「古事記と言霊」講座 その十四 <第百七十三号>平成十四年十一月号
 次に御刀の手上(たがみ)に集まる血、手俣(たなまた)より漏(く)き出(いで)て成りませる神の名は、闇淤加美(くらおかみ)の神。次に闇御津羽(くらみつは)の神。
 伊耶那岐・美の二神は共同で三十二の子音を生み、次に父母子音言霊四十九個を粘土板上に神代表音文字として刻み、素焼にして五十番目の言霊ンを得ました。子種がなくなった伊耶那美の命はここで高天原での役目を終え、客観世界である予母津(よもつ)国に去って行きます。主観である伊耶那岐の命はこれより言霊五十音を刻んだ埴土(はに)を整理する作業を進め、先ず最初に和久産巣日(わくむすび)の神なる五十音図(菅曽[すがそ]音図)にまとめました。次に岐の命は和久産巣日の神とまとまった五十音図で示される人間の精神構造を十拳剣で分析・総合することによって社会を創造するための理想の精神構造を主体的に自覚いたしました。この主体内にて自覚された理想の精神構造を建御雷(たけみかつち)の男(を)の神と言います。次に岐の命はこの建御雷の男の神の活用法の検討に入ることとなります。

 伊耶那岐の命の人間精神構造の検討の仕事が、初めに剣の「前(さき)」から「本」となり、此処では「御刀の手上(たがみ)」となり、検討の作業が進展して来た事を物語ります。ただ「前」と「本」とが「湯津石村に走りつきて」とありますのが、「手俣より漏き出て成りませる」と変わっているのは何故でしょうか。その理由は成り出でます神名闇淤加美の神、闇御津羽の神に関係しております。これについて説明いたします。

 伊耶那岐の命は菅曽音図の頚(くび)を斬り、人間の精神構造を検討するのに十拳剣を用いました。それはア・タカマハラナヤサ・ワの十数による分析・検討であります。この様に言霊によって示される構造を数の概念を以て検討する時、この数を数霊と言います。この十の数霊(かずたま)による検討は左右の手の指の操作で行う事が出来、その操作を御手繰(みてぐり)と呼びます。指を一本づつ「一、二、三、四……」と握ったり、「十、九、八、七……」と起したりする方法です。「御刀の手上(たがみ)に集まる血、手俣より漏き出て……」とありますのは、以上の御手繰りによる数霊の操作を表わしたものなのであります。太安万侶の機智の素晴らしさが窺える所であります。

 御手繰りの操作に二通りがあります。開いた十本の指を一つ二つと次々に折り、握って行く事、それによって宇宙に於ける一切の現象の道理を一つ二つと理解して行き、指十本を握り終った時、その現象の法則をすべて把握した事になります。この道理の把握の操作を闇淤加美(くらおかみ)と言います。十本の指を順に繰って(暗[くら])噛(か)み合わせる(淤加美[おかみ])の意です。そして十本の指全部を握った姿を昔幣(にぎて)と呼びました。握手(にぎて)の意です。また物事の道理一切を掌握した形、即ち調和の姿でありますので、和幣(にぎて)とも書きました。紙に印刷した金のことを紙と言います。金は世の中の物の価値の一切を掌握したものであるからであります。また昔、子供はお金の事を「握々(にぎにぎ)」と呼んだ時代がありました。

 御手繰のもう一つの操作の仕方を闇御津羽と言います。闇淤加美(くらみづは)とは反対に、握った十本の指を順に一本ずつ「十、九、八、七……」と順に起して行く操作です。指十本を闇淤加美として掌握した物事の道理を、今度は指を一本々々順に起して行き、現実世界に適用・活用して、第一条……、第二条……と規律として、また法律として社会の掟(おきて)を制定する事であります。掟とは起手の意味です。闇御津羽とは言霊を指を一本々々起して行く様に繰って(闇)鳥の尾羽が広がるように(羽)、その把握した道理の自覚の力(御津・御稜威[みいず])を活用・発展させて行く事の意であります。

 伊耶那岐の命は人間の精神構造を表わす埴土(はに)に刻んだ五十音言霊図を十拳剣で分析・検討することによって、主体内自覚としての理想の精神構造である建御雷の男の神を得ました。その構造原理を更に数霊を以て操作して、その誤りない活用法、闇淤加美、闇御津羽の方法を発見しました。五十音言霊による人間精神構造と数霊によるその原理の活用法を完成し、人間の精神宇宙内の一切の事物の構造とその動きを掌握し、更にその活用法を自覚することが出来たのであります。言霊と数霊による現象の道理の把握に優る物事の掌握の方法はありません。伊耶那岐の命の心中に於ける物事の一切の道理の主体的自覚は此処に於て完成した事となります。

 奈良県天理市の石上(いそのかみ)神宮に伝わる言葉に「一二三四五六七八九十(ひふみよいむなやこと)と唱えて、これに玉を結べ」とあります。玉とは言霊のこと。言霊を数霊を以て活用することが、この世の一切の現象の把握の最良の理法であることを教えております。

 大島またの名は大多麻流別(おおたまるわけ)
 以上、石柝の神、根柝の神、石筒の男の神、甕速日の神、桶速日の神、建御雷の男の神、闇淤加美の神、闇御津羽の神の八神の宇宙に占める区分を大島と呼びます。大いなる価値のある区分と言った意味です。人間の心を示す五十音言霊図を分析・検討して、終に自己主観内に於てではありますが、建御雷の男の神という理想構造に到達することが出来、その理想構造を活用する方法である闇淤加美・闇御津羽という真実の把握とその応用発揚の手順をも発見・自覚することが出来ました。言霊学上の大いなる価値を手にした区分と言えましょう。またの名は大いなる(大)言霊(多麻[たま])の力を発揚する(流[る])区分(別[わけ])という事になります。

 古事記の文章を先に進めることにしましょう。
 殺さえたまひし迦具土の神の頭に成りませる神の名は、正鹿山津見(まさかやまつみ)の神。次に胸に成りませる神の名は、淤縢(おど)山津見の神。次に腹に成りませる神の名は、奥(おく)山津見の神。次に陰に成りませる神の名は、闇(くら)山津見の神。次に左の手に成りませる神の名は、志芸(しぎ)山津見の神。次に右の手に成りませる神の名は、羽(は)山津見の神。次に左の足に成りませる神の名は、原(はら)山津見の神。次に右の足に成りませる神の名は、戸山津見の神。かれ斬りたまへる刀の名は、天の尾羽張(おはばり)といひ、またの名は伊都(いつ)の尾羽張といふ。

 先に伊耶那岐の命は五十音言霊によって構成された迦具土の神を十拳剣で分析・検討して、斬った主体側の真理として建御雷の男の神という人間精神の理想構造を自覚いたしました。今度は十拳剣で斬られて殺された客体である迦具土の神からは何が生まれ出て来るのでしょうか。迦具土の神とは言霊五十音を粘土板に彫り刻んだ神代表音文字の事でありますから、斬られる客体である迦具土の神から表われるのは神代表音文字の原理・道理の事であります。言い換えますと、一つ一つの表音神代文字が言霊の原理の中のどの部分を強調し、どの様な表現を目的として作られたか、の分析・検討であります。

 古事記の子音創生の所で説明されました大山津見の神は言霊ハ、即ち言葉の事でありました。大山津見の山とは八間のことで、図形で表わされる八つの父韻の活動する図式であり、この父韻の活動によって言葉が現われて来ました。山津見とは八間の原理から(山)出て来て(津)形となって現われたもの(見)の意でありました。大山津見の神は言霊ハとして言葉を意味しますが、ここに登場する八つの山津見の神は、言葉を更に文字に表わしたものの謂であります。その神代表音文字の作り方に古事記は代表的なものとして八種の文字原理を挙げております。ここに登場します正鹿山津見、淤縢山津見、奥山津見、闇山津見、志芸山津見、羽山津見、原山津見、戸山津見の八神がそれであります。

 竹内古文献等の古文書、または神社、仏閣に伝わる日本の古代文字を調べますと、六十種類以上の神代表音文字が存在すると伝えられています。また奈良県天理市の石上神宮に伝わる十種(とくさ)の神宝(かむたから)の中の蛇の比札(ひれ)・百足(むかで)の比札・蜂の比札・種々物(くさぐさもの)の比札といわれるものは明らかに古代表音文字であります。比札とは霊顕(ひれ)とも書き、霊(ひ)は言霊であり、顕(れ)は現われるで文字である事を示しています。ただこれ等数十種類の神代文字が、古事記に示される八種の山津見の神の文字作成法の何(いず)れに属するものなのか、の研究が進んでいません。言霊学研究の先輩である山腰明将氏、小笠原孝次氏と継承された古代文字に関する見解を踏襲してお伝えいたしますが、今回は簡単な図表形式にして示しました。詳しくは「古事記と言霊」の中の「神代文字の原理」をお読み下さい。尚、石上神宮の十種の神宝の中の四種類の比札(文字)は同書171頁を参照下さい。

古事記神名

体の部分

文字の作り方

正鹿山津見 頭・神知(かし)ら 正鹿(まさか)は真性。言霊原理がそのまま表現される文字の作り方。龍形文字
淤縢山津見 胸・息を出す所 言葉を発声する法則に基づく文字構成法
奥山津見 腹・音図上 奥はオを繰(お)る。音図上の文字が調和するような文字の作り方
闇山津見 陰(ほと)・子が生まれる所 闇は繰る。言葉が文字となる原理がよく分る文字の作り方
志芸山津見 左の手・霊足り(全体)主眼 志芸(しぎ)は五十音言霊。文字の書き方に書き方をおく文字構成法
羽山津見 右の手・身切り(部分) 羽は言葉。言霊の一つ一つの内容を強調する文字の作り方
原山津見 左の足・運用法 原は言霊図。言霊図全体の運用法が分るような文字構成法
戸山津見 右の足 言霊図の十列の区別がよく分るような文字構成法

 女島(ひめしま)又の名は天一根(あめひとつね)
 以上の八つの神代表音文字の構成原理が人間の心の宇宙の中に占める区分を女島(ひめしま)と言います。女島の女(ひめ)は女(おんな)と呼び、即ち音名であり、それは文字の事となります。また文字には言葉が秘められています。即ち女(ひめ)島であります。またの名、天一根(あめひとつね)とは、神代文字はすべて火の迦具土の神という言霊ンから現われ出たものでありますので言霊(天)の一つの音でそう呼ばれます。

 かれ斬りたまへる刀(たち)の名は天の尾羽張(おはばり)といひ、またの名は伊都(いつ)の尾羽張といふ。
 迦具土の神の頚
(くび)を十拳剣で斬り、斬る主体である伊耶那岐の命の側に建御雷の男の神という人間精神理想の構造原理が自覚され、また斬られた客体側に神代表音文字の八種の構成原理が発見されました。尾羽張(おはばり)とは鳥の尾羽が末広がりになる姿で、この十拳剣を活用すれば人間社会の文明は彌栄(いやさか)に発展する事が可能となります。その為にこの十拳剣の判断力(分析・総合)に天の尾羽張り、またの名伊都の尾羽張の名が付けられのであります。天(あめ)とは先天または天与の意であり、伊都(いつ)とは御稜威(みいず)の意であります。御稜威とは力または権威という事です。

 この尾羽張の剣の判断力の活用は古来全世界の神話・宗教書に書かれました。ギリシア神話にオリオン星座(Orion, Oharion)が取上げられています。この星座の十字形が時間と空間を縦横に斬る十拳剣の分析と総合の人間天与の判断力の活用の象徴として説かれています。また旧約聖書のヨブ記に同様の記述があります。「ヱホバ大風の中よりヨブに答えて宣(のた)まはく、……なんじ昴宿[ぼうしゅく](スバル星)の鏈索(くさり)を結び得るや。参宿[さんじゅく](オリオン)の繋縄(つなぎ)を解き得るや。なんじ十二宮をその時にしたがひて引いだし得るや。また北斗とその子星を導き得るや。……」私は初めてこの聖書の文章に出合った時、宗教で謂う救世主(ヨブはイエス・キリスト以前のキリストと呼ばれます)は記述の如き超能力の持主なのか、と思ったものでした。言霊布斗麻邇の学に出合うに及び、この様な神話や宗教書の中の文章がすべて太古に世界に流布されていた言霊学の心と言葉の原理に基づく記述であることを知り、神と人間との関係という問題を解決する事が出来のであります。

(次号に続く)

 言葉と生命(言霊学随想)

 仏教の禅宗に無字の行というのがある。「無門関」という本に「参禅は須(すべか)らく祖師の関を透るべし、妙悟は心路を窮めて絶せんことを要す。……如何(いかん)が是祖師の関。只だ者(こ)の一箇の無の字、及ち宗門の一関なり」とある。無字の行とは、どんな行なのであろうか。

 人はこの世に生まれて来た時には何らの知識も持たない。自我意識もない。生長するにつれて「ああすれば、こうなる。こうすれば、ああなる」という経験知識を身につける。更に大きくなると、その身につけた経験知識の総合体を自我だと思い込む。と同時に何事の判断もその自我の経験知識を基準として生活するようになる。ところが、経験知識は人によって千差万別である。だから物事の判断も人によって違って来る。論争が起り、論争はお互いの自我意識を強め、闘争が激しくなる。小は夫婦間の争いから、大にしては国家間の戦争をも惹起する。人間の悩みの原因は大方其処にあろう。

 自我意識が本来の人自体であるのではない。人は宇宙から生まれた宇宙の子である。神の子、仏の子である。自我意識とは生まれてから身につけた経験知識の総合体を自分自身だと錯覚した虚妄の自分であるに過ぎない。禅宗の無字の行とは、心中に蟠(わだかま)るこの自我意識を構成する自分が身につけた経験知識を「無(ノー)」と否定して行く事である。心が覚え、信用して考えごとの鏡とした経験知識を一つ一つ否定し、終には生まれたままの赤ん坊の心に帰って行く退歩の学問である。

 さて自分の心中にある経験知に対し「無」の否定を始めようとする時、「自分がよいと思って集めた知識なのだから、否定する事もそんな難しい事ではあるまい」と大方の人は思う。しかし実行して見ると中々そうは行かない。「人前でお世辞を振り撒く程卑劣な事はないと思う。だからそういう人を見ると、途端に不愉快になった。しかし今、考えて見ると一概には悪い事と断定出来ないのかも知れぬと反省するようになった。けれど、お世辞タラタラの人を目の前にすると依然として不愉快になってしまう」という様な事は誰もが思い当たる事である。反省し、心の中で自分の一つの経験知に対して「無」と命令しても、そう容易に「はい、左様ですか」と承知してはくれない。経験知識を集めて身につける事より、それを反省によって否定することの方がむしろ大変な行なのかも知れない、とそこで気が付くのである。

 お世辞がどうの、こうのという社交道徳ですらかくの如しである。自分が一生を通して心中に築き上げた信仰・信念・信条等の否定に至っては、その困難は思い知られよう。「自分の信仰・信条も無字の対象としなければならないのか」と驚く方もいるかも知れない。しかし無字の修行から言えば、どんな立派な信念・信条でも、それが立派だと思えば思う程、その否定は大切なのである。如何に立派な事でも、それが胸中にある限り、無字で言う「無一物」ではあり得ないし、「汝等、飜(ひるがえ)りて幼児の如くならざれば、天国に入るを得ず」(マタイ伝)の幼児にはなり得ないからである。

 自分の心の中にある経験知識を「もうお前は使わないよ」と宣言しただけでは済まない。努力・工夫を要する行である事を御理解頂けた事と思う。ある事を信じるのも容易な事でないと同様に、それを心中に否定することも簡単には成し遂げることは出来ないと知る事が出来る。他人の心の中なら兎も角、自分の心の中の存在を否定するのに四苦八苦するのは何故なのか。この事実に思いを凝らし、検討を続ける行手に「言葉と生命」という命題が顔をのぞかせて来る事となる、という事を申し上げて、先ずは次の問題に入る事にしよう。

 今までは無字の行を始めた時の人の思いについての話であったが、次に人がある経験知識を否定し、自分の意志が促さぬ限り、その知識が自らの心の主屋を占領することがなくなった時の事を考えてみよう。「親に孝行する事は人の道である」の信条を持った人がいた。親に不孝をする人を見ると「人非人(ひとでなし)」と罵った。反省によって「親への孝」の思いは自分に言いきかす言葉であって、人を責める為のものではない、と知った。この変化の心情から、自分が「孝行」と思って行った行為が必ずしも親にとって良き事ばかりではなかった事にも気が付いた。他人の親に対する態度の見方も幅広く、柔軟なものに変わって来たのである。その人自身が「親に孝」の観念の束縛から解放された結果という事が出来る。

 仏の教えに「煩悩(ぼんのう)即菩提(ぼだい)」の言葉がある。虚妄の自我から主張され、他との争いの原因となる各自の経験知識(煩悩)も、無字の反省によって、退歩の学によって悟った本来の自己、宇宙の子、神仏の子としての眼で見るならば、その経験知識は、形も内容も一切そのままで菩提(さとり)の言葉に生まれ変わる、というのである。林の中の枝が垂れ下がった暗い、気味悪い夜の道も、朝日が昇れば新緑もまばゆい、気持のよい散歩道だと知る事が出来る。

 これまで日常生活の苦悩、所謂煩悩からの脱却を言霊アの宗教信仰の立場から検討を試みて来た。それはまた言霊学の門に入る必要条件としての行でもあった。これからは言霊学の立場即ち言霊エイの次元からこのア字・無字の修行を見直してみよう。

 古神道言霊学は死を説く事がない。死はないからである。では人が肉体を失った後の生とは何か。言葉である。肉体を持っていた時にその人が発した言葉として永遠の生を生きる事となる。何処に生きるか。現在に生きる人々の心の中に、正確にはその心の今・此処に生きるのである。心中に蟠(わだかま)る経験知識を無字によって否定しようとしても、容易に主屋から引き下がることがないのは、それが単なる知識であるのではなく、心中に生きる先輩諸氏の生きた言葉であるからだ。忠孝の道徳の知識は二千年余以前の中国の孔子の儒教の心である。孔子がその人の中に住んで、言葉として生きているのである。社会主義一辺倒の人の心中にはマルクス、エンゲルスが住んでいる。その他、地球上に肉体を持っていた人々はすべてが同様に言葉として現在の中今に永遠の生を生き続けているのである。人は決して死ぬ事はない。この事実を煩悩否定の行の中で言霊学が教えてくれるのである。

 無字の宗教修行によって自我意識を超える時、言霊アの愛の光の中に自我意識を形成していた言霊ウオが包まれていた事を知る。人間天与の判断力の柱が言霊ウオアと立った事である。人は宇宙の子、神の子であると知る。しかしこの宇宙の子、神の子と思う人類意識から社会活動を始める時、活動の根拠をその時まで否定して来た各自の経験知識に再び置かねばならない。信ずべき宇宙、神、仏の内容は曖昧であり、人により、宗派により悉く相違するからである。ア次元の愛だけでは個人は導く事は出来ても、人類の文明創造の先導者となることは不可能なのだ。これを言霊学から見ると如何になるであろうか。信仰の行でウオアの心の柱が立つ時、言霊学ではそのア次元の光の内容である言霊イの五十音言霊と、言霊エのその言霊布斗麻邇の原理の活用法を同時に知ることとなる。言霊ウオアエイと並ぶ人間の心の進化の全段階の自覚が完成する。言霊イとエは人類文明創造の原理である。それ故に人類一万年の歴史の真相を知る事が出来る。この時、人々は宇宙の子、神の子であると同時に、日本の皇祖皇宗の人類文明創造の役割を分担している命(みこと)であり、同志である事を知る事が出来る。宗教に於ける個人の「安心」と同時に、言霊学によって人類愛に根差した第三文明時代創造の使命(命[みこと])をも自覚することが出来る。

 更に言霊学に根差したア字(無字)の行は、宗教的な行が単に虚なる自我意識よりする煩悩の克服であるのに対し、その自我意識の内容である諸種の経験知識がそのままの姿で、自らの言霊イの道、即ち生命の躍動する内容であり、糧であると知る事が出来る。自らの生命とは人類の過去一切の行為の表徴であり、記録である言葉の総合体なのであり、自分自らが全人類の生命と一つなのだという自覚に導いてくれる。これは取りも直さず天津日嗣スメラミコト(天皇)の出現である。

 また更に、古事記神代巻の禊祓の原理に基づき、人が言霊アイエオウの天之御柱の自覚の下に、全世界各地で生産される諸文化の一切を自らの精神的身体(御身[おおみま])とし、その自らの禊祓(文明創造)を行う時、即ち生命(いのち)がイの道(言霊イに基づく言霊エの実践)の実行に入る時、その人は自らの生命の内容と実相を自らの中に直観する事が出来る。生命が自らを知るのである。そしてその生命とは言葉であり、言霊なのであることを知る事となる。ヨハネ伝の「太初(はじめ)に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき」は此処に於て実現する。言葉こそ生命なのである。

(終わり)

 土御門神道(後日譚)

 この物語は、「私は『お前を言葉とは何か、を学ばせる為にこの世に送る』というお告げを頂いて生まれて来た者です」という言葉を初対面の挨拶として、お供一人を連れ、一人の御婦人が私の所に現われた時から始まった。今から数年以前のことである。彼女はO県在住、T教々祖、その名H・Tと名乗った。永年高野山で護摩(ごま)の修法を、更に京都の鞍馬山で病魔退散の霊法を学んだ、と自己紹介なさった。私は「言葉の何たるかを学ばせる為にこの世に送り出す」というその人の「お告(つ)げ(空海さん)」の言葉に注目したのだった。

 彼女は熱心に毎月の言霊学の講習会に、また私の所に来られ、言霊学を勉強された。そして間もなく私の所へ来られ、「今度、ヒョンな事から福井県にある土御門神道を継ぐ事になりました。宜しく御指導下さい」と語られたのであった。土御門神道といえば、千年程前、当時の村上天皇のお側の玉藻の前に憑(つ)いた金毛九尾の狐霊を那須の殺生石に封じ込めた陰陽師、安倍清明に賜った神道の名前である。それ以来、土御門神道は昭和天皇に至る千年の間、古代中国で成立した陰陽五行説を基とした易の教えに則り、日本朝廷のお祓(はら)いの役に任じた家柄である。私はその話を聞いて即座に思った。「若し彼女が日本国肇国の原理である言霊布斗麻邇に熟達するならば、日本皇室の祓いを受持つ易経、即ち天津金木の霊法を脱却し、天津太祝詞の本来の皇室への覚醒に貢献出来るのではないか」と。そして彼女にその真旨とその使命の重大さを告げた。(この間の経緯については会報百二十九号「土御門神道」に紹介されている。御参照を。)

 だがその後から彼女の内面に変化が起った。やがて講習会での席上でも一見して読み取れる程の態度の変化であった。それは直ぐに千年間続いた須佐之男命・陰陽道の牛頭(ごづ)天皇・安倍清明・天津金木・易経・金毛九尾霊という霊統の反逆である、と知った。その兆候を目の前にして彼女の心情に同情し、また気の毒にも思い、手紙を書いた。

 「古事記の神話で御承知でしょうが、言霊学の最終結論として天照大神、月読命、須佐男命の三貴子が誕生します。その時、伊耶那岐の命は天照大神にのみ御顕珠(言霊原理)を与え、他の二人の命には与えませんでした。貴方が今まで修行なさった高野山の修行は月読命であり、鞍馬山の修法は須佐男命に属します。この二つの修行の延長上には言霊の学問は存在しません。布斗麻邇の学をお望みなら、少なくとも講習会に御出席の時だけは貴方様の修法に対する自負の心を脇に置いておいで下さい。または会にではなく、私の所へお話においで下さい。」二日後の夜、彼女から電話を頂いた。「先生は私の一生の唯一人の心の師です。有り難う御座います」そして姿を見せなくなった。彼女は生まれる前からの弘法大師のお告げより、生まれて後から築いた自らの教団の地位の方を選んだのである。そしてこの貴重な体験によって日本皇室の歴史的覚醒は、その任を負う人が自らの心の底に、皇祖皇宗の御経綸によって現出した人類の第二文明時代三千年間の人類全体の業を自らの業として見出し、見届ける以外に達成されるものではない、という教訓を遺してくれたのである。

(以上)