「言霊学とは」 <第百八十四号>平成十五年十月号 | ||
会員のO氏がパソコンで言霊学に関してのホームページを開設して暫くの時がたちました。最近そのホームページへの訪問者が三千人を越したという。それを媒体として言霊の会を訪問する方、会発行の書籍や会報の購読を希望される方も次第に多くなって来ました。科学文化の発展の勢いは凄まじいものがある。そこで言霊の会も時勢に呼応してこのホームページに投稿を試みる事にしました。「コトタマ学」の会報と違い、言霊学の内容を全く知らない人々に読んで頂く文章でありますから、筆者自身も初心に帰り、会報創刊の心で原稿を書く事としました。若しかすると、この事が言霊の会の会員の方々に新鮮に感じられるかも知れないと思い、投稿の文章を会報誌上にも載せてみようと思い立ちました。投稿の文章は言霊学の初心者、そして不特定多数の人々が対象です。文章の全体が詳細な論証で裏付けられたものではありません。でありますから、会報への転載文には、詳しい解説を要する事、或いは言霊学の勉学に必要な事項等を付け加える事としました。参考になれば幸いと思います。
「コトタマの学問はどの様にしたらよいのですか」と尋ねられます。その問いに私は次の様に答えます。「誰方も毎日忙しくお過しの事と思います。やらねばならぬ事が山積している事でしょう。そこを勇気を振い起して一日の中の二十分乃至三十分を『自分の時間』としてお決めになり、その時間内は電話の受話器も手にしないで、ただポカンとしていて下さい。何もしなくていい自由の時間を持つ事です。大切なのは一年三百六十五日、一日も休まず続ける事です。その内に何かしたくなったら、言霊学の本や、言霊に関する宗教書などをお読みになるとよいでしょう。時間が余ったら、またポカンとしていればよいでしょう。そういう風に自分の時間を続けている内に、その三十分程の時間内では妙に自分の心が日常の気忙しさから外れて、シーンとした静寂の中にいるように感じて来ます。どんなに大きな台風でも、その眼に当る処は無風状態だと聞いています。自分の時間が同じような無風状態になったと感じられる方は仕合わせな方です。その静寂の気持から自分自身を、またはご家庭や社会や、世界を見ると、そのそれぞれの真実の姿を見ることが出来ます。ご自分が齷齪と動いている時は、自分の姿や、家庭、世の中、世界の事も、その動いている姿しか眼に入りません。自分が動かなくなると、自も他もその実相をよく見ることが出来るようになりましょう。健康で働いている時も大切ですが、立ち止まって静寂の中にいる自分の時も大切なのだ、という事に気付く事が出来ます。」この自分の時を持つ事の尊さをキリスト教新約聖書は次の如く厳しい文章で教えています。
「われ地に平和を投ぜんために来れりと思うな。平和にあらず、反って剣を投ぜん為に来れり。それ我が来れるは、人をその父より、娘をその母より、嫁をその姑より分たん為なり。人の仇は、その家の者なるべし。我よりも父または母を愛する者は、我に相応しからず。又おのが十字架をとりて我に従わぬ者は、我に相応しからず。生命を得る者はこれを失ひ、我がために生命を失ふ者はこれを得べし。」 少しの時間でも自分の心が動かず、静寂の中にいる事が出来るようになると、何時もは気付かなかったり、別に矛盾を感じなかった事などが、思考の対象として心中に登場し、また気になり出したりして来ます。「自分だと思っているこの自分とは一体何なのだろうか」「私はこの世の中で何をしようとして生れて来たのだろう」「自分が今やっている事をするだけで良いのだろうか」「今の社会の不景気はどうなるのだろうか」「世界の今後はどうなるのだろう」等々の事が自分自身の課題として身に迫って来ます。 今まで世の中全体の流れの中を漂い、流されて生きて来た時には「世の中なんてこんなものなんだ」と軽く考えて来たものが、自分自身との関係の問題として、更には自分自身の責任でもあるものの如く考えるようにもなります。この時、言霊の学問が自分の心の学問として、世界人類の命運に関る自分自身の学問として浮び上がって来ます。自分自身がこの世の中に生きて行く事のすべての問題に唯一無二の解答を与えてくれる極めて身近な、生きた学問として登場して来る事となります。そして学問に対する理解が進むにつれて自分という人間の心の中には、人類始まって以来の歴史のすべてがその生きた姿のままに活動しており、自分自身がそのすべてを背負い、その上で自分自身の自由創造の裁量の下に新しい世界を創り出して行く能力が備わっているという事を言霊学が教えてくれる事となります。
言霊学が示す言霊五十音とそれぞれの言霊を指さす指月の指である古事記神名とを対として一覧表を作ると次の様になる。
五母音・四半母音 ウ 天之御中主(あめのみなかぬし)神 ア 高御産巣日(たかみむすび)神 ワ 神産巣日(かみむすび)神 オ 天之常立神(あめのとこたち) ヲ 宇麻志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこじ)神 エ 国之常立(くにのとこたち)神 ヱ 豊雲野(とよくもの)神 イ 伊耶那岐(いざなぎ)神 ヰ 伊耶那美(いざなみ)神 八父韻 チ 宇比地邇(うひじに)神 イ 須比地邇(すひじに)神 キ 角杙(つのぐひ)神 ミ 生杙(いくぐひ)神 シ 大斗能地(おほとのじ)神 リ 大戸乃弁(おほとのべ)神 ヒ 淤母陀琉(おもだる)神 ニ 阿夜訶志古泥(あやかしこね)神 以上先天十七神。以下後天現象子音三十二神。 タ 大事忍男(おほことおしを)神 ト 石土毘古(いはつちひこ)神 ヨ 石巣比売(いはすひめ)神 ツ 大戸日別(おほとひわけ)神 テ 天之吹男(あめのふきを)神 ヤ 大屋毘古(おほやびこ)神 ユ 風木津別之忍男(かざつわけのおしを)神 エ 大綿津見(おほわたつみ)神 ケ 速秋津日子(はやあきつひこ)神 メ 速秋津比売(はやあきつひめ)神 ク 沫那芸(あわなぎ)神 ム 沫那美(あわなみ)神 ス 頬那芸(つらなぎ)神 ル 頬那美(つらなみ)神 ソ 天之水分(あめのみくまり)神 セ 国之水分(くにのみくまり)神 ホ 天之久比奢母智(あめのくひぢもち)神 ヘ 国之久比奢母智(くにのくひぢもち)神 フ 志那都比古(しなつひこ)神 モ 久久能智(くくのち)神 ハ 大山津見(おほやまつみ)神 ヌ 鹿屋野比売(かやのひめ)神 ラ 天之狭土(あめのさつち)神 サ 国之狭土(くにのさつち)神 ロ 天之狭霧(あめのさぎり)神 レ 国之狭霧(くにのさぎり)神 ノ 天之闇戸(あめのくらど)神 ネ 国之闇戸(くにのくらど)神 カ 大戸惑子(おほとまどひこ)神 マ 大戸惑女(おほとまどひめ)神 ナ 鳥之石楠船(とりのいはすくふね)神 コ 大宜都比売(おほげつひめ)神 以上後天現象子音三十二神。 次に神代神名文字一神。 ン 火之夜芸速男(ほのやぎはやを)神 (以上総計五十言霊、五十神) 以上、言霊五十個と、それぞれに対応する指月の指である古事記神話の神々とを結んで、五十対の言霊と神名を書いてみました。指月の指である古事記の神名と、その神名が指し示すご本尊である言霊ウとの関係について詳しく検討してみましょう。当会発行の言霊学の解説書「古事記と言霊」の中の神名天之御中主神・言霊ウの項(頁9〜10)を御覧下さい。
『宇宙の中に初めて意識が動き出す一点、それはよくよく考えてみますと、その動き出す瞬間が今であり、此処である、ということです。心の息吹が芽を吹き萌え出ようとする瞬間こそ現実の今であり、此処であると言うことが出来るでしょう。これ以外に今という時と此処という処はありません。私達の心の活動はいつでもこの今・此処から出発しています。人間万事すべての活動が始まる出発点です。古事記の編纂者太安万侶はこの人間の原始的な意識に天の御中主の神という神名を当てて表現したのでした。その実体を言霊の学問で言霊ウと言います。 何故太安万侶は今・此処に始まる意識の元の姿に天の御中主の神という名前を当てたのでしょうか。天の御中主の神の「天の」は心の宇宙の、という意味です。「御中主」とはその宇宙の中心にあって、すべての意識活動の元(主人公)としての、の意味。神はそういう実体の事。広い心の宇宙に、ある時ある処で、やがて発展して私という自覚となる原始的な意識が芽生えます。その意識がどんなに小さい、ささやかなものであっても、無限大の宇宙がその今・此処の一点から活動を開始するのですから、その瞬間の一点こそ宇宙の中心ということが出来ます。そしてその一点がやがて「我あり」の自覚に発展して行くのですから、宇宙の主人公というわけです。私達日本人の祖先はこの一点の原始的な自覚体に言霊ウ、と名付けたのでした。そして太安万侶は古事記神代巻の編纂に当って言霊ウを指し示す「指月の月」として天の御中主の神という神名を使ったのです。』 長い引用文を書いて恐縮でありますが、この文章をお読み下さって、指月の指である天之御中主神という神名が「広い、何もない心の宇宙の一点(今・此処)に何かが始まろうとする意識の芽」の事を黙示しているのだ、という事がお分りになったのではないかと思います。「あれがお月様だよ」と指さしている指月の指に導かれて「今・此処に始まろうとする心の意識の芽」に到達しました。ここまではお分りになる方は多いと思います。けれどその次に分らない事が控えているのにお気付きになる方は少ないのではないでしょうか。それは何か。 指月の指は確かに「心の宇宙の一点に始まろうとする意識の芽」に導いてくれました。けれど指月の指の役目はここで終ってしまい、天之御中主神が言霊ウであるという事を教えてはくれません。この指月の指である天之御中主神という神名からは決してそれが「言霊ウ」であると断言する何者も備わってはいません。それなのに何故「言霊ウ」なのでしょうか。 人間の心を分析して究極的に五十個の要素がある事を発見しました。その要素の一つ一つを、私達が今使っているアイウエオ五十音という言葉の最小単位の一つ一つと結んで五十個の言霊(ことたま)を得ました。そこで考えて見て下さい。五十個の心の要素と五十個の言葉の単位との結びつきは幾通り有るとお思いでしょうか。そこには数学のコンビネーションの計算をしなければなりませんが、考えるのも恐ろしい程の数となる事は間違いありません。五十個の言霊はそれぞれ異なった内容・性質を持ち、然もその五十個を五十通りの典型的動きの活用により、最終的に人間精神の理想の構造を作り出し、その構造原理に従って物事の実相そのものを表現する日本語を造り、更にその原理によって人間が住む最高の理想社会を建設して行く為に些かの矛盾も起る事のない合理性を持った学問の完成であったのです。この学問の発見のために、私達日本人の祖先のどれ程大勢の人々、とどれ程長い年月の試行錯誤の努力・研鑚があった事でありましょうか。その厖大(ぼうだい)な研究・努力の結果が人類の第一精神文明創造の原器である言霊の学問の完成となって現われたに違いありません。それは丁度、「物質とは何ぞや」を数千年にわたって研究し、近い将来その完成間近な原子物理学と同様の道程を踏んだに違いないのです。 上の事に鑑みて約百年前より言霊学の復活が始まり、諸先輩方の並々ならぬ努力で大昔にあったと同様の姿で此処に言霊学が姿を現わしたのでありますが、その復活への努力が大昔の如くその初めの零(ゼロ)からの出発ではなく、言霊学の確かな記録・文献の発見が土台となったであろう事が推察されるのであります。明治の時代、言霊学の伝統にお気付きになり、その復活・研究を始められたのが明治天皇御夫妻であったと聞いております。御夫妻の研究のお相手を務めましたのが旧尾張藩士で国学者・書道家であり、皇后の書道の師でもあった山腰弘道氏でありました。その後、言霊学の伝統は弘道氏の子、山腰明将氏、次に小笠原孝次氏、そして現在、当言霊の会がその任を担当しているのでありますが、これ等言霊学の諸先輩並びにその他言霊学の復活に活躍された方々の記録・文献を拝見いたしますと、どれもが何の疑いもなく当会が皆様にお伝えしている言霊と古事記神名との結び付きと同様のものを採用している事であります。 更に古事記の神名に指示された五十音言霊を、古事記の五十一番目の神より百番目の神の神名を指月の指として、そのその整理・運用法を検討し、言霊学の総結論である禊祓の行法の解明を進めるに従い、古事記神名と五十音言霊との結び付きに関して何の矛盾も起らず、反ってその正確さに対して驚嘆の念を増すばかりであります。言霊学という真理の中で、その中心に位する人間の心の要素と五十音との結び付きの正確さこそ真理中の真理というに値するものであると思われます。 この事実から推察して、言霊学の根幹である古事記神話の神々と五十音言霊との結びつきは、言霊学が実際に人類文明創造の原器として活用されていた太古から、または少なくとも古事記が編纂された奈良朝初期の時代から、宮中に記録または文献として秘蔵・保存されて来た事が窺われるのであります。その場所は宮中温明殿、別名賢所(天照大神のみたましろとして模造の神鏡を奉安する所。内侍が守護するので内侍所ともいう。)でありましょう。世界の中で最も賢い所と言うべき所であります。 (この項終り) |