「言霊学発見の年代」 <第百八十五号>平成十五年十一月号 | |
初めにホームページに連載の文章を掲げます。
日本人の大先祖による言霊布斗麻邇の学問の発見・完成の年代については会報誌上または「コトタマ学入門」の中で説明した事でありますが、今回は言霊学の立場からその成立の年代を證明する事実をズバリと指摘しました。初めてコトタマの学に接する方々には少々難しかったかも知れません。興味を持たれた方は是非言霊学の勉学に入って頂く事を希望しながら書いたものであります。 個々の説明を省いた文章でありますので、以前より言霊学に親しんでいらっしゃる会員の方にも、説明をさせて頂いた方がよいかな、と思われる箇所があります。二、三の点について解説をいたします。 その第一は高千穂の奇振嶽とピラミッドとの関係を述べた所の「この五十音図を天津太祝詞(音図)と言います。この音図を上下・陰陽にとった百音図(図参照)は……」の文章の中の「この音図を上下・陰陽にとった……」についての所であります。母音が縦にアイエオウと並ぶ音図は天津太祝詞音図といい、言霊エ(実践智)に則した心の構造を表わした五十音図です。これは理解出来ます。けれどこの音図を「上下・陰陽にとった」とあります。何故その様に音図に手を加えて百音図を作るのでしょうか。五十音言霊図は心の構造を表わす図です。その構造図を上下にとる意味は何なのでしょうか。この説明がつきませんと、単なる図形のお遊びになってしまいます。「五十音図を上下にとる」とは心の如何なる変化を言ったものなのでしょうか。 「音図を上下にとる」との表現は、言霊の原理を活用し、人を救済し、また政治を行い、文明を創造する上で重要な心の動きなのです。それは言霊原理の活用法独特の「言霊の幸倍(さちは)へ」の業なのであります。
上の段の高山と下の段の短山の区別は分りました。上が自覚、下は無自覚です。では上の段と下の段で母音の並びが上から下へ順を逆にしたのは何故なのでしょう。この事に関して会報八十三号「八 以上、音図を上下・陰陽にとった百音図の上と下との相違について説明をいたしました。ここまでお話しますと、会員の大方は言霊原理の活用法である「禊祓」の行法を想起なさるのではないでしょうか。事実百音図の上は政治を行う者、下はその政治の恩恵を受ける者の立場である事が分ります。然もその政治を行う者の立場とその恩恵を受ける者の立場が相対立するのではなく、一人の人間を譬えとすると、政治を行う者はその心であり、その恩恵に預かる者はその身体となる主客合一の立場が成立します。古事記の禊祓の章「ここを以ちて伊耶那岐の大神の詔りたまひしく、『吾(あ)はいな醜(しこ)め醜めき穢(きたな)き国に到りてありけり。かれ吾(あ)は御身の祓(はら)せむ』とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到りまして、禊ぎ祓(はら)へたまひき。」とあります伊耶那岐の大神の立場がそれであります。この立場に立つ時、一国の、そして世界の人々によって生産されるすべての文化が禊祓の業によってそれぞれの実相を損なうことなく世界文明の内容として摂取・創造される事が可能となります。 以上、「天津太祝詞音図を上下・陰陽にとった百音図……」と書きました事の内容であります。音図上の変化を一言で表現しました事が人の心の中の如何なる動きとなって現われるか、言霊原理の説明では複雑・霊妙な心の躍動となることがお分り願えるのではないでしょうか。 ピラミッドと言霊学の高千穂の奇振嶽との関係の解説として今一つの説明を要することがあります。それは「百音図の中心にフルフルの四文字が入ります。この四文字の所を持って図面より直角の方向に引上げますと、四角錐の山形が出来上がります。これが高千穂の奇振嶽です」とあります。天津太祝詞音図を上下にとった百音図として、国家や世界人類文明創造の政治の基本原理の完成構造が出来上がっているものを、何故フルフルの四文字の箇所をもって図面より直角の方向に引上げるのでしょうか。その様な図形の動きに対応する人の心の変化とはどの様なものなのでしょうか。この間の消息を説明する前提として、親鸞上人の教えを記した歎異抄の中の文章を取り上げる事にしましょう。 「彌陀(みだ)の五劫思惟(しゆゐ)の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞(しんらん)一人がためなりけり」(歎異抄、総結)とあります。親鸞の浄土真宗の「南無阿弥陀佛」の信仰は彌陀五劫思惟の願(大無量寿経参照)の上に成立しています。その願「たとい、われ仏となるをえんとき、十方の衆生、至心に信樂(しんぎょう)して、わが国に生れんと欲して、乃至十念せん。もし、生れずんば、正覚を取らじ」(第十八願)は一切衆生を救済するための仏の願であり、衆生に対しての慈悲の現われであります。仏の「私はこの様にするぞ」という教えです。親鸞はこの教えを信じ、金剛心を以って念仏を称え、終(つい)に「彌陀五劫思惟の願が親鸞一人のための願だったのだ」と悟ったのです。それは仏の願の功を親鸞が独占するという事ではありません。仏の五劫という長い思惟の願の有難さが親鸞の心の底の底まで浸み渡った結果、仏の慈悲、念仏があればこそ自分はこの世に存在することが出来る」と悟ったのであります。言い換えますと、「南無阿弥陀佛」の念仏が即自分の生命と知った、という事なのです。彌陀五劫思惟の願は一切衆生に対する教えです。親鸞はその教えを信じ、念仏することによって、その念仏が自分自身に対する教えというよりは生命そのものである事を知ったのです。 天津太祝詞音図は政治の基本原理であり、それを上下にとった百音図は基本原理に基づいた文明創造の実践の精神構造であり、その政治機構(百敷の大宮)の組織であります。その図形をフルフルを中心として引上げた山形は、単なる原理・機構といったものではなく、その原理に則り、その機構・組織を総覧する唯一人の責任者として立った者の心構えを示しています。即ち天津日嗣天皇(スメラミコト)の心そのものなのです。 スメラミコトの自覚の心の住家は天之御柱アイエオウの中の言霊アであり、その内容は言霊イの言霊原理であり、その働きは言霊エオウであります。そしてその働きが言霊ウである世界人類の人々(衆生)の生活の上に御稜威(みいず)となって現われる時、初めてスメラミコトの責務の完遂となります。この最高の政治の方法を石上神宮のヒフミ四十七文字布留の言本は「ウオエニサリヘテノマスアセヱホレケ」と言っております。その意は「スメラミコトの心(大御心)の内容を言霊ウとオとエの三次元に分けて(ウオエニサリヘテ)、宣言し実行せよ(ノマス)、その大御心は言霊アの瀬(仁慈)に於てであり(アセ)、宣言とは言霊ウオエ次元の結論(ヱ)であり、その結果として世の中の秩序が平和で豊かに整然となる様に(ホレケ)」という事であります。この大業の内容を一人の人間(御身[おほみま])に譬えるならば、スメラミコトの心を心とし、世界人類の心をその身体とする時、その一人の人間が日々心新たに、身体が健やかに活動して生甲斐のある世界文明創造という人生の目的実現のために進歩・生長して行く事でありましょう。 高千穂の奇振嶽は右のスメラミコト一人の心構えの表徴なのであります。五千年前のエジプトの大王達はそのスメラミコトの御稜威を瞻望(せんぼう)し、奇振嶽の単なる外形を頂いてその墓として建造し、自らの魂が永遠の栄光の中に生きる事を願ったに違いありません。 さて次に第二の問題に移りましょう。再び竹内古文書を見ます。約五千年前、「鵜草葺不合王朝五十八代御中主幸玉天皇の御代、支国王伏羲来り、天皇これに天津金木を教える」とあります。更にそれより千六百年程経った鵜草葺不合王朝六十九代神足別豊鋤(かんたるわけとよすき)天皇の時、「ヨモツ国王モーゼ・ロミュラス来る。天皇これに天津金木を教える」とあります。天津金木とは母音が縦にアイウエオと並び、最上段が向って右からア・カサタナハマヤラ・ワと横に並ぶ五十音図のことです。私達が小学校の時に教えられる五十音図がそれです。単にアイウエオ五十音を並べただけの図形と思われていますが、事実は途方もなく大きな内容を持った図形なのです。人の心は五十の言霊で構成されています。また人の心は生来五つの根本性能を与えられています。その性能を五つの母音で表わします。言霊ウ(五官感覚に基づく欲望性能)、言霊オ(経験する現象間の法則を求める知識性能)、言霊ア(感情性能)、言霊エ(物事に如何に対処するかを決定する実践智、道徳智性能)、言霊イ(以上の四性能を統括する生命の創造意志性能)の五性能であります。天津金木の五十音図は最初の言霊ウの欲望性能に則した心の持ち方の構造を示した音図なのです。でありますから金木音図の他に言霊オアエイの四性能に則したそれぞれ四つの五十音図がある事は会員の方々のご存知の事であります。 この音図に基づいて縦の五母音の並び、横の八父韻の並び方がそれぞれ人間の心の内容として如何に自覚されるかの程度に従ってこの言霊ウの欲望の世界(産業・経済・権力政治の社会)に於て勢力を延ばす事が出来ることとなります。そこで太古に於ては世界の各地からこの精神秘宝を求めて日本に来朝する人々は後を絶たなかったのでありました。中国の秦の始皇帝が日本に方士除福を遣わして日本朝廷に不老長寿の薬(その実は天津金木の精神秘宝)を要求したという史実も右の欲望からであったのです。 鵜草葺不合王朝時代、中国の伏羲とユダヤのモーゼに天津金木を教えると竹内古文書に見えます。この来朝の両者に金木音図の原理をどの様に教えたのでしょうか。天津金木五十音図をそのまま教えたのではありません。伏羲には天津金木の原理を中国の概念の言葉と数との組合せの法則に脚色したもの、これを易経として授けたのであります。次のモーゼには矢張り金木の原理をヘブライ語の子音と数霊の法則に脚色したものを教えたものと推測されます。ユダヤ教のラビ(お坊さん)はこの法則をカバラと呼んでいます。これ等伝授した法則から「百度戦うも危ふからず」の孫子の兵法や六韜三略(りくとうさんりゃく)等の兵法書が生れました。 日本の言霊学は人の心の構造の構成因子として母音(実在)、父韻(人間の根本智性)、子音(現象の実相音)を使います。中国の易経は哲学概念と数を、ユダヤのカバラはヘブライ語の子音と数を以って表わします。言霊(母音、父韻、子音)は言葉の言葉word of wordsであるのに対し、易経・カバラは単なる言葉を用います。概念の言葉や数は実体・実相を表わしません。そのため、言霊が分れば易経・カバラは直ちに理解することが出来ますが、易経・カバラからは言霊を窺う事は出来ません。 太古の日本の朝廷は何故言霊学の天津金木を伏羲に、またモーゼに教えるのに金木音図そのものでなく、その概念と数へ脚色したものを教えたのでしょうか。日本独特の精神秘宝を出し惜しみしたわけではありません。言霊原理の活用は日本語に於てのみ可能であるという理由もありますが、それだけでなく世界文明創造の経綸に関わる重大な理由があったからであります。 過去三千年乃至五千年は人類の第二物質科学文明の創造の期間でありました。物質科学振興のための精神土壌は生存競争、弱肉強食の社会です。方便上言霊の原理は社会の裏に隠さなければなりません。そして物質科学文明がこの地球上に完成された暁、言霊の原理は再び社会の表に蘇えらねばなりません。その物質文明時代の間、言霊の学の存在は世の人の脳裏に登ってはならないものであり、同時にその間の生存競争を煽(あお)る手段としての易経やカバラは最も有力な戦略の役目を果すものであったのです。 私達は現在、人類第二の物質科学文明の完成を目の前にしています。と同時にそれは物質科学のもたらす富と科学兵器と通信手段の向上によって世界人類の統一という画期的時期をも迎えようとしております。この時運に呼応する如く、長い間社会の底に隠されて来た人類の第一精神文明の原器であった言霊の原理が不死鳥の如くこの地上に蘇えったのであります。 かくて蘇えり、復活した言霊の学問に則り人類一万年にわたる文明創造の歴史を振返る時、各時代々々の移り変りの実相を明らかに読み取る事が出来ます。同時に過去の長い歴史の行き着く結果である現代の状況までの筋道が、あたかも周到に想を練って作られた構想の下に、神技の筆、霊妙な色彩、血湧き肉踊る物語として画かれた絵巻物の大作を繙とく如く歴史の展開を理解出来る事に気付くのであります。これを逆に表現するならば、わが聖(ひじり)なる大先祖、皇祖皇宗は、人類全体をその胸内に抱く仁慈の心と言霊学の精通による透徹した英智の洞察力によって、人類全体の文明創造の歴史の目的とその筋道を設定し、その行方を見通し、その為の諸般の準備を整え、その上で歴史創造の出発の鐘を打ち鳴らしたに相違ないのです。その時、人類歴史の絵巻物の完成は既に約束されたのであります。現代人に要求されるのは言霊学によってその皇祖皇宗の歴史創造の意図と筋道を自らの胸中に自覚する事でありましょう。 (終り) |