相を損なうことなく世界文明の内容として摂取・創造される事が可能となります。

 以上、「天津太祝詞音図を上下・陰陽にとった百音図……」と書きました事の内容であります。音図上の変化を一言で表現しました事が人の心の中の如何なる動きとなって現われるか、言霊原理の説明では複雑・霊妙な心の躍動となることがお分り願えるのではないでしょうか。

 ピラミッドと言霊学の高千穂の奇振嶽との関係の解説として今一つの説明を要することがあります。それは「百音図の中心にフルフルの四文字が入ります。この四文字の所を持って図面より直角の方向に引上げますと、四角錐の山形が出来上がります。これが高千穂の奇振嶽です」とあります。天津太祝詞音図を上下にとった百音図として、国家や世界人類文明創造の政治の基本原理の完成構造が出来上がっているものを、何故フルフルの四文字の箇所をもって図面より直角の方向に引上げるのでしょうか。その様な図形の動きに対応する人の心の変化とはどの様なものなのでしょうか。この間の消息を説明する前提として、親鸞上人の教えを記した歎異抄の中の文章を取り上げる事にしましょう。

 「彌陀(みだ)の五劫思惟(しゆゐ)の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞(しんらん)一人がためなりけり」(歎異抄、総結)とあります。親鸞の浄土真宗の「南無阿弥陀佛」の信仰は彌陀五劫思惟の願(大無量寿経参照)の上に成立しています。その願「たとい、われ仏となるをえんとき、十方の衆生、至心に信樂(しんぎょう)して、わが国に生れんと欲して、乃至十念せん。もし、生れずんば、正覚を取らじ」(第十八願)は一切衆生を救済するための仏の願であり、衆生に対しての慈悲の現われであります。仏の「私はこの様にするぞ」という教えです。親鸞はこの教えを信じ、金剛心を以って念仏を称え、終(つい)に「彌陀五劫思惟の願が親鸞一人のための願だったのだ」と悟ったのです。それは仏の願の功を親鸞が独占するという事ではありません。仏の五劫という長い思惟の願の有難さが親鸞の心の底の底まで浸み渡った結果、仏の慈悲、念仏があればこそ自分はこの世に存在することが出来る」と悟ったのであります。言い換えますと、「南無阿弥陀佛」の念仏が即自分の生命と知った、という事なのです。彌陀五劫思惟の願は一切衆生に対する教えです。親鸞はその教えを信じ、念仏することによって、その念仏が自分自身に対する教えというよりは生命そのものである事を知ったのです。

 天津太祝詞音図は政治の基本原理であり、それを上下にとった百音図は基本原理に基づいた文明創造の実践の精神構造であり、その政治機構(百敷の大宮)の組織であります。その図形をフルフルを中心として引上げた山形は、単なる原理・機構といったものではなく、その原理に則り、その機構・組織を総覧する唯一人の責任者として立った者の心構えを示しています。即ち天津日嗣天皇(スメラミコト)の心そのものなのです。

 スメラミコトの自覚の心の住家は天之御柱アイエオウの中の言霊アであり、その内容は言霊イの言霊原理であり、その働きは言霊エオウであります。そしてその働きが言霊ウである世界人類の人々(衆生)の生活の上に御稜威(みいず)となって現われる時、初めてスメラミコトの責務の完遂となります。この最高の政治の方法を石上神宮のヒフミ四十七文字布留の言本は「ウオエニサリヘテノマスアセヱホレケ」と言っております。その意は「スメラミコトの心(大御心)の内容を言霊ウとオとエの三次元に分けて(ウオエニサリヘテ)、宣言し実行せよ(ノマス)、その大御心は言霊アの瀬(仁慈)に於てであり(アセ)、宣言とは言霊ウオエ次元の結論(ヱ)であり、その結果として世の中の秩序が平和で豊かに整然となる様に(ホレケ)」という事であります。この大業の内容を一人の人間(御身[おほみま])に譬えるならば、スメラミコトの心を心とし、世界人類の心をその身体とする時、その一人の人間が日々心新たに、身体が健やかに活動して生甲斐のある世界文明創造という人生の目的実現のために進歩・生長して行く事でありましょう。

 高千穂の奇振嶽は右のスメラミコト一人の心構えの表徴なのであります。五千年前のエジプトの大王達はそのスメラミコトの御稜威を瞻望(せんぼう)し、奇振嶽の単なる外形を頂いてその墓として建造し、自らの魂が永遠の栄光の中に生きる事を願ったに違いありません。

 さて次に第二の問題に移りましょう。再び竹内古文書を見ます。約五千年前、「鵜草葺不合王朝五十八代御中主幸玉天皇の御代、支国王伏羲来り、天皇これに天津金木を教える」とあります。更にそれより千六百年程経った鵜草葺不合王朝六十九代神足別豊鋤(かんたるわけとよすき)天皇の時、「ヨモツ国王モーゼ・ロミュラス来る。天皇これに天津金木を教える」とあります。天津金木とは母音が縦にアイウエオと並び、最上段が向って右からア・カサタナハマヤラ・ワと横に並ぶ五十音図のことです。私達が小学校の時に教えられる五十音図がそれです。単にアイウエオ五十音を並べただけの図形と思われていますが、事実は途方もなく大きな内容を持った図形なのです。人の心は五十の言霊で構成されています。また人の心は生来五つの根本性能を与えられています。その性能を五つの母音で表わします。言霊ウ(五官感覚に基づく欲望性能)、言霊オ(経験する現象間の法則を求める知識性能)、言霊ア(感情性能)、言霊エ(物事に如何に対処するかを決定する実践智、道徳智性能)、言霊イ(以上の四性能を統括する生命の創造意志性能)の五性能であります。天津金木の五十音図は最初の言霊ウの欲望性能に則した心の持ち方の構造を示した音図なのです。でありますから金木音図の他に言霊オアエイの四性能に則したそれぞれ四つの五十音図がある事は会員の方々のご存知の事であります。

 この音図に基づいて縦の五母音の並び、横の八父韻の並び方がそれぞれ人間の心の内容として如何に自覚されるかの程度に従ってこの言霊ウの欲望の世界(産業・経済・権力政治の社会)に於て勢力を延ばす事が出来ることとなります。そこで太古に於ては世界の各地からこの精神秘宝を求めて日本に来朝する人々は後を絶たなかったのでありました。中国の秦の始皇帝が日本に方士除福を遣わして日本朝廷に不老長寿の薬(その実は天津金木の精神秘宝)を要求したという史実も右の欲望からであったのです。

 鵜草葺不合王朝時代、中国の伏羲とユダヤのモーゼに天津金木を教えると竹内古文書に見えます。この来朝の両者に金木音図の原理をどの様に教えたのでしょうか。天津金木五十音図をそのまま教えたのではありません。伏羲には天津金木の原理を中国の概念の言葉と数との組合せの法則に脚色したもの、これを易経として授けたのであります。次のモーゼには矢張り金木の原理をヘブライ語の子音と数霊の法則に脚色したものを教えたものと推測されます。ユダヤ教のラビ(お坊さん)はこの法則をカバラと呼んでいます。これ等伝授した法則から「百度戦うも危ふからず」の孫子の兵法や六韜三略(りくとうさんりゃく)等の兵法書が生れました。

 日本の言霊学は人の心の構造の構成因子として母音(実在)、父韻(人間の根本智性)、子音(現象の実相音)を使います。中国の易経は哲学概念と数を、ユダヤのカバラはヘブライ語の子音と数を以って表わします。言霊(母音、父韻、子音)は言葉の言葉word of wordsであるのに対し、易経・カバラは単なる言葉を用います。概念の言葉や数は実体・実相を表わしません。そのため、言霊が分れば易経・カバラは直ちに理解することが出来ますが、易経・カバラからは言霊を窺う事は出来ません。

 太古の日本の朝廷は何故言霊学の天津金木を伏羲に、またモーゼに教えるのに金木音図そのものでなく、その概念と数へ脚色したものを教えたのでしょうか。日本独特の精神秘宝を出し惜しみしたわけではありません。言霊原理の活用は日本語に於てのみ可能であるという理由もありますが、それだけでなく世界文明創造の経綸に関わる重大な理由があったからであります。

 過去三千年乃至五千年は人類の第二物質科学文明の創造の期間でありました。物質科学振興のための精神土壌は生存競争、弱肉強食の社会です。方便上言霊の原理は社会の裏に隠さなければなりません。そして物質科学文明がこの地球上に完成された暁、言霊の原理は再び社会の表に蘇えらねばなりません。その物質文明時代の間、言霊の学の存在は世の人の脳裏に登ってはならないものであり、同時にその間の生存競争を煽(あお)る手段としての易経やカバラは最も有力な戦略の役目を果すものであったのです。

 私達は現在、人類第二の物質科学文明の完成を目の前にしています。と同時にそれは物質科学のもたらす富と科学兵器と通信手段の向上によって世界人類の統一という画期的時期をも迎えようとしております。この時運に呼応する如く、長い間社会の底に隠されて来た人類の第一精神文明の原器であった言霊の原理が不死鳥の如くこの地上に蘇えったのであります。

 かくて蘇えり、復活した言霊の学問に則り人類一万年にわたる文明創造の歴史を振返る時、各時代々々の移り変りの実相を明らかに読み取る事が出来ます。同時に過去の長い歴史の行き着く結果である現代の状況までの筋道が、あたかも周到に想を練って作られた構想の下に、神技の筆、霊妙な色彩、血湧き肉踊る物語として画かれた絵巻物の大作を繙とく如く歴史の展開を理解出来る事に気付くのであります。これを逆に表現するならば、わが聖(ひじり)なる大先祖、皇祖皇宗は、人類全体をその胸内に抱く仁慈の心と言霊学の精通による透徹した英智の洞察力によって、人類全体の文明創造の歴史の目的とその筋道を設定し、その行方を見通し、その為の諸般の準備を整え、その上で歴史創造の出発の鐘を打ち鳴らしたに相違ないのです。その時、人類歴史の絵巻物の完成は既に約束されたのであります。現代人に要求されるのは言霊学によってその皇祖皇宗の歴史創造の意図と筋道を自らの胸中に自覚する事でありましょう。

(終り)