「言霊学とは」 <第百八十四号>平成十五年十月号
 会員のO氏がパソコンで言霊学に関してのホームページを開設して暫くの時がたちました。最近そのホームページへの訪問者が三千人を越したという。それを媒体として言霊の会を訪問する方、会発行の書籍や会報の購読を希望される方も次第に多くなって来ました。科学文化の発展の勢いは凄まじいものがある。そこで言霊の会も時勢に呼応してこのホームページに投稿を試みる事にしました。「コトタマ学」の会報と違い、言霊学の内容を全く知らない人々に読んで頂く文章でありますから、筆者自身も初心に帰り、会報創刊の心で原稿を書く事としました。若しかすると、この事が言霊の会の会員の方々に新鮮に感じられるかも知れないと思い、投稿の文章を会報誌上にも載せてみようと思い立ちました。投稿の文章は言霊学の初心者、そして不特定多数の人々が対象です。文章の全体が詳細な論証で裏付けられたものではありません。でありますから、会報への転載文には、詳しい解説を要する事、或いは言霊学の勉学に必要な事項等を付け加える事としました。参考になれば幸いと思います。
「ごあいさつ」
 言霊学(ことたまのまなび)とは
 言霊学は当言霊の会が考え出したものではありません。私達日本人の遠い遠い祖先が大勢集まり、長い間かかって発見した人間の心と言葉に関する究極の学問です。人間の心の構造とその動き、その言葉との関係のすべてはこの言霊の学問で解き尽くされています。日本語はこの学問の原理に基づいて造られ、日本という国家はこの原理の下に肇国され、更に日本をはじめ世界の文明の歴史はこの原理に基づいて創造されています。

 この言霊の原理の政治への直接の適用は、世界に於ては三千年余以前に、日本に於ては二千年前、崇神天皇の時に意図的に廃止されました。人類の第二物質文明の創造を促進する為の方便でありました。この時以来、言霊学は宮中賢所に保存される人間精神の秘宝として、伊勢神宮内外宮の唯一神明造りの構造として、また古事記・日本書紀神代巻の神話の形式の謎として後世の人々に遺されたのでありました。

 近世に至り、言霊の学問の存在に初めて気付かれ、その復興に努力された方は明治天皇御夫妻であります。以来、数々の先輩諸氏の復元研究が続き、第二次大戦以後は民間の手に移り、現在当言霊の会がその任を担当し、言霊学のほぼ全体の復元が完成されております。

 言霊学は明治天皇により「言の葉の誠の道」と呼ばれました。それは一般に信じられている三十一文字の和歌の事ではありません。天皇に「天地を動かすという言の葉の誠の道を誰か知るらん」という御歌があります。言霊学は人間の心とその操作法を余すことなく解明し尽くした学問です。その正確さ、真実性において匹敵し得るものがあるとすれば、近い将来完成が期待される物質の究極構造の学である原子物理学だけでありましょう。

 言霊学によれば、現実の社会、ひいては全世界が当面する幾多の混迷する問題について、掌(たなごころ)を指さす如くその解決法を提示することが可能です。今後逐次このホームページに発表する予定です。ご期待下されば光栄であります。

 「コトタマの学問はどの様にしたらよいのですか」と尋ねられます。その問いに私は次の様に答えます。「誰方も毎日忙しくお過しの事と思います。やらねばならぬ事が山積している事でしょう。そこを勇気を振い起して一日の中の二十分乃至三十分を『自分の時間』としてお決めになり、その時間内は電話の受話器も手にしないで、ただポカンとしていて下さい。何もしなくていい自由の時間を持つ事です。大切なのは一年三百六十五日、一日も休まず続ける事です。その内に何かしたくなったら、言霊学の本や、言霊に関する宗教書などをお読みになるとよいでしょう。時間が余ったら、またポカンとしていればよいでしょう。そういう風に自分の時間を続けている内に、その三十分程の時間内では妙に自分の心が日常の気忙しさから外れて、シーンとした静寂の中にいるように感じて来ます。どんなに大きな台風でも、その眼に当る処は無風状態だと聞いています。自分の時間が同じような無風状態になったと感じられる方は仕合わせな方です。その静寂の気持から自分自身を、またはご家庭や社会や、世界を見ると、そのそれぞれの真実の姿を見ることが出来ます。ご自分が齷齪と動いている時は、自分の姿や、家庭、世の中、世界の事も、その動いている姿しか眼に入りません。自分が動かなくなると、自も他もその実相をよく見ることが出来るようになりましょう。健康で働いている時も大切ですが、立ち止まって静寂の中にいる自分の時も大切なのだ、という事に気付く事が出来ます。」この自分の時を持つ事の尊さをキリスト教新約聖書は次の如く厳しい文章で教えています。  

 「われ地に平和を投ぜんために来れりと思うな。平和にあらず、反って剣を投ぜん為に来れり。それ我が来れるは、人をその父より、娘をその母より、嫁をその姑より分たん為なり。人の仇は、その家の者なるべし。我よりも父または母を愛する者は、我に相応しからず。又おのが十字架をとりて我に従わぬ者は、我に相応しからず。生命を得る者はこれを失ひ、我がために生命を失ふ者はこれを得べし。」  

 少しの時間でも自分の心が動かず、静寂の中にいる事が出来るようになると、何時もは気付かなかったり、別に矛盾を感じなかった事などが、思考の対象として心中に登場し、また気になり出したりして来ます。「自分だと思っているこの自分とは一体何なのだろうか」「私はこの世の中で何をしようとして生れて来たのだろう」「自分が今やっている事をするだけで良いのだろうか」「今の社会の不景気はどうなるのだろうか」「世界の今後はどうなるのだろう」等々の事が自分自身の課題として身に迫って来ます。  

 今まで世の中全体の流れの中を漂い、流されて生きて来た時には「世の中なんてこんなものなんだ」と軽く考えて来たものが、自分自身との関係の問題として、更には自分自身の責任でもあるものの如く考えるようにもなります。この時、言霊の学問が自分の心の学問として、世界人類の命運に関る自分自身の学問として浮び上がって来ます。自分自身がこの世の中に生きて行く事のすべての問題に唯一無二の解答を与えてくれる極めて身近な、生きた学問として登場して来る事となります。そして学問に対する理解が進むにつれて自分という人間の心の中には、人類始まって以来の歴史のすべてがその生きた姿のままに活動しており、自分自身がそのすべてを背負い、その上で自分自身の自由創造の裁量の下に新しい世界を創り出して行く能力が備わっているという事を言霊学が教えてくれる事となります。

 古事記について(言霊学随想)
 古事記についてお話しましょう。この書物は七一二年、奈良朝初代、元明天皇の勅命を受けて太安万侶が選録した日本古代の歴史書であります。天皇の命令により編纂された書物でありますから、五十年程以前までは皇典古事記と呼ばれました。これからこの古事記に書かれた内容について、今までの日本人(研究者を含めて)が全く気付かなかった事を二つ皆さんにお伝えしようと思います。

 古事記は上つ巻、中つ巻、下つ巻の三巻に分かれています。その中で中つ巻と下つ巻の二巻で神倭皇朝初代神武天皇より三十三代推古天皇までの日本の歴史が述べられています。そしてその前の上つ巻では、歴史書としては誠に奇妙な神々の物語が、数百にものぼる神様の名前と共に書き綴られています。有史時代に入り、日本の国土に中央集権の政府が樹立される以前の、茫漠たる神代の時代の記述と考えられてきました。けれどこの常識とまで考えられて来た内容が、実は古事記の中のただ一つの文章の内容の錯覚による誤解であった事が明らかとなりました。天皇の勅命によって編纂された古事記の神話の真実が、後世の人々の誤解の霧を吹き払い、現代人が驚倒するであろう事実として姿を現わす時が来たのです。これがお伝えしたい第一点であります。

 では錯覚の原因となった古事記の文章とは何か。どう誤解したのか。これがお伝えする第二点です。古事記の神話は「天地の初発の時、高天の原に成りませる神の名は……」の文章で始まります。この神話の第一声である「天地の初発の時」の一言こそ後世の日本人が古事記神話に秘められた編者太安万侶の意図を全く誤解し、しかも千年以上の間、誰もが気付かずに過ごす事となった特異な文章であったのです。

 日本の古代には哲学的概念に拠る言葉がありませんでした。「天地の初発の時」と言えば、現代では当然眼前に見る宇宙天体の活動が始まった宇宙の初めの時と考えるでしょう。けれど太安万侶の時代では心の現象を眼前の自然現象を以って表現するのが常でありました。「人の心が何かしようとし始めた時」、これを「天地の初発の時」と言ったのであります。「天地の初発の時」を現代宇宙科学が説くように数百、数千億年前の全大宇宙の活動の初めと解釈すれば、その言葉に続く古事記の文章は幾百の神々が現われる荒唐無稽な、私達の生活とは関係の薄い物語となりましょう。 けれどその「天地の初発の時」を私達の何もしていない心がこれから何かをしようとする瞬間、即ち「今・此処」と解釈すべきだ、と気付くならば、それに続く古事記の神話が壮大な人間の心の全構造とその動き、並びに心と言葉との関係という現代は勿論、何時の世の人々にとっても見逃す事の出来ない重要な心の学問だ、という事に気付く事になります。

 言霊学が二千年以前にあったと同様の姿で復元された現在、古事記上つ巻の神話が実は神話という謎の形で後世に遺された言霊学のこの世で唯一つの教科書であり手引書である事が確認・證明されました。言霊学によれば、人間の心は究極的に五十個の要素で構成されており、その要素のそれぞれと、日本語の言葉の単位であるアイウエオ五十音の一つ一つとを結んだものを言霊と呼びました。言霊とは心の究極の単位であると同時に言葉の単位でもあるものであり、人間の心はこの五十個の言霊によって構成されている事となります。更に言霊学は人間の心の動きをこの五十個の言霊の五十通りの典型的な動きとして解明しました。五十個の言霊とその五十通りの動き方、合計百の原理・法則を私達の大先祖は百の道、即ち餅(鏡餅)として神の表徴としたのであります。

 仏教禅宗に指月の指という言葉があります。「あれがお月様だよ」と指さす指の事です。「指をいくら見ていても何も出ては来ない。指が示すその先にある物を見て初めて真相が分るのだ」という事を教えています。古事記の神話には初めの「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主の神。……」に始まり、言霊学の総結論を示す三貴子(三柱のうづみこ)、即ち天照大神・月読の命・建速須佐男の命の三神まで丁度百の神名が登場します。この中の一番目の神である天之御中主の神(言霊ウ)から五十番目、火の夜芸速男の神(言霊ン)までの神名が言霊五十音を指示する指月の指であり、五十一番目の金山毘古の神から百番目の建速須佐男の命までが言霊の動き方を示す指月の指なのであります。以上五十の言霊とその五十通りの活用の動きによって言霊学は人間の心のすべてを説き尽くしています。人間の心を完璧に表現したこの言霊の原理によって運営されて来た所謂神代と呼ばれる人類の第一精神文明時代は平和で豊穣な理想の時代であったのです。

 大本教々祖、出口なお女史の神懸りに「知らせてはならず、知らさいでもならず、神はつらいぞよ」という文章があります。先にお伝えしましたが、二千年以前、崇神天皇により言霊の学問は世の中から封印されました。この決定は人類の第二物質文明創造促進のための方便でありましたから、後世物質科学文明が完成した暁には、当然言霊の学問はこの世の中に復活しなければなりません。その目的のために採られた施策の一つが古事記の編纂であった訳です。その任に当った編者太安万侶の心は「後世の人には明らかに知らさねばならず、とは言え、時が来るまではあから様に知らせてはならず」、丁度出口なお女史の神懸りの言葉の如くであったに違いありません。その結果が古事記の神話に見られる如く、神々の物語り、即ち神話という形をとった謎々の物語となったのです。

 以上、古事記という書物について今までの人々が気付かなかった重要な二つの点についてお伝えして来ました。古事記神話の冒頭の文章「天地の初発の時」が人間の心が「今・此処」で何かを始めようとする時、である事に気付く事によって「心とは何ぞや」の問に完璧に答えることが出来る言霊の学問に到達しました。 次に古事記の編纂者、太安万侶が人間の心の究極の構造である言霊の原理を神話という黙示の形で書き、実際の歴史書である中つ巻と下つ巻の前提となる歴史創造の理念としての上つ巻を造り上げた事実を直視するならば、日本と世界の歴史がてんでばらばらに営まれる人々の行為の単なる総合なのではなく、その長い歴史の創造の原動力として「人間の心とは何ぞや」の問に対する完全解答である言霊の原理が躍動している事に気付く事となります。

 言霊学に興味を持たれた方は、更に一歩を進めて、言霊学の殿堂に入り、古事記の神話の神々の名前を指月の指として自らの心を顧みられ、アイウエオ五十音の言霊の存在を確認して頂き度い。人間の心の壮大さ、幽玄さ、想像することも出来ない合理性、そしてその優美さに驚嘆することでしょう。そしてこの人間と人間社会が「捨てたものではない」事にお気付きになりましょう。

 言霊学が示す言霊五十音とそれぞれの言霊を指さす指月の指である古事記神名とを対として一覧表を作ると次の様になる。
 五母音・四半母音
ウ 天之御中主(あめのみなかぬし)神  ア 高御産巣日(たかみむすび)神
ワ 神産巣日(かみむすび)神 オ 天之常立神(あめのとこたち)
ヲ 宇麻志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこじ)神 エ 国之常立(くにのとこたち)神
ヱ 豊雲野(とよくもの)神
イ 伊耶那岐(いざなぎ)神 ヰ 伊耶那美(いざなみ)神
 八父韻
チ 宇比地邇(うひじに)神 イ 須比地邇(すひじに)神
キ 角杙(つのぐひ)神 ミ 生杙(いくぐひ)神
シ 大斗能地(おほとのじ)神 リ 大戸乃弁(おほとのべ)神
ヒ 淤母陀琉(おもだる)神 ニ 阿夜訶志古泥(あやかしこね)神
以上先天十七神。以下後天現象子音三十二神。
タ 大事忍男(おほことおしを)神 ト 石土毘古(いはつちひこ)神
ヨ 石巣比売(いはすひめ)神 ツ 大戸日別(おほとひわけ)神
テ 天之吹男(あめのふきを)神 ヤ 大屋毘古(おほやびこ)神
ユ 風木津別之忍男(かざつわけのおしを)神 エ 大綿津見(おほわたつみ)神
ケ 速秋津日子(はやあきつひこ)神 メ 速秋津比売(はやあきつひめ)神
ク 沫那芸(あわなぎ)神 ム 沫那美(あわなみ)神
ス 頬那芸(つらなぎ)神 ル 頬那美(つらなみ)神
ソ 天之水分(あめのみくまり)神 セ 国之水分(くにのみくまり)神
ホ 天之久比奢母智(あめのくひぢもち)神 ヘ 国之久比奢母智(くにのくひぢもち)神
フ 志那都比古(しなつひこ)神 モ 久久能智(くくのち)神
ハ 大山津見(おほやまつみ)神 ヌ 鹿屋野比売(かやのひめ)神
ラ 天之狭土(あめのさつち)神 サ 国之狭土(くにのさつち)神
ロ 天之狭霧(あめのさぎり)神 レ 国之狭霧(くにのさぎり)神
ノ 天之闇戸(あめのくらど)神 ネ 国之闇戸(くにのくらど)神
カ 大戸惑子(おほとまどひこ)神 マ 大戸惑女(おほとまどひめ)神
ナ 鳥之石楠船(とりのいはすくふね)神 コ 大宜都比売(おほげつひめ)神
 以上後天現象子音三十二神。
 次に神代神名文字一神。
ン 火之夜芸速男(ほのやぎはやを)神 (以上総計五十言霊、五十神)
 

 以上、言霊五十個と、それぞれに対応する指月の指である古事記神話の神々とを結んで、五十対の言霊と神名を書いてみました。指月の指である古事記の神名と、その神名が指し示すご本尊である言霊ウとの関係について詳しく検討してみましょう。当会発行の言霊学の解説書「古事記と言霊」の中の神名天之御中主神・言霊ウの項(頁9〜10)を御覧下さい。

 『宇宙の中に初めて意識が動き出す一点、それはよくよく考えてみますと、その動き出す瞬間が今であり、此処である、ということです。心の息吹が芽を吹き萌え出ようとする瞬間こそ現実の今であり、此処であると言うことが出来るでしょう。これ以外に今という時と此処という処はありません。私達の心の活動はいつでもこの今・此処から出発しています。人間万事すべての活動が始まる出発点です。古事記の編纂者太安万侶はこの人間の原始的な意識に天の御中主の神という神名を当てて表現したのでした。その実体を言霊の学問で言霊ウと言います。

 何故太安万侶は今・此処に始まる意識の元の姿に天の御中主の神という名前を当てたのでしょうか。天の御中主の神の「天の」は心の宇宙の、という意味です。「御中主」とはその宇宙の中心にあって、すべての意識活動の元(主人公)としての、の意味。神はそういう実体の事。広い心の宇宙に、ある時ある処で、やがて発展して私という自覚となる原始的な意識が芽生えます。その意識がどんなに小さい、ささやかなものであっても、無限大の宇宙がその今・此処の一点から活動を開始するのですから、その瞬間の一点こそ宇宙の中心ということが出来ます。そしてその一点がやがて「我あり」の自覚に発展して行くのですから、宇宙の主人公というわけです。私達日本人の祖先はこの一点の原始的な自覚体に言霊ウ、と名付けたのでした。そして太安万侶は古事記神代巻の編纂に当って言霊ウを指し示す「指月の月」として天の御中主の神という神名を使ったのです。』

 長い引用文を書いて恐縮でありますが、この文章をお読み下さって、指月の指である天之御中主神という神名が「広い、何もない心の宇宙の一点(今・此処)に何かが始まろうとする意識の芽」の事を黙示しているのだ、という事がお分りになったのではないかと思います。「あれがお月様だよ」と指さしている指月の指に導かれて「今・此処に始まろうとする心の意識の芽」に到達しました。ここまではお分りになる方は多いと思います。けれどその次に分らない事が控えているのにお気付きになる方は少ないのではないでしょうか。それは何か。

 指月の指は確かに「心の宇宙の一点に始まろうとする意識の芽」に導いてくれました。けれど指月の指の役目はここで終ってしまい、天之御中主神が言霊ウであるという事を教えてはくれません。この指月の指である天之御中主神という神名からは決してそれが「言霊ウ」であると断言する何者も備わってはいません。それなのに何故「言霊ウ」なのでしょうか。

 人間の心を分析して究極的に五十個の要素がある事を発見しました。その要素の一つ一つを、私達が今使っているアイウエオ五十音という言葉の最小単位の一つ一つと結んで五十個の言霊(ことたま)を得ました。そこで考えて見て下さい。五十個の心の要素と五十個の言葉の単位との結びつきは幾通り有るとお思いでしょうか。そこには数学のコンビネーションの計算をしなければなりませんが、考えるのも恐ろしい程の数となる事は間違いありません。五十個の言霊はそれぞれ異なった内容・性質を持ち、然もその五十個を五十通りの典型的動きの活用により、最終的に人間精神の理想の構造を作り出し、その構造原理に従って物事の実相そのものを表現する日本語を造り、更にその原理によって人間が住む最高の理想社会を建設して行く為に些かの矛盾も起る事のない合理性を持った学問の完成であったのです。この学問の発見のために、私達日本人の祖先のどれ程大勢の人々、とどれ程長い年月の試行錯誤の努力・研鑚があった事でありましょうか。その厖大(ぼうだい)な研究・努力の結果が人類の第一精神文明創造の原器である言霊の学問の完成となって現われたに違いありません。それは丁度、「物質とは何ぞや」を数千年にわたって研究し、近い将来その完成間近な原子物理学と同様の道程を踏んだに違いないのです。

 上の事に鑑みて約百年前より言霊学の復活が始まり、諸先輩方の並々ならぬ努力で大昔にあったと同様の姿で此処に言霊学が姿を現わしたのでありますが、その復活への努力が大昔の如くその初めの零(ゼロ)からの出発ではなく、言霊学の確かな記録・文献の発見が土台となったであろう事が推察されるのであります。明治の時代、言霊学の伝統にお気付きになり、その復活・研究を始められたのが明治天皇御夫妻であったと聞いております。御夫妻の研究のお相手を務めましたのが旧尾張藩士で国学者・書道家であり、皇后の書道の師でもあった山腰弘道氏でありました。その後、言霊学の伝統は弘道氏の子、山腰明将氏、次に小笠原孝次氏、そして現在、当言霊の会がその任を担当しているのでありますが、これ等言霊学の諸先輩並びにその他言霊学の復活に活躍された方々の記録・文献を拝見いたしますと、どれもが何の疑いもなく当会が皆様にお伝えしている言霊と古事記神名との結び付きと同様のものを採用している事であります。

 更に古事記の神名に指示された五十音言霊を、古事記の五十一番目の神より百番目の神の神名を指月の指として、そのその整理・運用法を検討し、言霊学の総結論である禊祓の行法の解明を進めるに従い、古事記神名と五十音言霊との結び付きに関して何の矛盾も起らず、反ってその正確さに対して驚嘆の念を増すばかりであります。言霊学という真理の中で、その中心に位する人間の心の要素と五十音との結び付きの正確さこそ真理中の真理というに値するものであると思われます。

 この事実から推察して、言霊学の根幹である古事記神話の神々と五十音言霊との結びつきは、言霊学が実際に人類文明創造の原器として活用されていた太古から、または少なくとも古事記が編纂された奈良朝初期の時代から、宮中に記録または文献として秘蔵・保存されて来た事が窺われるのであります。その場所は宮中温明殿、別名賢所(天照大神のみたましろとして模造の神鏡を奉安する所。内侍が守護するので内侍所ともいう。)でありましょう。世界の中で最も賢い所と言うべき所であります。

(この項終り)